山内 溥の名言集
2014/03/18
山内 溥(やまうち ひろし、1927年11月7日)
京都府京都市出身の実業家。任天堂創業家出身で3代目社長を勤めた
初代社長である山内房治郎の曾孫。早稲田大学第二法学部(夜間部)中退。本名は山内博。50歳のときに「溥」へと改名する。当時、山内博という同姓同名の人が多数いたため、としている。
1949年、祖父山内積良の後を継ぎ、任天堂代表取締役社長に就任。2002年に50年来務めた社長職を退き、2005年6月まで同社取締役相談役、以後取締役からも退任し同社相談役。
京都にて花札、カードゲームの製造を行う、比較的地味な企業であった任天堂を、幾度とない倒産の危機を乗り越え、テレビゲーム等の展開により世界的企業へ成長させた。
- 苦労だって経営者ならしていない人などいないから、自分が特に苦労したとは思わない。振り返ると何となくこうなっていた。運が良かっただけだ
- 欧米人がドラクエを楽しむのか? 楽しむ人がいても少数であり、所詮日本のマニア向けのゲームである。21世紀のソフトは世界で売れるソフト、支持されるソフトでなければならない。
- それにもかかわらず、ソフトメーカーはIIだのIIIだの、VII、VIII、IXと出し続けている。クリエイター達は行き詰まり、質的転換を迫られている。
- ゲームは常に新しい楽しさを開発し、ひたすら完成度を高めていくことが本質である。
- 大容量ゲームは駄目。こんなことをしていたら世界中のメーカーがつぶれてしまうだろう。重厚長大なゲームは飽きられている。
- ソフトビジネスは難しい。社長に求められる経営力は他産業には見られない性質のもので一筋縄でいかないとだけは言える
- 後継でない人は再選しなかったということだ。自分は社長としてはドルフィンが成功しても失敗してもその結果を見届けてからやめる
- 任天堂は大容量を追うのではなく、GBAとGCを連動させ新しい遊びを提案する。
- 二十一世紀のソフトに大容量はいらない。そんな人海戦術を要する仕事をしていたらソフト会社はみんな沈没する
- ソフト販売がゲーム機の販売本数を下回っている。本物そっくりで高精細な映画のようなゲームなんてナンセンスだ
- 販売現場では消費者のゲーム離れが起こっている。『PS2』を見れば分かる。
- 世界的なゲームソフト販売の低迷を考えれば今の日本のゲーム関連株は高すぎる。
- ポケモンをディズニーと重ねて、世界中の人の心をとらえたるキャラクターに育てていきたいと語った。
- ポケモンは単なるブームでは終らせない。欧州でも人気の兆しが出ており、国境を越えて多くの人たちに愛されるキャラクターに育てていくつもりだ
- 妥協させられて、できたものは、粗くなってしまう。ユーザーは目が肥えていますから、受け付けてもらえない
- ゲームソフトは、期限までにやれと言われて、徹夜したり死に物狂いでやったからといって、期待通りのものにはならない。
- 五十歳台になっても任天堂は中小企業のまま。このままパッとしないで終ると思っていた任天堂のソフトはいつも予定通りに出てこないって言われるけど、ソフト作りっていうのは、そういうもの。
- 任天堂は長い間、試行錯誤を繰り返し、苦難の道を歩んできた。鳴かず飛ばずの中小企業で、いつつぶれても不思議ではないと言われてきた。
- でも自分は違う。努力したから成功するとは限らないと思っている。
- 努力したからうまくいった、と言う人がいるのは構わない。
- 勝った負けたという情緒的な判断よりも、企業はやっぱり数字。決算の数字は、任天堂が競争に負けていないことを証明している。
- 任天堂は負けたって言われるけど、業績は良くなっている。
- プレイステーションでソニーが独り勝ちしていると言われてから何年たっている?
