本田 宗一郎の名言集

2014/04/05


Soichiro Honda

本田 宗一郎(ほんだ そういちろう、1906年11月17日 - 1991年8月5日

本田技研工業(通称:「ホンダ」)の創業者。ソニーの井深大などと並んで、戦後日本を代表する技術者・起業家として世界的に知られている。

正三位勲一等旭日大綬章
米国自動車殿堂入り
上智大学名誉工学博士
ミシガン工科大学名誉工学博士
1906年
:11月17日 - 静岡県磐田郡光明村(現浜松市天竜区)で鍛冶屋をしていた本田儀平と妻みかの長男として生まれる。本田は「私の履歴書」に「おじいさんの代には農業をしていたが、おやじの代になって鍛冶屋をはじめ、家は貧乏だった。それでよく妹を背におんぶして学校に行ったり、ふいごを押して父の手伝いをした。」と書いている

  • 人間死ぬときは、金も名誉も関係ないはずだ。なまじ金持ちになったりするから、家庭や兄弟が悶着を起こしたりする。死ぬまで金に執着したり、金の力に頼らなきゃ何もできない人間は不幸だと思う。
  • 失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら十回失敗した人をとる。同じ時間なら失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。
  • 人間、生をうけた以上どうせ死ぬのだから、やりたいことをやってざっくばらんに生き、しかるのち、諸々の欲に執着せずに枯れ、そして死んでいくべき、という考え方だ。
  • 技能というものは、その人一人の性格にこだわるから不安定である。アイデアで解決したものは安定している。
  • 新しいことをやれば、必ず、しくじる。腹が立つ。だから、寝る時間、食う時間を削って、何度も何度もやる。
  • ホンダだけがターボ禁止なのか?違うのか、馬鹿な奴等だ。ホンダだけに規制をするのなら賢いが、すべて同じ条件でならホンダが一番速く、一番いいエンジンを作るのにな。
  • 私は不得手なことは一切やらず、得意なことだけをやるようにしている。
  • 楽をしたければ人真似をするのも自由だが、そうなると企業は転落と崩壊の道をたどり始めます。人真似をするな。
  • 社長なんて偉くも何ともない。課長、部長、包丁、盲腸と同じだ。要するに命令系統をはっきりさせる記号に過ぎない。
  • 年寄りが経営者であり続けるなら、せめて若い人の悪口を言わないという保障をしてほしい。もうひとつの注文は、時代の変化を勉強すること。
  • 私は自分と同じ性格の人間とは、組まないという信念を持っていた。
  • 困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えば大抵のことは出来るんだから。
  • 技術者だからそこ自重してはならない。
  • 別に金持ちになりたくて働いていたわけじゃない。仕事が面白くて仕方がなかったんだし、遊びたいために、一生懸命に働いた結果、会社の若い連中もついてきて、今日まで発展してきたんだ。
  • 天才とか聖人とかいう人を除けば、人間はみな似たりよったりの能力と、感情の持ち主である。これを悟らなければならないと思う。つまり、我も人なら、彼も人なのである。
  • かけがえのない「若さ」も、それを自覚していなければ、「豚に真珠」「猫に小判」で、あってなきに等しい。
  • 飾りによってデザインの効果を現そうとする考え方は邪道だということだ。実用品自体が飾りでありデザインであるということでなくてはならない。
  • 自分はこれが好きだと思い、自分はこれを職業としたいというものを発見させるのが、教育の主眼のひとつであろう。
  • 一度、真似をすると、永久に真似をしてゆくのである。創意工夫、独立独歩、これをつらぬくにはたゆまぬ努力がいるし、同時に、ひとりよがりに陥らぬための、しっかりした哲学が必要となるわけだ。
  • こちらが悪ければ、悪い人間が寄ってくる。こちらが信用することによって、信用される人間が生まれる。
  • 男同士の友情なんて派手な言葉は好きじゃないが、他人に友情を求めるなら相手の秘密を絶対に守ること。人間親しくなれば当然相手の不可侵領域まで立ち入るようになる。それを軽々しく他人に喋るようじゃ、友情だの信頼だのが成り立つわけがないよね。
  • 人間が進歩するためには、まず第一歩を踏み出すことである。躊躇して立ち止まっては駄目である。なぜなら、そこにどんな障害があろうと、足を踏み込んで始めて知れるからだ。失敗はその一歩の踏み込みだと思う。前進の足踏みだと思う。
