桑田 佳祐の名言集
2014/03/18
桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日)
神奈川県茅ヶ崎市出身のミュージシャン、シンガーソングライター、サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当
所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともある。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長170.3cm、体重67kg。A型の右利き。愛称は「すけちゃん」「ケイちゃん」「桑っちょ」など。 1982年に、サザンのキーボーディスト・原由子と結婚し、これまでに2男を授かる。芸能界きってのおしどり夫婦として知られる。
- クワタ・バンドを、というか、サザン以外のバンドをやってみたいなぁと思い始めたのは1985年の暮れ、だっけな……アレを見てたんですよ、アーケイディアとかパワー・ステーションを、MTVでね。こういう方法がメジャーで出来るんだったらっていう、ほんの一瞬の閃き
- でも、ほんと大人にならなくちゃいけねぇなあというふうに思うときはありますよね。そうなんだよね。難しいけどさ。鼻クソほじらないとか、あと、歯は毎日磨くとかいうのも社会人の一歩だと思うんだ。煙草すうなよとかっていうの。
- 合格発表は青学が最初でね、青学から「受かったよ」って家に電話したら、うちのオフクロなんて畳の上にのたうち回って泣いてさ、「なんておまえは運のいい奴だ」だって(笑)。
- TV局なんかで「アーティストの皆さん、こちらへお願いします」とか言われると、俺はヘソ曲がりなんであんまり席を立ちたくない。「歌手の皆さん」って呼ばれれば喜んで立つ。そう呼ばれて立つのは俺と北島三郎さんと村田英雄さんしかいないにしてもさ(笑)。
- 江の島→それこそ、あれが勘違いのもとだったんですよ。あそこの駐車場を暴走族がたまり場にしちゃったという、あそこが暴力とセックスの温床になっちゃったということがね。あの横たわった小さな島に、悲劇も喜劇もすべてのみこまれている。
- コンビニでも、見てない一角があったりすると気になって仕方がない。で、その一角を見に行ってみると、小豆とかかたくり粉が置いてあったりして、この乾物モノの地味さもなかなか捨て難い(笑)。
- 遙かなる幻想としての母性を生唾をのみながらオッパイに感じてるんじゃないかと(笑)。だから男が女のオッパイをしゃぶるっていうのは、大いなるテレ隠しではないかと(中略)前戯はセックスのための誘導ではなくて、大いなるテレ隠し。で、後戯は積年の罪に対する贖罪。
- だから解散ってのはどうしたって毎日その可能性はあるでしょ。それはお互いがいつもわきまえてるわけだよ。バンドが続いて行く以上、そういうことって多いと思うしね。表と裏って言うか、グループのね。解散という言葉を一番身近に感じたのは随分前だったけど。
- 鎌学に入ったのが良かったね。推薦しちゃうね、俺は、あの辺の人に。いい学校ですよ、あそこは。なんて言うか、いい意味での中流意識が芽生えた。男子校っていってもまあ、ほんの一握りしか変なのいないしさ、友達集めようと思えばちゃんとノーマルな奴がいるしさ。
- 小学生のときの遠足のバスには悩まされたねぇ。(中略)日光のいろは坂では、みんなでゲロ袋持ってた記憶がある。(中略)こっちは妙なプライドがあるもんだから、ギリギリまで手を挙げないでね。で、「先生!」って手を挙げた瞬間に、ゲロ袋までたどり着かずに吐いちゃう。
- 音楽や音ってすごい強いよ。冬空の下でミゼット走らせて撮るでしょう? でもそこに蝉の声をかぶせると、どんなに絵が枯れてても“夏のシーン”になるからね、スゴイよ。
- 車の免許は19歳で取った。茅ヶ崎の教習所で。当時は教官のガラがむちゃくちゃ悪くてね。「止めろ! 早くしろ!」って怒鳴りながら、教官ブレーキで急停車させたかと思ったら、「オマエさぁ、鼻の下に目ぇついてんのか!」だもん。もう泣きたくなったよ、あのときは。
- 女のコがパンティをたたんでタンスの中の格子みたいなスペースに入れて収納が終わる一連の流れがあるでしょ? あの“パンテー”の状態が好きなんだなぁ(笑)。(中略)パンティはその女性の体調を含めいろいろなことを知っているわけですよ。
- 俺ひとりフラッとどこかに出かけてしまうなんてことは近所の散歩以外はまずない。でも、これからはそういうこともやってみようかな、なんて思ってるんだ。家族になにも告げずにフラッと出て行ったら3日後に国際電話があった……そんな行動もしてみたいんだ(笑)。
- 野球選手、特に巨人の選手のなかには“テレビに出るのが大好き”みたいな“自称宴会屋”が多いでしょ?(中略)本当に恥ずかしいなァと思うの。なにかオイシイことを言う人として要求されている、みたいな勘違いが若手選手に感じられる。
- みんな、評論家がどこかのメディアでしゃべったり書いたりしたことを無意識に日常に持ち込んでいるのかもしれないね。その意味では“解説の時代”なんじゃないの? スポーツでも映画でも、なんで解説が必要なんだ? って思うときがあるけど、やっぱり必要なんだよね。
- 自分が単純に客として観てみたいバンドのボーカリストは、グレッグ・オールマン。読者にわからない? じゃあレイ・チャールズでどうだ!! で、ドラムはレッドツェッペリンのジョン・ボーナム。どうなっちゃうんだろう?