- 大リーグのピカチュウになってほしい
- いつまでもソフトの数がものを言う時代は続かない。数を増やすために手を広げるつもりはない。
- 来るものは拒まないが、任天堂と開発路線が違うのならば接点はない。
- 逆にスペックは低いがコストがかからないゲームボーイには、制作者のアイデアが詰め込まれた面白いゲームは作られるようになった。
- ゲーム機のCPUが32ビット、64ビットと高性能化するにつれ、ゲームソフト開発にかかるコストは膨大になっていった。
- “軽薄短小”でも完成度の高い面白いゲームはできる
- 数十億円をつぎ込み、百万本を販売するヒット作となっても、なお赤字という場合もある。それではビジネスとして成り立たない。
- また、“重厚長大”型のソフトは、内容が複雑で、制作に時間も人手も費用もかかる。
- 新機軸を打ち出さなければ、ゲームそのものがマンネリ化して飽きられる。
- 携帯電話は国内の普及が5000万台に達しようとしており、若い人の娯楽になっている。ゲームはテレビの前でやるものという考えは古い。新しいゲームの分野を作るつもりだ
- 「会心の笑みがこみあげる中で辞めることができたら、これほどありがたいことはない」これが山内社長の本音じゃないだろうか。
- 山内社長はいったいいつ引退するんだと言われてきたが、良い時期に胸を張って引退できるのが社長として最高の花道。
- 私は、自分が目指してきた任天堂の路線が、現実との間にどれぐらいの違いが生じるのかを、見届けたいと思っている。
- 人間は有限でしょ。私に辞めろと言う人はいない。自分で決めるしかない。ちょうど、きりの良いのが21世紀。
- 後任についてはまったく考えていないが、2000年になったら明確にしたい
- 2000年11月に本社の移転を計画しているが、一日でもいいから新しい建物に入り、それを区切りに引退を考えている。そのころには任天堂の戦略が正しかったかどうかもはっきりするだろう。
- 当時、任天堂は5000億円以上の余裕資金を持っていたが、その使い道は「保険」だと答えた。バブル最盛期、潤沢な手元資金を財テクに回すよう周囲に勧められたが、意に介さなかったという。
- 余裕資金は保険の意味を持つ。当社は新しい市場を作る考えだが、どれだけお金がかかるかわからない。銀行は簡単に貸してくれないし、社債を発行すればリスクを伴う。自前で資金を持ち、必要な時に自由に使えるようにしておくことが必要だ
- 同時期に発売された両ソフト。方向性の違いはもちろん、ゲームの出来にも大きな差があった。
- N64ソフトは容量の小さいロムカセットを使うが、『ゼルダの伝説 時のオカリナ』はスクウェアが出す大容量のCD-ROMソフト『ファイナルファンタジーVIII』を圧倒するだろう。ゲームは容量が問題でない事を証明するはずだ
- また他のゲームとディスクを入れ替えることよって新しい楽しみ方ができる製品群構想も提示していた。
- 書き換え可能な64DDでは、新しいデータに書き換えすることによって、何度も新鮮な気持ちで楽しめるようになる。
- 64DDでは、データが追加できるというのが大きなポイントです。それは明らかに今までの“一話完結型”のテレビゲームとの差別化を強調しようということにほかなりません
- NINTENDO64の販売不振は、ソフト数が少数でRPGが発売されておらず、大容量のCD-ROMではなくROMカセットを採用したためなどといった見方を否定した。
- RPGがなければ駄目だとか、キャラクターを使用したブランド力に頼った売り方が必要だとか、大容量を活かした映画のようなソフトが必要だとかいう時代はもう終わった
- ソフトの数量を求める時代は終わった。ソフトは現在の10分の1程度でいい。
- これからのゲームは交換・収集・育成・追加の4つがキーワードになる。
