地獄のミサワ(じごくのミサワ、1984年4月5日)
日本の男性漫画家。『俳優伝説』で第68回赤塚賞に準入選しデビュー
中学生の時からインターネット上でネタ投稿を行っていた。
また太田プロダクションの『ウェブ大喜利』などにも盛んに投稿を重ね、その時に知り合った友人が放送作家になった縁でテレビ番組で使用される挿絵を描く仕事もしたという。
しかし基本的にはプロの漫画家として活動した経験はなかった。
中学校卒業後は「高校に行かずにお笑い芸人になる」と両親に打ち明け、大検(現在の高認)の科目免除のために通信制高校へ通学する一方、お笑い関係のスクールに通う日々を送った。
しかしお笑い芸人への道は途中で諦め、大検取得後も大学や専門学校に進学することも就職することもなくニートとして生活していたという(本人曰く「引きこもり、ニート、草食系男子といったトレンドには全て乗れた」)。
デビュー後のインタビューでも「(経済的に)今もニートです」と語っている。
2008年、松原真琴に誘われて参加した手塚賞・赤塚賞の懇親会でこれからの作家活動について熱い議論が交わされる中、気が付いたら場を仕切る立場になっており、周囲の漫画家からは「あいつは一体何者なんだ」と思われていたという。
居合わせていた松原から「来年、壇上に上がってたら面白い」と赤塚賞への応募を勧められ、翌年に『俳優伝説』で実際に第68回赤塚賞準入選となる。
『ジャンプスクエア』2010年2月号にてギャグ漫画『カッコカワイイ宣言!』を連載開始。
同年11月にはテレビ東京において4話限定でアニメ化された。
『週刊少年ジャンプ』2011年5・6合併号に「ニューイヤーギャグ伝」として『カッコカワイイ宣言!』が掲載された。
漫画家になったきっかけ
- 「自分では普通だと思ってたけど、お前のイラストなんかムカつくよねって言われて。自然とムカつく感じになっちゃってたんですよね」
- 「小説家の知り合いから言われて、しょうがないから描き始めました」
- ブログは「やっぱり女子大生とかOLにウケたくて」始めた
- 影響を受けた漫画は「ワンピース」
- 漫画家を目指したきっかけは「人に言われたから」
行動
- 盲腸で入院した際に担当医から、「間違って食べちゃった?それとも普段から食べたりしてる?石」と聞かれた
- 富士急ハイランドから絶叫マシンのポスターの仕事を受けたが、絶叫マシンに乗ることを拒否し、サーティワンと引き換えにしぶしぶ乗った
- 全く関係ないのに手塚賞・赤塚賞の懇親会に出席し、「気が付いたら場を仕切っていた」
- 客席にいた編集長をステージに呼び出し、編集長に頭を下げさせた
- 客席からサインをせがまれ「110名なら無理だったけど、35名の精鋭なので」と快諾
- ラーメンのパッケージイラストの仕事で、何の商品パッケージなのか聞かないまま依頼を引き受けた
- スラムダンクに影響を受けバスケ漫画を描いたが、4ページ目で全てのチームメンバーが揃ってしまい話が続かなかった
- インタビューになぜか両親同伴で来た
- イベントに来たファンに「地獄のミサワを知らないけど、何かやってるから来ちゃった人?」と質問
- イベントで家での過ごし方を具体的に聞かれ「具体的に聞くのやめてくれませんか?」と答えた
- 110席用意したのにトークショーの参加人数が35人だったことについて「偉い人の謝罪がほしい」と発言
編集者との確執
- 担当は「何か不安なことはない?」と聞いても「何もないと言われる」と語っている
- ファンに密かな人気がある担当編集者をファンの前で「名物編集者になりたいんだろ」と糾弾
- 「担当さんに弱いところを見せないんですね」と聞かれ「見せません」と答えた
- 「初対面の最初の一言が、僕は君の絵が大嫌いだったんです」
- 「まあ、編集長がですね、僕の漫画が嫌いなんですね」
今後の事について
- 「集英社の専属契約がほしいですね」
- 「単行本が500万部くらい売れて、ラクして暮らしたいです」
- アニメ化に期待していることは「地元の友達にバレないこと」
- 将来の野望は「家で静かにしてるだけで、金がバンバン入ってくる感じ」
作者の現在
- 家にいるときは「何にもしないで、時間が経過してる感じ」
- 「漫画家ってすごい生活が待ってるぞって感じだったんですけど、どこにもなかったですね」
- 「ヒキコモリとか、ニートとか、草食系男子とかそういうトレンドには全部乗れた気がしています」
その他エピソード
- 盲腸手術の際、腹部を切開したら石ころが出てきた。これには医者にも首をかしげられ、その際に「普段から石ころとか食べてる?」と質問された。
- ちょっと高いところにある棒にかっこよくつかまろうとしたら、手首が折れた。
- 自身がかつてニートであったことから、ニートに対して何かアドバイスはないですか、と問われて「ないですね」と即答した。
- かつては『ファンタスティック・フォー』の岩男(ザ・シングもしくは初代アニメの日本語版(宇宙忍者ゴームズ)におけるガンロック)に似ていたが、その後痩せてジョニー・デップに似てきた。好きでジョニー・デップに似ているわけではないと公言している。
- 『カッコカワイイ宣言!』の単行本発売・アニメ化に際し、編集担当の林とニコニコ生放送に何度か出演し、テーマソングの制作活動などをしていた。
- ASCIIとの対談時、ミサワが一人で取材を受けることに緊張や不安を覚え、いくたびか両親に「一緒に来て」と懇願し、同席してもらっている。ミサワの母は「ずっと家に引きこもっていた子だったので、外に出る機会が出来たのなら手助けをしたいと思った。それに、普段ほとんど会話がないので(ミサワの方から)話しかけてくれたことが嬉しくて、一緒に来ました」と述べている。両親との会話は常に「教えない」と答えていたという。
- 2010年5月21日、『サキよみ ジャンBANG!』にゲスト出演。「(自身の)漫画のキャラに合わせた」という理由で、白いデニムのボトムを購入し、自らハサミでショートパンツ丈にカットしたものを着用して登場。緊張からか終始落ち着きのないテンションで他の出演者を圧倒した。
- 2011年2月12日、アニメイト横浜店で開催されたトークショーで、110人程度入る会場に観客が35人しか集まらなかった。その様子はニコニコ動画で放送されることが決定していたので、ミサワは大恥をかかされたと言い、『ジャンプスクエア』編集長・茨木政彦およびアニメイト横浜店店長に謝罪を求めるという珍事があった。
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