  • 私の現在が成功というのなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることになる。私の仕事は失敗の連続であった。
  • 新しい発想を得ようと思うなら、まず誰かに話を聞け。
  • ジョークを言えない人とは付き合えない。仕事だってなめらかにできない。そういうことを案外忘れているのじゃないか。
  • 人間というものは、面白いものであり、不思議なものであり、必要のない人間というのはいないのである。
  • 会社はつぶれてもいいから、人の真似をするのだけは絶対にいやだ。
  • 私は怒っても、その人間を憎むことはしない。偽りのない気持ちを相手にぶつけることが大切。
  • 私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である。
  • 学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、それを人間のために有効に使って始めて、すぐれた人間だということができるのだと思う。何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか。
  • 世間でいう「悪い子」に期待している。なぜならそういう子どもこそ個性にあふれ、可能性に満ちた本当の意味の「いい子」だからである。
  • 俺が好きなことばかりやってこれたのも、会社でも家庭でもいいパートナーがいたからなんだ。
  • 人生は見たり、聞いたり、試したりの3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり聞いたりばかりで一番重要な、「試したり」をほとんどしない。
  • 悲しみも、喜びも、感動も、落胆も、つねに素直に味わうことが大事だ。
  • 「今の若いものは・・・」なんて批判する。口で言うだけならまだいいが、伸びる目まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、老害以外の何物でもないからね。そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。
  • 芸術でも技術でも、いい仕事をするには、女のことが分かってないとダメなんじゃないかな。
  • 進歩とは反省のきびしさに正比例する。
  • 行動にはつねに動機があり、目的がある。動機が正義であり、目的が善であって、その行動だけが悪だということは、人間にはありえない。
  • 発明は恋愛と同じです。苦しいと思えば苦しい。楽しいと思えばこれほど楽しいことはありません。
  • 少しでも興味を持ったこと、やってみたいと思ったことは、結果はともあれ手をつけてみよう。幸福の芽はそこから芽生え始める。
  • 自分の喜びを追及する行為が、他人の幸福への奉仕につながるものでありたい。
  • 我々は勝負師ではない。負けても何が原因で負けたのかを追求することに意義がある。
  • 我々は、最初から苦しむ方向をとったから、あとは楽になった。真似をして楽をしたものは、その後に苦しむことになる。研究者として大事なところはそこだろうと、私は今でも考えている。
  • 心機一転、やり直せばよいのである。長い人生の中で、そのための一年や二年の遅れは、モノの数ではない。
  • 当時、一生懸命がやたらと尊ばれた。たんなる一生懸命には何ら価値がないことを為政者は教えなかった。だから国民は一生懸命が価値を持つためには、正しい理論に基づくことが前提条件だということを悟らなかった。
  • 身のまわりにいくらでも転がっている幸福から、自分のものを選び出し、それを最高のものに高めることだね。時間だけは神様が平等に与えて下さった。これをいかに有効に使うかはその人の才覚であって、うまく利用した人がこの世の中の成功者なんだ。
  • 人を動かすことのできる人は、他人の気持ちになれる人である。そのかわり、他人の気持ちになれる人というのは自分が悩む。自分が悩んだことのない人は、まず人を動かすことはできない。
  • 人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか。
  • こちらが望んでいること、こうやりたいと欲していることをスムーズに受け入れてもらうためには、まず先方の心を知らねばならない。
  • 仕事上の親切というのは、相手を納得させることに尽きるのではないだろうか。