- 私の感覚ではマーケットはもう縮小し始めている。おそらく来年いっぱいでそれが目に見える格好になるだろう
- 現在のようなゲームソフトとゲーム機が形成するマーケットは長く続かない。
- ソフト作りはマンネリ化し、新規のユーザーが興味を持つような仕掛け作りが難しくなった。当のソフトメーカーにも利益も出ないところが多い。
- 国内市場は任天堂の主張するゲームの質的転換を受け入れるか、という質問に対して。山内社長の言葉どおり、98年末から流れが変わり、NINTENDO64のヒット作が次々と登場した。
- 将来の結果は誰にもわからないというしかないが、正しいと確信する道を歩んでいるだけだ。当社は市場を啓蒙しようと考えているわけではない。任天堂は任天堂を守るためにやる。照準は来年のクリスマスだ
- 当時のマスコミの風潮は、ゲームの質的転換を訴えてきた山内社長にとって、看過することのできない事態だった。
- プレイステーションを買っている人はどのソフトで遊ぼうという気がなく、ムードで買っている人だろう
- シェアにしても米国のように調査機関があるわけでもなく、(NINTENDO64が売れ残っていると指摘される)秋葉原と(子供に人気の)トイザらスでは異なる。
- 今、ゲーム市場を語っている人には本当にゲームを知らない人が多すぎる。
- 運です。
- そこで僕は言っているんですけどもね、「3DOは、99.99%駄目だ」と言っているんです。世界企業への道は、運です。運が良かったんです。それを「この結果は俺の経営がうまかったんだ」とか「俺に力があったんだ」なんて思うと、もう駄目ですね。
- ロールプレイングゲームの分野では世界一。次世代機の立ち上げには欠かせない
- 私はこれまでソフト制作をお願いしますといったことは一度もない。やるのも、やめるのも自由。むしろ(多くのソフト会社が次世代機にソフトをつくることは)やめてほしい
- 後継者は育てるべきものなのか、育つものなのか。正直言って迷っている
- たとえばそういう人間が五万人か、十万人かいたとしたら、そこから才能ある人が浮かび上がってくるということも考えています
- 何万人か集まってきたら、ネットワークでそれを結んで、そしてゲーム作りのいろいろなノウハウとか、情報をそこへ送っていくということですね。
- いま進めているのは、ゲームで遊んでいる人たちに、「一回自分でゲームをつくってみませんか」という呼びかけをやろうということです。
- 任天堂のソフト化路線とは、ハード主導ではなく、良質で今までないおもしろさを持ったソフトを供給し、またそういったソフトが主導して市場を形成していくことである。
- ハードウェア主導ではゲームビジネスでは通用しない。
- ハードウェアをいくら広げてもだめなんです。ソフトがそれにスライドして、ついてこないとだめなんです。そんな戦い方はハード体質の戦い方であって、本来のソフト化路線とは違うからだめです
- ハードの価格競争だとか、ソフトをおまけにつけてまで、ハードを売ったら勝ちだとか、そんな発想は通用しない。
- それに対比して、たとえば3DOなどの路線の方がはるかにハイテクで進んでいる。だから、そちらの方が有望だというんです。ところが全然違う、まったくわかっていない。
- 私は内部で言っているんですが、任天堂の展望を向こう三年間を語る時に、大方のアメリカのアナリストとか、日本の一部の人が言っている観測は全部間違ってますね。これはまともな論評とはとても言えない。
- そういう新しい新製品の開発ができるかできないのかということが決め手になってきます価格競争に巻き込まれない、今までにない製品の開発に意欲を見せる。96年に発売された『ポケットモンスター』はそういった新しいゲームの代表作だ。
- しかも、それが大衆の懐勘定と折り合いがつき、しかも多くの人たちが初めて体験するような珍しさと楽しさとおもしろさを味わわすことができさえすれば、これは円高でも何でも戦えます。
