司馬遼太郎の名言集
2014/03/18
司馬 遼太郎(しば りょうたろう、1923年(大正12年)8月7日 1996年(平成8年)2月12日)
ノンフィクション作家、評論家。本名、福田 定一(ふくだ ていいち)。大阪府大阪市生まれ。筆名の由来は「司馬遷に遼(はるか)に及ばざる日本の者(故に太郎)」から来ている
産経新聞社記者として在職中に、『梟の城』で直木賞を受賞。歴史小説に新風を送る。代表作に『国盗り物語』『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など多くがあり、戦国・幕末・明治を扱った作品が多い。『街道をゆく』をはじめとする多数のエッセイなどでも活発な文明批評を行った。
- 世の中の人は何とも云えばいへ。我がなすことは 我のみぞ知る。(「竜馬がゆく」)
- 「昨日の夕陽が、きょうも見られるというぐあいに人の世はできないものらしい」((土方歳三「燃えよ剣」)
- 多くの国々にあっては古代以来の文化が累積し、近代に入ってやっとその上に法が載るようになった。…アメリカだけが逆だった。広大な空間を法という網で覆い、つぎつぎに入ってくる移民に宣誓させ、その法に従わせるということで、国家ができた。(アメリカ素描)
- 政治家や革命家が一時代を代表しすぎてしまった場合、次の時代にもなお役に立つということは、まれであるといっていい。(「翔ぶが如く」)
- 男子は生涯一事をなせば足る。 (「坂の上の雲」)
- 例えば、友達が転ぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分の中で作りあげていきさえすればよい。(「二十一世紀に生きる君たちへ」)
- 君が天才であろうとなかろうと、この場合たいしたことではない。たとえ君が天才であっても君は最高司令官に使われる騎兵であるにすぎない。要は君の使い手が天才であるかどうかということだ(「坂の上の雲」)
- 日本人は、いつも思想はそとからくるものだと思っている。(「この国のかたち」)
- 人生は一場の芝居だと言うが、芝居と違う点が大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。なまの人生は、自分で、自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、その上で芝居をするのだ。他人が舞台を作ってくれやせぬ。(「竜馬がゆく」)
- 今はアメリカで市民権をとることが容易ではないにせよ、そのように文明のみであなたOKですという気楽な大空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこには移住せぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感が人類のどこかにあるのではないか(アメリカ素描)
- 人間というものはいかなる場合でも、好きな道、得手の道を捨ててはならんものじゃ。(「竜馬がゆく」)
- 人の世に道は一つということはない。道は百も千も万もある。(「竜馬がゆく」)
- わけ知りには、志がない。志がないところに、社会の前進はないのである(「菜の花の沖」)
- 「一生というものは、美しさを作るためのものだ、自分の。そう信じている。」(土方歳三「燃えよ剣」)
- 自分はちかごろこう思っている。志操と思想をいよいよ研ぎ、いよいよするどくしたい。その志と思いをもって一世に跨がらんとしている。それが成功するせぬは、もとより問うところではない。(吉田松陰「世に棲む日日」)
- 彼らは明治という時代人の体質で前をのみ見つめながらあるくのぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう(「坂の上の雲」)
- 秀吉だけの事業をするには、中川一人ぐらい殺してもよいと思う。中川もまた秀吉ほどの人の犠牲になら甘んじてなってもよかろうと思う。僕が秀吉の位置にいたらやはりこんな事をやるかも知れぬ(正岡子規「坂の上の雲」)
- 勇気と決断と行動力さえもちあわせておれば、あとのことは天にまかせればよい。(「関ヶ原」)
- 家庭、団欒、そういうものを相手にしていては、男子はほろびる(「世に棲む日日」)
- いったん志を抱けば、この志にむかって事が進捗するような手段のみをとり、いやしくも弱気を発してはいけない。たとえその目的が成就できなくても、その目的への道中で死ぬべきだ。(「竜馬がゆく」)
- 試験は戦いと同様のものであり、戦いには戦術が要る。戦術は道徳から解放されたものであり、卑怯もなにもない(秋山真之「坂の上の雲」)
- 人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある(「最後の将軍」)
- 本当の日本なのかと思ったりした。(中略)ひょっとするとむかしの日本や日本人はちがっていて、昭和という時代だけがおかしいのではないか、とも思ったりした(「この国のかたち」)
- 気合のようなものだ。いくさは何分ノ一秒で走りすぎる機敏をとらえて、こっちへ引きよせる仕事だ。それはどうも知恵ではなく気合だ(「坂の上の雲」)