  • 失敗が人間を成長させると私は考えている。失敗のない人なんて本当に気の毒に思う。
  • 飛行機は飛び立つときより着地が難しい。人生も同じだよ。
  • 開拓者精神によって自ら新しい世界に挑み、失敗、反省、勇気という3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じています。
  • 成功者は、例え不運な事態に見舞われても、この試練を乗り越えたら必ず成功すると考えている。そして、最後まで諦めなかった人間が成功しているのである。
  • 勇気というのは強いからとか、勇ましいから勇気があるというのではない。たとえ、自分にとってどんなに不利な結果になろうとも、自分が真実であり、妥当であると考えたことを認め、それに賛成することこそが勇気である。
  • 伸びる時には必ず抵抗がある。
  • 耐える心に、新たな力が湧くものだ。全てそれからである。
  • 私はたえず喜びを求めながら生きている。そのための苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない。
  • 必死のときに発揮される力というものは、人間の可能性を予想外に拡大するものである。
  • 「若さ」を自覚してこそ、初めて苦しみに耐え抜く勇気も、明日への活力も湧いてくる。だから私は若い人たちにまず「若さ」の価値を知るべきだと声を大にしていいたい。
  • 私はうちの会社のみんなに、「自分が幸福になるように働け」っていつも言っているんですよ。会社のためでなく、自分のために働けって。
  • チャレンジして失敗を恐れるよりも、何もしないことを恐れろ。
  • 俺は外じゃ誰にも迷惑をかけないが、家じゃ女房に厄介をかけてばかりいる。だから頭が上がらないわけだ。俺にとって女房は昔からセーフティ・バルブの役目だった。
  • 拝む心がなければ人は動かない。つねに素直に。
  • 信用とは、人に好かれること、 約束を守ること、儲けさせることに尽きる。
  • 自動車メーカーの経営者が車の渋滞を起こすような、派手な社葬などしてはいけない。
  • 私の最大の光栄は、一度も失敗しないことではなく、倒れるごとに起きるところにある。
  • 世の中で一番素晴らしいものは若者のエネルギーだよ。こりゃあ進歩の原動力だ。社会ってのは常に有為転変するものだ。若い連中はそれに合わせて、ちゃんとやっていけるけど、年寄りはそうはいかない。
  • とかく他人に厳しく、自分自身に寛大なのは凡人の常だ。
  • ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。
  • すぐれたジョークは、すぐれたアイデアに通じる。
  • 日本人は、失敗ということを恐れすぎるようである。どだい、失敗を恐れて何もしないなんて人間は、最低なのである。
  • 私は、他人の真似をするのが大嫌いである。私は真似が嫌いだから、うちはうちの作り方でやろうということで苦労をしたわけである。しかし、かれらに追いつくまでに時間をかけて努力したことが、追いついてからのちの技術力の差になった。
  • 人間「得手に帆あげて」生きるのが一番良いからね。
  • これからの未来は、女性が車を乗る時代が来るだろうし、女性にアピールする車を作らないといけない。女性がいなかったら、俺は毛生え薬を試す事はないだろうし、服はドンゴロスに穴を開けたもので十分だが、女性がいるからこそ車も女性に注目されないといけない。
  • 多くの人は皆、成功を夢見、望んでいますが、私は、「成功は、99パーセントの失敗に与えられた1パーセントだ」と思っています。
  • 技術屋ってのは、手でモノを作る商売なんで、しゃべったり、文章を書いたりするのは俺は苦手なんだよ。
  • 自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。
  • 金なんかなくたって、心が豊かで、誰にも迷惑をかけずに、好きなことをやっていけたら、これが一番幸せな人生なんだろうな。
  • 技術者の正装とは真っ白なツナギだ。(勲一等瑞宝章受賞授賞式に作業着で出席しようとした時)
  • 1973年社長を退任した後「全ての従業員や関係者に挨拶をしたい」と、すぐさま行動を開始。3年の歳月をかけて、工場や研究所の社員はもとより、グループ企業の他、全国のホンダ車のディーラーやバイク屋のオーナーや従業員全てに挨拶して回った。