- 20世紀まででポップミュージックの“分母”はほぼ出来てしまったと言っていいと思う。あと、21世紀の分子は当たり前だがとてもバリエーションに富んでいく。神が創った人間の美的感覚を電脳による作意が乗り越えていくんだろうか? う~んさっぱりわからん(笑)。
- 勝手にシンドバッド→新宿ロフトでやった時、もう一つバンドが出たの。それが、もんたよしのりのバンドでね(中略)例の神戸弁でやたら誉めたの、“シンドバッド”を。「あれは最高にいい曲やぁ」なんて言って。いま考えると、部外者で最初に誉めてくれたのはあの人ね。
- いろんなバンド作ってやってるやついるけど、みんな今、軟弱すぎるよね。バンドがなんかひとつの単位になっちゃってて、管理されたみたいになってるじゃない? でも、バンドってそうじゃないよね。(中略)ジョン・レノンのトロントでのライブ盤の、あの刺激を知らなすぎる。
- クワタ・バンド→ホントに不倫だったみたい(笑)。一緒にいると幸せだけど、どっちかと別れるとか言うとすべてオシャカになっちゃうから、それは言わないでとりあえず取っといて走れるだけ走ってみよう、みたいな。(中略)それぐらいサザンていう家庭は大きいから。
- それにしても、パーカッションを選んだ輩は、一部をのぞいてドラムを選んだやつ以上におっちょこちょいだね。でなければ単なる頑固者。なにせ、素手で叩いてるからダイレクトにその人の人生観すらも出るような気がする。
- 二度目の紅白歌合戦の時の話はもう百編ぐらい喋ったんで、あまりしたくもないんだけど(笑)。(中略)1982年はノッてただけだから、浮かれてたね。やることデタラメですべてが当たってるという。(中略)演ったあの場では楽しかった。
- ミュージシャンがスポーツ選手と違うところは、必ずしも実力がチャートの数字になっているわけではないからね。曲に打率はないもん。そのへんをわかってないと、老後がすぐやって来る感覚に見舞われてしまう。
- たまたまその時、青学の後輩が差し入れ持って20人くらい来てたの。それが大里さんの目には「こいつ人間的に尊敬されるような奴なんじゃないか」みたいに見えたらしいんだ。それでまあアミューズに決まったんだけどね。まあ、大里という奴も結構運のいい野郎だな(笑)。
- 曲を創る時に映画がモトになってできた曲もあるし、曲をモトにしてシーンを考えるケースもあったから。
- バンドっていうのは、まったく違った個性を持ったヤツが集まってきて、葛藤とか縄張りの取り合いするみたいなのが本当の姿だと思うんだけどなぁ。
- とにかく……原坊には嫌われたくなかったんだ、カッコ良く言うと。他の女だったら、すぐふてくされときゃいいんだけどね。(中略)だけど、原坊には「この子にマジで嫌われちゃいかん」と思ったの。やっぱそうなったら、俺は生きていく値打ちはないみたいな。
- おふくろと親父ってのは水商売だから夜は仕事でいないから、家庭ってものをどんどん拒絶しているあねきにとっては、そういう親父とおふくろがいない夜の時間帯というのは安堵できる瞬間だったんじゃないかと思うんだよね。
- 原由子→炊事洗濯しながら音楽もやってるんだから。たとえば、朝10時に食器洗って、夜の9時にはコンサートやってるわけでしょ。それを全部やっちゃうわけだから凄いよね。ホントに彼女って人は。内心辛いこともあるんだろうけどすべてを自然に見せてしまうから偉いよ。
- でもコンサートって、やっぱり演芸の一種だと思うし、オレは好きだな。落語、漫才、手品、ヴォードビル――早野凡平とかね。やっぱりその延長線上にないと、日本人同士のコミュニケーションは楽しくない気がする。喜んでもらってなんぼ的な部分が根っこにないとさ。
- 『ヌードマン』の半年前、『チャコの海岸物語』を出してからは、本当にスリルが出てきた。それまでずっとシングルが売れなかったんですよ、ヒットチャートで45位とか。その前はベスト10に入ってたわけだからね。