- だから、自分のところしか、出せないものがつくれたら最高です。
- 海外戦略はどうなるかということになりますが、結局、だれでもできるものをつくっていてはだめだということです。だれでもつくれるものは、価格意識が強ければ価格競争に巻き込まれるのは決まっているわけです。
- これから二年ぐらい先を展望しますと、我々のビジネスは海外では利益が上がらなくなってくるんじゃないかと思います。
- 売れないソフトを作っている圧倒的多数のソフトメーカーが参加すると言って、それが100社になろうと、500社になろうと、それは何なのですか。そんなものは絶対にユーザーを説得できない
- いま世界でいったい何百社のソフト屋がゲームソフトづくりをやっているかと。そして、ソフトも1000か、2000か、3000か知りませんけれども、それだけたくさんの種類が出て、その中でいったい売れるソフトは何点なのか。
- 日本でもやりました。そして、いまソフト会社は100社申し込みが来た、これから続々参加すると言っているわけです。冗談じゃないよと言うんです。
- 今度の3DOを見て、いかにもハード屋だなと痛切に思うんです。バーッとアドバルーンを打ち上げて、そしてソフト屋集まれと言うわけです。
- だから、私はいつでもハードウェアの量産体制はいつ整うかは明言していますが、発売時期はわかりませんと言っています
- それからソフトメーカーが十分理解して取り組めるようにしなければいけないと、これはそう簡単にいかないんです。
- たとえばCD-ROMにしても、ハードを作ることぐらいだったら、これはきわめて簡単です。しかし、ソフトメーカーが最もつくりやすいハードにしなければいけない。そのためにはツールも整備しなければいけない。
- しかも、一定の間隔でそういうものを出し続けられる開発体制ができ上がっていないと、そのハードはつぶれてしまいます。これが読めないんですよ。
- ソフト開発に一年かかるか二年かかるのかわからない上、ハードの発売日の最低二本ぐらいは必要なんです。
- ただ、我々のビジネスで非常に問題なのは時間がすごくかかることなんです。一年間かけてハードの仕様を決め、ソフト開発に必要なツールを用意して、そこからソフトの開発が始まるんです。
- 私どもの商品でも、ハードウェアの分野は家電の下請けをしているところであれば、だれでもできることです。
- そうじゃないんですよ、任天堂の強さは、任天堂が世界最強のソフトメーカーだからなんですよ。そうでなかったら、そんなもの一年や二年続いても、十年も続きません
- 任天堂はライセンス契約を利用して、ピンハネして、そして不当利得を得て高成長を成し遂げてきて、高い利益率を誇っている――マスコミはみんなそういうような書き方をするんです。
- クリエイティブな才能の持ち主を集め、活躍することのできる環境を作ることが大事なのだ。
- 任天堂では、ゲーム開発に時間を掛け、ゲームの評価組織を作りその意見を開発に反映させたり、ゲームのクオリティを向上させる様々な努力を行っているが、それで必ずおもしろいゲームが作れるわけではない。
- 率直に言って、いまだにどうしておもしろいゲームソフトができるかということは、世界中の誰にもわかりません。だからこそソフトウェアという言葉が非常に重みを持ってきているのでしょうね。
- それは秘密でも何でもないんです。いまの時代で秘密なんていうものは隠し切れるものでもありません。
- 実はこうしてつくります、ああしてつくれますという解答が出せるとすると、だれでもそのようにすればできるわけでしてね。
- どうしておもしろいソフトがつくれるのかという問いに対しては、私はいつでも言っているんですが、結局はだれもがわからないんです。
- アナリストやマスコミが考えているような戦略ではない、という意味合いで語っているのではないだろうか。