- 人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるということだ。(「竜馬がゆく」)
- 中国に住む大多数のひとびとは、歯揮いほどゆったりしている。そのときどきの政情に多少の懸念を感ずることがあるにせよ、ほぼ天地とともに呼吸し、食ヲ以テ天トナスー-食えたらいいじゃないか-という古来の風を、革命後ものこしている。(「この国のかたち」)
- 大久保は儒教的な思弁性を好まなかったが、かといってヨーロッパずきでもなく、また文明開化をすすめながらも軽桃なところがなかった。冷厳あるいは冷酷なほどに現実を見つづけた人物で、太政官のたれもがそういう大久保に畏服しきっていた(この国のかたち)
- 自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。(「二十一世紀に生きる君たちへ」)
- アメリカにあっては、文明だけで国ができている、などということを、文化(慣習)の充満した他の国びとは想像できるだろうか。 私どもの多くは、文化(慣習)のままに生きていて、結構法を犯さずにすんでいる。(「アメリカ素描」)
- 「近藤さん、あんた日本外史の愛読者だが、歴史というものは変転してゆく。 そのなかで、万世に易(かわ)らざるものは、その時代その時代に節義を守った男の名だ。新撰組はこのさい、節義の集団ということにしたい」(「燃えよ剣」)
- 漢(おとこ)の腹中には一分というものがある,この一分によって働き,一分によって死ぬものだ(「新史太閤記」)
- 涙という。どちらかと言えば、自分に甘ったれた感情で難事を解決できた事は、古来ない。(「峠」)
- 思想とは元来虚構である。狂気で維持しつづけることによって、世を動かす実体となる(「世に棲む日日」)
- おれはこの世で何物も持ち合わせておらぬ。金も門地も―せめて律儀でなければ人は相手にすまい。(「新史太閤記」)
- 自然現象のなかで雨というものほど、人生に食い入っているものはない(「坂の上の雲」)
- 人々にとって、志さえあれば、暗い箱の中でも世界を知ることができる。(「二十一世紀に生きる君たちへ」)
- どうもあしにはまだよくわからんが、人間というのは蟹がこうらに似せて穴を掘るがように、おのれの生まれつき背負っている器量どおりの穴をふかぶかと掘ってゆくしかないものじゃとおもえてきた(「坂の上の雲」)
- おれは落胆するよりも次の策を考えるほうの人間だ。(「竜馬がゆく」)
- 気運というものは、実におそるべきものだ。西郷でも木戸も大久保でも、個人としては、別に驚くほどの人物ではなかった。けれど、かれらは「王政維新」という気運に乗じてやって来たから、おれもとうとう閉口したよ。(勝海舟「燃えよ剣」)
- (忍者について)刃物の上を素足で渡るようなこの職業にとって、技術の巧拙よりもむしろそれを支えている魂のきびしさがかれらの第一義とされてきた。(「梟の城」)
- けんかをせずに勇気を湛えているのが真の豪傑じゃが(正岡子規「坂の上の雲」)
- 大久保には厳乎とした価値観がある。富国強兵のためにのみ人間は存在する―それだけである。彼自身がそうであるだけでなく、他の者もそうあるべきだという価値観以外にいかなる価値観も彼は認めていない。…歴史は、この種の人間を強者とした。(「翔ぶが如く」)
- たしかに日本人はつねに緊張している。ときに暗鬱でさえある。理由は、いつもさまざまの公意識を背負っているため、と断定していい。(中略)「日本人はいつも臨戦態勢でいる」と、私の友人の中国人がいったことがある。(「この国のかたち」)
- 信長は、結局、人間を道具として見ていた。道具である以上、鋭利なほうがよく、また使いみちが多様であるほどいい。その点、秀吉という道具には翼がついていた。(「この国のかたち」)
- 少年少女が、いまの一瞬を経験するとき、過去や現在のだれとも無関係な、真新(まっさら)の、自分だけの心の充実だとおもっているのです。荘厳なものですね。(「二十一世紀に生きる君たちへ」)
- すぐれた戦略戦術というものはいわば算術程度のもので、素人が十分に理解できるような簡明さをもっている(「坂の上の雲」)
- 物事は両面からみる。それでは平凡な答えが出るにすぎず、智恵は湧いてこない。いまひとつ、とんでもない角度-つまり天の一角から見おろすか、虚空の一点を設定してそこから見おろすか、どちらかしてみれば問題はずいぶんかわってくる。(「夏草の賦」)
- 自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。(「二十一世紀に生きる君たちへ」)
- 庭や茶室ならば金さえ持てれば造作もない。贅沢とは、天下の大茶人を亭主にして作法もなく茶を喫むということじゃ(「梟の城」)
- 国に帰れば申し伝えておけ、いくさは利害でやるものぞ。されば必ず勝という見込みがなければいくさを起こしてはならぬ。その心掛けがなければ天下はとれぬ。信長生涯の心得としてよくよく伝えておけ(斉藤道三「国盗り物語」)
- 若いのだな。世に浅い、とでもいうか。つまり自分をふくめて人間というものがわかっていないから…田舎寺の和尚のようなことをいうのだ。人間、もってうまれたものを捨てられるわけでもなく、また捨てる必要もない。死ぬまで持ちこしてゆくものさ(最後の伊賀者)