  • 若い社員たちは、俺がどんなに叱ろうが、怒鳴ろうがびくともしない。かえってやる気を起こすんだ。これが年寄りばかりだったら、そうはいかないよね。
  • 本田技研って会社が今日あるのは、パートナーがよかったからってだけじゃない。最大の理由は会社に若さがあったってことだろう。俺も藤沢も若かったけど、周りがみんなもっと若くて、エネルギーのある奴らばかりだったんだ。
  • 「当たり前のことを当たり前にやる」ってことかな。こんなことは人生訓にゃならないかもしれないけど、俺はこれまで当たり前のことを当たり前にやってきたつもりだよ。
  • (当時副社長の藤沢武夫が辞めるといったとき)「二人いっしょだよ、おれもだよ」「幸せだったな」「おれも礼を言うよ、良い人生だったな」(それで引退の話は終わった。)
  • イタリーのオートバイはすげえんだ。優秀な頭脳を持ってるし、技術もいい。ただ、大ざっぱなもんだから、よく溶接をしないんで、部品がすっ飛んでっちゃったりするんだよ。
  • 大衆はデザインを自分で考案しないが、優れたものをかぎわけ理解し、選び出す力を持っている。
  • 常識ってのは、人間が考えたことだ。それを疑って、打ち破っていくのが進歩なんだね。
  • 私が汗まみれになって働いたからホンダは成功したというのは、私にだけ通用することであって、他の人には通用しない。その人その人によって社長のやり方が違うのは当然である。
  • 技術屋というものは、失敗したときには必ず反省するが、成功したときに反省しない。どうして成功したかという復習がないんだ。
  • 科学技術に優先するものは人間の正しい思想だ。技術を持つ人間が、それをどのように利用するか、世の中に貢献するか、しないかで、その価値が決まる。
  • 開発当時はまだ、引退したとはいえ本田宗一郎さんが頻繁に研究所に来ていたんですね。よく言ってました、「あれ(NSX)どうなったどうなったー」って。
  • 最後にアメリカホンダが所有するテストコースに訪れたときに、テストコースまでの移動手段として選んだのは、レジェンドではなくNSXだった。
  • NSXのテールランプの造形は、本田宗一郎さんが「今まで見たことねぇ。これにしよう」と言ってくれて、それで決まったようなものです。
  • 三重県鈴鹿市に用地を確保し工場を新設することになった。当初の竣工地は水田地帯だったが、「田んぼを潰すのは、自分の目を失明させるようなものだ!」と激怒し、当時の原野に鈴鹿製作所を竣工している。
  • 米国に初めて工場を建設した際「正装」のツナギ姿で現れ、現地工員一人一人と握手し激励した。伝説的存在であるミスター・ホンダが自分達と同じ格好で親しく接してくれた事に感動し、米国に進出した日本企業を必ずと言ってよいほど悩ませていた労働争議が一度も起き
  • 私は年寄りだから新しい開発からはもう手を引いているが、一応今の若い連中が何をやっているか見せて貰っている。でもわからないんだな。だからこそ嬉しいんだ。この年寄りに分るような事をやっているのならうちの若い連中はボンクラですよ。僕に分らない事をやって
  • (狭山製作所にお忍びで訪問した際、社員食堂で冷めた食事を出され)こんなメシを従業員に喰わせて、いい仕事ができると思っているのか!(と料理長にカミナリを落とした。)
  • (ポケットのことを注意した工員を班長は叱ったが、本田は)こんな仕事熱心なやつを叱るほうがバカだ!(と怒った上、注意した工員を手放しで褒めた。)
  • 来年も最高のエンジンを作ってやるからな(1988年、初めてF1ワールドチャンピオンを獲得したアイルトン・セナの記念パーティの席でセナに対し)。
  • 高校生から教育の名の下にバイクを取り上げるのではなく、バイクに乗る際のルールや危険性を十分に教えていくのが学校教育ではないのか。
  • CVCCエンジンの開発に成功した時に「車が売れる」と宗一郎は喜んだが、CVCCの開発に携わった者達から「排ガスによる公害を減らすためにCVCCを開発したのであり、売上げのために作ったのではない」と反発を受けた。
  • 何かを深く信じれば、誰でも自分の中に大きな力を見つけだし 自分を乗り越えることができる。
  • 発明考案にしても、人より一分でも一秒でも早ければ、特許になる。すべてスピードじゃないですか。だから、スピードを否定したら、発明的創意工夫もないし、そこにウィットもないはずです。
  • 隣同士が同じ製作所の人間だったら、必然的に仕事の話になるから、なるべく家を買って離れ離れに住んだ方が良い。休日は仕事を忘れて遊ぶなり休むのが普通だろ?