- このビジネスがいつまで続くのか、次をどうするのか、あるいは長期戦略とか、そんなもの何もない。
- 皆さん、任天堂の戦略とか秘密とか、なにか特別の大層なものがあると思って、それを期待されているようですが、そんなものはない。
- 祖父の社訓は、あくまで祖父のもの、決してぼくのものやない
- だから、体質を強化してなにが起ころうとも社員や取引先がショックを受けない会社をつくる、それが私の仕事だ
- 経営の世界は流動的であり、いつまでも成長し続ける保証はどこにもない。そして、予想しなかったことが起きても、私は関係がない、と経営者は言えない。
- 一番遊びたいと思うソフトは景気が悪くなっても懐が悪くなっても消費者は購入する
- 毎年、多数のソフトが出回るが、ヒット作品の種類は減るだろう。ただ、売れ筋の製品の販売本数は落ち込むことはない。
- ゲームソフトについては今後、売れるものと売れないものの差が歴然としてくる。
- そうした限られたお金がどう配分されるかが、今後の市場を占うポイントになる。景気が悪い、悪いと叫ばれると、消費者心理にも影響を与え、ゲーム機業界にも及んでこないはずはない
- 不景気で可処分所得は減り、一般大衆が遊びに回すことのできるお金はどんどん制限されている。
- 世の中の景気が悪くなっており、ゲーム機業界だけに日が当たり不況知らずであり続けられるはずはない。
- 正直いって何とも思っていない
- 64年の人生で野球を観戦したことがない。興味がないんだ(シアトルマリナーズ買収計画発表記者会見1992年1月24日)
- しかし、京都の企業にユニークさなんてそんなにありませんよ。僕が見る限り…
- …ユニークという企業では、東京のほうがよっぽど多いですよ。それでも京都にユニークな企業が多いといわれるのは、町のスケールに比してという意味だと思うけれどもね。
- だから、私は何も新しいものを求めていたんでも何でもなくて、考えていくうちに、もうこのへんしかないと。任天堂の行くところは、それしかないと思わざるを得なかったんです。消去法でいけばそうなるんです
- 僕らみたいな仕事をしていると、いろいろ迷うんです。これしようとか、あれしようとか。ところが、あれしてもだめ、これしてもだめだということになっていくと、だんだん自分のやれる範囲が絞られてくる。
- お墓も京都にあるし私が住んでいる家も祖父が建てたもので、仏壇もあるし……
- 「娯楽屋には天国と地獄しかない、真ん中のない世界」であり、他の商品と決定的な差別感を与えることが山内社長の流儀なのだ。
- ある品物が売り出されて、それに遅れて同じような品物が売り出された場合、必需品なら二番手でも安いほうが売れます。しかし娯楽は二番煎じはダメです。たとえ安くても売れない
- 必需品は飽きられない。そして基本的には、安いほうが売れる。
- セガの撤退はゲーム業界の人間はある程度予測していた。業界の流れは変わらない。
- わたしは、人間には持って生まれた運・不運があるということだけは固く信じる。やはり運がいいとか、悪いということは絶対あり得ると思うし、ツイている、ツイていないということもあると確信している。
- ロクヨンが出たときに「ダメだな、任天堂は」と思ったよ。
- 市場調査?そんなことしてどうするんですか?任天堂が市場を創り出すんですよ。調査する必要などどこにもないでしょう。
- これでゲームが変わるかどうか、確認したい。そうならずに『自分の考えが間違っていた』となってもいい。
- 我々が今日あるのは、時代の変化を予測したとか、会社を大きくしようとやってきた結果ではない。花札やトランプが売れなくなった。ではこれからどうすればいいのか。長い間試行錯誤し、失敗に失敗を積み重ねながら、必死になってやってきた結果なんです。
- 3Dはどうや? 飛び出さへんのか?