- ウチはね、楽器というものがなかったのよ。もちろん、ハーモニカとか縦笛みたいな学校から供給されるものは別にしてね。洋モノ文化としての楽器、要するにピアノやギターといったものはなかった。
- 自分自身を含めて日本人の男は甘いよね。本当になにか一点に関して秀でていなくても就職できたりするし、先達が作ったものを引き継いで多少それをアレンジして生業とすれば、社会人男性という一般的な名刺をもらえちゃうもんね。
- 新宿の某女子大のグループと仲良くなって(中略)まあ、それで、その中のひとりの子はもの凄く言い寄りやすかった。で……そこで出来た、と。もうあっけないもんだった、それは。(中略)「ああ、こんなもんか」って(中略)ちょっとかわいそうな、さらば童貞でしたね。
- 音楽界でもそれは言えるよ。なんでもかんでも新譜至上主義でね、とりあえず新譜じゃなきゃ売れないっていうのは、とりあえず新装開店しないと新しい客がつかない飲み屋と一緒で、商品の賞味期限は日ごとに短くなっていく。
- ラーメン嫌いな人を探すのって難しいよね、もちろん俺も大好きですよ。でも、漫画『美味しんぼ』に書いてあったけど、人がラーメン食べるときって、皆一様に下を向き話しもせずどんぶりに向かっている……
- ジャズ・バンドのバンマスのハナ肇が出てきて、いきなりあれでしょ。“あっと驚くタメゴロー”とかさ。ミュージシャンの知性というかなんというか、しっかり表われていたよね。(中略)日本のミュージシャンも守ることばっかではなく、攻撃的な部分も大切だと思うんだ。
- 岩崎良美の「恋ほどステキなショーはない」こそ名曲である。なあんて偉そうに言いきってしまうが、ワシはこれが好きなのだ。なんつったってアレンジ見事にメロ最高、(中略)良美選手のヴォーカルも含めるとホンマ見事なポップスに仕上がっとるなと思うんだ。
- エンターテイメントというのは、こうしたマヤカシとかイカサマ性を約束事として認め合っている上に成立するものなんじゃないかな。お互い阿吽の呼吸とでも言うか……。(中略)そんなことみんな分かりきってやってることじゃないか、とね。
- 15年前にテレビに出ていたときは、もう少し番組にすき間があったし、視聴者も巻き戻しなんかしないで“とばし気味”に観てたことが何だか今では懐かしいような気がするね。
- 曲って不思議なもんでさ。たとえば「東京シャッフル」なんか真剣に作ったんだよね。死ぬほど真剣に。だけど、今考えてみると、どうも新鮮味がない曲だなって気がするの。「シャララ」なんてのは三分ぐらいで作ってるのね。ものすごくいいかげんに。
- おふくろの夢を見たときは、楽しいっていったらヘンだけど、なにか救われた気分になるね。失った家族に対して、どこかでやっぱり未練があるんだろうね。どんなに年を重ねても心の奥底にある弱みみたいなものがやはり夢として出てくる。
- 『稲村ジェーン』って映画は匿名性っていうか、匿名の映画なんですよ。お互いに名前を呼ばないし、誰がヒロインであって誰がヒーローであってというのははっきりしているし、(中略)あんまり事件とか出来事は要らないんですよ。
- アルバム出した!さあツアーやって盛り上がろう!っていうのは逆のような気がします。俺もやってるけどね。ホントはライブやってて、そうした日々の中で作品がこぼれ出る折がある。これが本当かもしれませんね。
- 花火もね、ここ数年は見るとちょっぴり興醒めしちゃうんだ、心打たれるものはあるんだけど、享楽的ななにかに結び付いていかない。正しい見方じゃないね。浴衣のオネーチャンと浜辺ででかい花火を見ることなんて最近はないからなぁ。
- 大森はね、あいつ原坊と同じ年に大学入ってきて。で、夜間だったからね、夜になると急に顔を現わすって感じだった。やっぱり、なんか、こぎたねえ格好してて。人間の体が三人分ぐらい入りそうなオーバーオールのジーンズはいて。ほら、いるじゃない、よく。ケツの軽いヤツが。