  • 遺言は「遣り残した事は無い。満足だった」現在は地元・静岡の富士山の麓の墓地に墓があるが、大変地味な墓である。
  • (亡くなる1ヶ月前)俺なんか瀬戸物のカケラにしか過ぎないよ。藤沢を始め、多くの人たちがいたからこそ、会社がここまで成長できたんだ。退職した人や全ての顧客なども含めて、全ての意味でHONDAと俺に関わった人に感謝してやまない。
  • ある日、宗一郎が工場を巡回していると、若い工員から「おいっおっさん!なにズボンのポケットに手突っ込んで歩いてんだ! 転んだらどーすんだ!」と注意された。その後「正装のズボン」からポケットが全て取り外された。現在もズボンのポケットは無い。
  • (本田はホテルの宿泊名簿や、飛行機の乗客名簿の職業欄に「会社員」と書いていた。本田を知る人間が訪ねると)社長も、工員も同じ会社員じゃないか?そんなにおかしいかな?(と言った)
  • 石橋だと分かれば叩かずに、どんどん渡っちゃう。
  • とても便利とはいえない鈴鹿市に工場を置いたのは、鈴鹿市側の「渋茶1杯」で誠実に説明してくる熱意に惹かれたからだ、と述べている。
  • 金をかせぐよりも時間をかせげ。
  • 人間に必要なのは困ることだ。絶体絶命に追い込まれたときに出る力が本当の力です。
  • 百のうち九十九は失敗。
  • やろうと思えば人間はたいていのことができると私は思っている。
  • 嫌いなことを無理してやったって仕方がないだろう。
  • (勲一等瑞宝章受賞授賞式に作業着で出席しようとした時の名言)技術者の正装とは真っ白なツナギ(作業着)だ。(しかし周囲に止められた為、仕方なく礼服で出席)
  • (本社ビルを建設するときの名言)万が一地震が起こったときに、割れたガラスが歩道を歩く人に降りかからないようにしなさい。(この言葉の通り、本社ビルの全フロアにバルコニーがつけられている。)
  • 実を言うと、社長をやっていた時は金儲けが財産だと思っていたけど、結局、友達こそ本当の財産だなあ。
  • 苦しい時もある。夜眠れぬこともあるだろう。どうしても壁がつき破れなくて、俺はダメな人間だと劣等感にさいなまれるかもしれない。私自身、その繰り返しだった。
  • 若い人がエネルギーを思いきり何かにぶつけている姿を、私は美しいと思う。若いくせに、周囲ばかり気がねして、コセコセとちぢかんで生きている若者が世の中にはたくさんいる。これでは、若者という名の皮をかぶった老人にすぎない。
  • 模倣はあくまで手段であって目的でない。この自覚の深さが、やがて立派な個性を生み出すのだと思う。
  • 人には失敗する権利がある。だがしかし、それには反省と言う義務が付く。
  • 人生は見たり、聞いたり、試したりの三つの知恵でまとまっているが、その中で一番大切なのは試したりであると僕は思う。ところが世の中の技術屋というもの、見たり、聞いたりが多くて、試したりがほとんどない。僕は見たり聞いたりするが、それ以上に試すことをやっている。
  • 会社の上役は、下の連中が何が得意であるかを見極めて、人の配置を考えるのが経営上手というものだ。社員の方も「能ある鷹は爪をかくさず」で、自分の得手なものを上役に申告することだ。自分が楽しみながら働くためには当然のことだと思う。
  • 私にあるのは、教わって知った知識とともに、実行して知った知識、つまり経験である。このふたつが、私を未来へ進ませる力になっているのだ。
  • 1パーセントの成功のため、得意な分野でさえ99パーセントのつまづきを経験した。私のように得意なことを一途にやっても、つぶれかけることがあるのだ。不得意な分野に手を出して失敗するのも当然かもしれない。
  • 企業が発展し続けるためにはどうしたらよいか。それは、能力や資質がさまざまに異なる人々が、どの程度、共通の目標のもとに一緒に努力を傾けるかにかかっている。
  • 教わったということは、あくまでも過去なんです。自分で知ったことは、これから未来へ通じる道なんですよ。
  • 友情は、人間感情の中で最も洗練された、そして純粋な美しいものの一つだと思う。
  • 楽にやれる商売はないが、楽しくやれる商売はある。