- ヒット商品を作る秘訣なんてない。ただいえることは、ある種の能力があって、ひたすら目的に向かってそればかり考え続けておれば、いつか花が開くときがくる。気持ちを持続しておくことが大切。
- 私は以前から、量を増やすことがシェア拡大に繋がると言ってきました。しかしユーザーの目が肥えた今、沢山の種類で売上の辻褄を合わせる考え方はもう通りません。
- 競争になればなるほど、どうしても多作に走り、ソフトの種類で勝負しようということになる。そうなると、似たようなくだらないゲームソフトが市場に氾濫する。駄作が多く出回ると、消費者は不快感を持つようになる。そうなったら、娯楽市場なんてアッという間に崩壊します。
- 我々の感覚では2ヶ月遅れは普通。だから、延期ということは大したことではない。11月発売予定を1月に延期すればクリスマスを外すので打撃となるが、7月を9月にずらしたことは大したことではない。
- どこでどうツイていると判断するのか、その物差しがあるのか、運のいい人と悪い人を見分ける方法があるのか、ということになると、そんなものはあるわけがないとしか言いようがない。
- ユーザーがゲーム機に求めているのは独創的な楽しさやおもしろさなんです。それはソフトなんです。だからユーザーはハードを仕方なく買う。この原理は前からそうだし、今もそうだし、将来もずっとそうなんです。
- やっぱりハードは、ソフト屋がソフトを作りやすいハードを設計しないとだめなんですよ。作りにくいハードを設計したら、ソフト屋もコストアップになるし、思うことはなかなかできない状態になってきますから、それはものすごくソフト屋にとってはマイナスですね。
- ソフト開発者の方々に新しい種と仕掛けを作れる材料を提供しなければならない。
- いまソニーが成功したと言われています。でもそれは、たまたまいま成功しているだけで、ついこの間までは失敗していました。この業界でいま、最も強いと言われているソニーでさえ、成功と失敗を繰り返しています。明日は失敗するかもしれません。
- 曾祖父の意図は分からないんだけど、僕は好きなんですよ。『任天堂』という名前が。
- 結局ね、ユーザーというのはすぐに飽きるんです。最初は目新しくて、みんなが飛び乗ったんです。しかしユーザーというのは、すぐに飽きますから。
- 娯楽の業界では、老舗だから安心なんていうことはありえない。いつもいつも、新しいものを出していかないと生き残れないのです
- 次世代ゲーム機とは一体なんなのか?私にはよく分かりません。本来、ソフト主導のマーケットであるテレビゲーム市場では、次世代なんて言葉はそもそもおかしいのです。
- 僕個人の意見を言うとね、およそ物事に100%ということはあり得ない。人間ですから。だから「99%駄目だ」ということは言えても「100%駄目だ」ということは言えないんですよ。
- 次世代ゲーム機とはいったいなんなのか?私にはよく分かりません
- クリエイター達は行き詰まり、質的転換を迫られている。日本だけで受けて、しかもVII、VIII、IXだと言っている会社は駄目である。
- ゲーム機ビジネスというのは、パソコンOSとは根本的に違う世界なのだ。彼らにはそれが分かっていない。ゲーム機事業の赤字が今はかすり傷程度かもしれないが、次第にそうでなくなるだろう。
- メーカーはソフトを一度売って利益を得た立場にあるわけで、それを買った人が転売しようと捨てようと、個人的にはその人の自由ではないかと思う。ソフト会社はユーザーがすぐ飽きて売らないような、長く持ってもらえるソフトを作ればよい。
- 会社は永遠ではない
- ハードだけのマーケットではないわけです。ハードが売れるか売れないかはソフト自体の力です。ですからハードもソフトも納得のいくものが完成してから発売する方針です。
- この新しいソフト開発路線を軌道に乗せる事で、TVゲーム市場の前途は開ける。
- ユーザーは真似であることを知っている、すなわち、マネソフトはダメソフトなんです。
- 世間にはよく成功した人間を尊敬する人がいるけれど、それが僕には不思議でしようがない。たまたま運が良かっただけの人を、どうして尊敬できるんでしょうかね。
- ゲーム業界は存亡の危機に陥っている。反論があるなら受けて立つ。しかし誰も直接反論しには来ず、陰でものを言う。こうした体質も業界の危機を象徴している。