- ボクなんかビートルズとか外国の文化にもろに影響を受けてるけど、やっぱり日本の“ワビ”“サビ”の感覚っていうのを、もっと音楽に出していきたいね。みんな日本人であることをもっと懐かしむべきだよ。(79年)
- レコーディングの進行具合がはかばかしくないと、道順を変えてみたりするね。事態が好転する場合もあるからさ。そういうことも含めて、俺は毎日音楽の神様に手を合わせている。それがいちばん手っ取り早い縁起かつぎかもしれないね。
- 責任感強い人は、頭を切り換える時にいろいろ考えちゃってパニック起こしちゃうんだろうけど、オレは責任感弱い。芽生えない。そこら辺はジャマイカ人(笑)。音楽も映画も娯楽だから、娯楽を追求するのになんで責任感持たなきゃいけねぇんだ!って思うよ。
- 俺は醤油が飲みたいから大義名分として寿司屋に行くんだもん。醤油にワサビをたっぷりと溶かしてさ、ドロドロの“自家製ソース”を作って、そこにネタを浸して食べたいんだよね。
- もしかしたら英語よりもスペイン語のほうが発音しやすいしね。食い物なんかも似てるし。それとかアジア系というものがヨーロッパとかの接点でしょう、なんかアメリカなんかよりももっと似たところを感じたりとか、音楽なんか似てたりしてるもん。
- メロディーはすでにみんなデジャ・ヴじゃないかと思うんです。これだけ大量の情報が流れ続ければ、誰がしかが新しいメロディーを試みても、それはすでに人々の膨大な記憶のどこかにもうあるわけで、(中略)今のヒット曲じゃないかと思いますね。
- 恵まれすぎてるとさあ、恐いじゃない。幸せすぎて退屈みたいな。夫はいいとこの商社に勤めてて子供も大きくなって、いいお家に住んで、リモコンでカーテンが開けられて、私全然動かなくていいみたいな、(中略)なんか不倫の第一歩っていう気がするでしょ(笑)。
- 「C調言葉に御用心」なんかは演るんだけど、もう○年○月のヒット曲だから取り込まなくちゃみたいな一種の呪縛から解き放たれて、これはたかが歌なんだ、ギター一本持って歌う世界なんだってふんぎりがついた、やっと。(中略)ちょうど学生の頃とか想い出して。
- やっぱり俺としても“勝手にシンドバッド”に執着があったんだ。自分で聴いて新鮮というか、オリジナルの中では一番受けがいいだろうと思ったね。漠然と。ただあそこまで売れるとは夢々思わなかった。(中略)そこそこいけばっていうイメージしか当然なかった。
- ウチの子どもは、休日でもゲームばっかりやってるから、昭和30年代生まれの親としては不健康に見えてしょうがないのよ。だから、ついつい連れ出してしまう。
- 強い力を持ったプロダクションのタレントはあんまりワイドショーのネタにされないし、写真週刊誌を出してる出版社に貢献してる人の私事は暴露されないらしい。結局、利害関係が歴然として存在してる。
- その同窓会の女にはフラれちゃったんだよね。で、やっぱ音楽しかねえやと思ったの。その勢いがパワーになった(中略)あれがもしうまくいってて、結婚なんかしてたら、ホント人生違ってたんじゃないかって気がするねー。サラリーマンでもなんでもやっちゃうんじゃないかって感じ。
- ステージでは俺が常に新しい情報をお届けする“サザンという番組のホストであり顔”なんだよね。そういう意味での別の人格のよるところの“演技”かもしれない。だから、サザンのライブビデオを俺は観る気にならないし、観ることができない。
- 俺たちの世代は“四無主義”(無気力、無関心、無責任、無感動)って言われてたんだけど、やっぱり若者は悶々としつつも疲れてるんですよ。髪の毛を伸ばしてシンナー吸ってなじられる若者は、いわゆる当時の一般的な若者の象徴的な姿であるとは思わないけど。
- で、俺、ゴダイゴってすごいなあって思って見てたんだよね。どこがいいのかわかんなかったけどさ、人気があったからすごいグループだと思ってたの。ところが、研ナオコがね、言うわけ。(中略)「あたしゃ嫌いだね。どこがいいんだ。ルックスもよくないし」とか。