  • 自分が悩まない人は、他人を動かすことができない。
  • 私は人間関係の最も基本的なものが夫婦であり、最も洗練されたものが友情だと思う。
  • 心のよりどころは「この俺がこれほど打ち込んでいる以上、絶対に成功する」という自尊心であった。
  • 貧困にあえぎともすれば苦難に打ちのめされそうな人は、早く自分の得意なものを発見することだ。そして、それを大切に育てよう。きっとそれが心の支えになり、未来に横たわる輝かしい栄光への力強いバックボーンともなってくれるだろう。
  • 真のエキスパートは不可能の壁を打ち破るところに、無上の喜びをもつものだ。
  • 欠陥の多い人間は、特徴も多い人間だ。
  • 貧乏な家に生まれたからとか、いま貧乏で学校にいけないからといって悲観することはない。貧乏するとはじめて人間の本当の喜びや悲しみがわかると思う。
  • 家庭人として、社会人として自分の意思のままに行動してそれが無意識のうちに肉親や友人や隣人の幸福にプラスし、社会や国家の発展に寄与できるという自由人でありたい。
  • 目先の成績にこだわり、独自の哲学に基づく創意を少しでも放棄するような考え方が生まれたとき、企業は転落と崩壊の道をたどりはじめるだろう。
  • 現在、この瞬間は過去でもあり、未来でもあるわけだが、過去における知識の蓄積は、未来に役立てられるものでなければ、それは“知っている”という名のお荷物である。
  • 僕はうちの重役に言っているんです。お前らの気に入らない人も採用しろってね。でないと、うちの役員より優秀な人が我が社には入れなくなるからね。
  • 事業というやつは、抜け目がないとか、しっかりしているとかいう人間ばかりでは成功しませんな。真に創造的な人間はオッチョコチョイかもしれないね。とにかく常識のワクを破らなくちゃいけないんだから。
  • 自分はたぶん、他のどんな人よりも自分に忠実に生きてきたという自信がある。そういう自分をいつわらずに、もう一度見つめ直して自分に納得できる造形をつくろう、それが必ず新しいデザインにつながるのだ、と思った。
  • 企業で一番こわいのは社長の無知です。人は年齢と言いますが、問題は持っている知恵が古くなることです。そうすると、過去がどんなにえらかった経営者でも、会社を潰すことになります。
  • アイデアは人間である。優れたアイデアは優れた人間から生まれる。
  • 考え方はかなり違うが、違うからこそ組む価値がある。
  • 『働く』という字が、『動く』という字と違うところは、その左側に『人偏』が付くと付かないの違いであるのは、人間である以上頭を使って動け、そうすれば前進的な仕事ができるのだということを示している。すなわち、『人偏』をとった人間の能力は二十分の一馬力に過ぎないが、『人偏』がつけばその能力は無限大の可能性をもって広がるに違いないのである。
  • 言葉とか文字では人は動かせない。
  • 私の頭の中に創造力というバッテリーが詰まっているわけではない。苦し紛れの思いつきなのである。
  • 人間の幸福を技術によって具現化するという技術者の使命が私の哲学であり、誇りです。
  • 猿が新しい木登り技術を学ぶために、ある試みをして落ちるなら、これは尊い経験として奨励したい。
  • 人生というものは、最後まで行かぬと成功だったか失敗だったかはにわかに断じ難いものなのである。
  • 作業着や手の爪の中を真っ黒にしてそう判断したなら俺は信用する。でも自分でやりもしないで、頭の中だけで正しい、間違っていると判断するようなヤツは信用しないぞ。
  • やってみないと、できるかどうかわからないんだろ?なら、やってみろ。
  • 大事なのは、新しい大きな仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程に99パーセントの失敗が積み重ねられていることです。
  • 人間がいろんな問題にぶつかって、はたと困るということはすばらしいチャンスなのである。


-は~ほ, , 殿堂入り
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