- 世間はよく成功者を手放しで尊敬してしまうが、成功者の言ならなんでもかんでも金科玉条のようにあがめるのはおかしい。
- みんながこうするから自分もそうするなんていうのは論外です。我が道を行くという考え方、そのためには、他人に煩わされないで、自分の時間を多く持つことが大切だ。人と同じことをやっていたのでは、同じ考えしか出てこないんです。
- 書き込みと読み出しの出来る大容量の磁気メディアを使うことで、新鮮で感動的な面白さを実現できる。多くのユーザーにゲームソフトの新しいジャンルとして認知してもらえる。
- ヒットのノウハウなんて、わかれば苦労しない。たとえあったとしても、それは絶対、活字なんかになり得ないことなんだ。そんなもん、どうやったら金が儲かるか、どうして趙治勲が強いのかという質問と同じなんだ。答えなんてないで。
- 優秀なゲームを作れる人が少ないということは、くだらないゲームなら作る人が大勢いるということです。そんな人に市場を荒らされたら、育つものも潰されてしまう。
- テレビゲームなんて娯楽でしょ。生活必需品ならともかく、ないから生きられないというものじゃない。世界中にいろんな国がありますが、やはり衣食住が足りて、ゆとりができてから初めて娯楽市場ができあがるわけですから。
- 第一、"一寸先は闇"のこの業界(娯楽)で、こうしなきゃならんなどという固定的な考え方は、なんらプラスにならない。それどころか、自ら負けを招くようなものです。
- ゲームの完成度を高めながら、しかも期間を短縮するという極めて難しい問題に挑戦する。こういうことを、ゲームクリエイターは考えていかないとダメな段階に立ち至っている。
- 成功は目的じゃなくて結果なんです。運がよかっただけなんです。
- 世界的なゲームソフト販売の低迷を考えれば今の日本のゲーム関連株は高すぎる。販売現場では消費者のゲーム離れが起こっている。『PS2』を見れば分かる。ソフト販売がゲーム機の販売本数を下回っている。本物そっくりで高精細な映画のようなゲームなんてナンセンスだ。
- 娯楽という分野は、つねに従来と異質のものを開発しなければならないのです。つまり改良の程度ではダメです。…このビジネスの世界は一日かかって説明しても、なかなか理解してもらえないのではないかと思うほど難しい。
- ゲームビジネスで一番不足しているのは、デザイナーでもプログラマーでもなく実は才能あるディレクター。ゲームで遊んでいる人が心から満足して得心できる、それを私たちは完成度と言っているんですが、この完成度を高めるのがディレクターの才能なんです。
- ソフトメーカーには、種と仕掛けがなくなってきてダメソフトが増えていきます。
- 日本ではブームに乗ったと思ったら執着しないほうがいい。それはもう売れなくなるという意味だと受け止めるべきで、善後策をたたておかないと手痛い目にあう。一つの価値観や目先の目標にとらわれないことこそ大切。
- ゲーム製作者も、野球選手も棋士も力士もソフト屋。天才とそうでない者の差は紙一重。そのわずかな違いが天地の差につながるのがソフトウェアの面白さ。
- なにより大事なことは、娯楽というものは飽きられるものだということ、ここが必需品と根本的に違うところです。必需品は飽きられない。そして基本的には、安いほうが売れる。
- 遊び方にパテントは無いわけです。
- 大企業は失敗を恐れ、堅実策をとりたがる。いわば8勝7敗でいいという思想です。しかし中小企業なら14回続けてミスしても、一発ヒットが出ればミスは帳消しできる。私たち中小企業は思いきった冒険ができるという利点があるから、大企業の消極的戦略は少しも怖くないのです。
- CD-ROMは、ユーザーサイドからどんな特徴を持つものか見直さなければならない。大容量や映像・音声が優れているというのは、独創的な面白さには何の関係もない。
- 冒険精神は必要不可欠のものだが、何も現在、小は小なりにうまく暮らせているものを、態々火傷しに行くことはないという気持ちも私にはあります。任天堂の場合、どこへ行っていいか判らなかった。だが現実に何かしなければ会社が無くなる。そういう危機意識が非常に強かった。
- 運を認めないといけない。運を実力だと錯覚するということは、これほど愚かなことはないんです。経営者としてね。ところが、人間ですからついつい運の存在を無視して「俺の力だ。俺のやり方が良かったんだ」と言いたいんですわ、人というものはね。それは駄目。
- テレビゲーム本来の姿や実像がかすみ、テレビゲームの前途が危うくなっています。
- ソフト主導であるゲーム市場で、次世代なんて言葉はおかしい。
- 今のネットゲームはマニアのためのゲームになっている。一般に受け入れられるとは思えない。ネットゲームが利益の出る事業になるのか疑問だ。『iモード』で儲かるのはNTTドコモばかりで、コンテンツの配信業者の利益にはつながっていないではないか。
- 倒産の危機も経験して、借金をすることがいかに惨めなことかを痛切に感じた。借金をしないことだけは、集団指導体制なっても申し送りたい。
- テレビゲームというものは、映画と違うわけです。見てその価値を判断するものではなく、遊んでみて楽しいか面白いかどうかを判断するのがテレビゲームなのです。
- これまで同様、楽しさと面白さを模索し続けていくだけだ。その結果優れたゲームができれば望ましい。今後、売り上げの減少があるかもしれないが、それは仕方ないのではないか。
- これまでの延長線上のゲームでは利用者の支持は得られない。平成14年クリスマスという大きな目標はあるが、それまでに、新しくかつ面白いゲームを出せなければ、『ゲームキューブ』は失敗する。
- よそと同じことをしない
- 異業種には絶対手を出すな。
- 私が知る範囲では、今ネット、ネットと言っている人たちは、ゲームがわかってない人たちだと思いますね。ゲームをわかってない人たちがネットワークゲームと言うとる。これは恐らく、私個人の考えではうまくいくはずがないと思っています。
- ゲームソフトを作れる技術屋というのはたくさんいます。しかし、本当に才能の豊かな、経験を持った有能な人は極めて少ない。
- 花札とトランプから離れていった理由は、これら伝統的な遊びの人気が落ちたからなんです。時代が変化したんです。そのため止むを得ず転換を図った。それだけのことでしかない。それ以降、幾多の苦難を経ながら、ともかく生き延びてこられたのは、本当に運がよかったからだ。
- ゲームソフトを2、3年かけて作っていたんでは、ゲームビジネスは栄えない。また、ゲーム会社も利益を得られなくなる。
- 大容量を使って音声と映像を垂れ流し、ゲームに迫力を付けようとする。しかしゲームというものは、その内容が肝心なのです。音声や映像を垂れ流しても、駄作は駄作。
- パソコンOSという特定の分野でたまたま成功し、独占的地位を守ることに精を出してきたマイクロソフトが、安易に手を出せるような世界ではない。このことは、マイクロソフトのような質の違う会社には絶対分からない。
- 人生は、要するに向き不向きと、人知の及ばざる運・不運で決まるのではないか。そういう意味で運を信じているということなんです。
- 娯楽の世界では、かつて経験したことのない遊び用具を提供できればいい。既にあるものを改良するという発想では絶対うまくいかない。だから任天堂は、 新しい発想を求め、創造することに全てのエネルギーを費やしてきた。 それがモットーなんです。
- これまでのマイクロソフトは”ツキ”過ぎだった。人間も企業もツキはいつか必ず落ちるもんでしょ。ゲイツも決して神様ではなかったということが、そう遠くない将来に証明されることになるだろう。
- ゲームビジネスは特殊で、世界を駆け回って有力な人たちと絶えず交流を持ちながら、今後のあり方を勉強しなければならないが、残念ながらそのエネルギーがもうなくなってしまった。
- ROMカセットは、ユーザーにとって読み込み時間がないという利点があるが、それよりもカセット内にマスクROM以外の半導体を内蔵させる事で、新しい提案をしたい。
- 岩田聡社長はゲームソフトの企画者出身だから任天堂の中だけでなく、他社の有能な技術者の発想も取り入れて面白いゲームを作るだろう。すぐには難しいだろうが、一年程度経てば私の社長時代からの変化が目に見えて出ると思う。
- だから、ゲームなんてユーザーにとっては、いざとなったらなくても差し支えない。面白くもおかしくもないゲームに高い金を払って付き合う義理はまったくないでしょう。