- 音楽を表現する場所・娯楽として見せる手段が映画ってカタチを借りてもいいんじゃないかなぁ。だってお芝居を演出するのって、僕らがコンサートを演るのと通じ合う。役者に芝居をつけるのにも似た何かが……だからほんとうはすごく密接な関係があるなと。
- カメラをのぞいてて、あるアングルの中で“野イチゴ欲しいなぁ”と思うと山行って取ってきて並べてみたりね。(中略)そういうのって手鏡で自分のケツを見るような、自分の考えてることが意図せずに映し出される感じなんだよね。
- 実際にアイドルとふたりになったら萎縮しちゃって話もできなくなるのが、俺も含めたオトコの悲しさなのに、今のアイドルはそういう悲しさすらも引き受けてくれる度量がありそうにも思えるよね。それでいて、このかわいさ、この身体。
- すぐ煮詰まっちゃったけどね。テレビばっか出てさ、毎回毎回同じ歌を歌ってりゃさ。だって、そうでしょ。何か他の曲もあって、で、「勝手にシンドバッド」があるならいいよ。芸人の顔もできるから。でも、まるっきりあれしかやんねーんだもん。芸人の顔がすべてだもんね。
- サンバなんてたまたま愛嬌でやったのがヒットしたおかげで、サザンオールスターズと称しながらサンバやってるとか、好きなアーティストはクレージー・キャッツって言ってるとか、もう周辺が勝手にふくらんじゃってた。
- 綺麗→ファンの楽しませ方、お客への意識のしかたが違ってきたね。歌詞の世界でも、一つの物語を一曲の中で完結させるみたいな、単なる情景ではない、一つの詞を通して新聞の記事を見てるような、映画の筋を追うような、そんな雰囲気がほしくなってきた。
- 中学二年の時、野球部の友達がビートルズの『アビーロード』と『Let It Be』のシングルを持って泊まりに来た。あれで人生が変わったな。『Let It Be』なんか一日で覚えちゃった。とにかく素晴らしかった。
- 10ナンバーズ・からっと→あの頃は変なタレントでしたよね。取材が一日に何本も入ってて、裸になったり、東京中あっちこっちかけずり回ったり、あげくにテレビ局二~三局まわって。みんなでその度に楽器降ししたりして頑張ってるんだけど、全然なじめなかった。
- 私が勝手ながら思うに、トーキング・ヘッズとプリテンダーズ、そしてもうひとつサザンオールスターズというのが現在最も「名は体をあらわす」という格言にふさわしいグループである。
- 原坊の計算の速さっていったらないからね。日本円をドルに換算する速さね。あと、たとえば『クイズ100人に聞きました』をふたりで見てて、彼女の解答率の高さには参る。(中略)考え方がひどく平坦なの、あいつに比べると俺は。
- シンディ・ローパーみたいなニオイったらしいサセガキには、足の親指かなんか肛門に突っ込んでポラロイドを撮ってそいつをネタにゆすってやろうじゃないかとか――フオントーな発言、深くお詫びいたしますが、(中略)“オメエら、ちゃんとカーリー・サイモンに学べ!!”
- 「そんなにレコーディングが好きなら、レコーディングの現場を見せてくれ」というファンもいるんだけど、それとこれとは話が別だし、言い訳してる場合じゃない。ただ、音楽小僧としてある種、等身大でいられるのはレコーディング・スタジオなんだ。
- 前作でスケールが小さくなったと感じたのを、『ステレオ太陽族』で(中略)自分達のアルバムが初めてできたっていう気がした。時間もそれなりに取ったし、トラックダウンもこれまで以上にみっちりやってる。すべての作業を比較的満足できたっていうかな……。
- 目に見えないライバルのようなものを意識することはあったりする。あえて同世代で同じ職種の人間ということに的を絞って考えてみると、世良(公則)クンかなぁ。デビューした時期が一緒だし、デビュー後テレビ局で居合わせたときに“浮いてる”感じが似ていたしね。
- 【勝手にシンドブック】演歌→あんまり好きじゃない。好きな演歌もないですね。昔はクールファイブやロス・プリモスなんて凝った時期もあったけど、今、どう見ても演歌は好きになれないですね
- でも、今って境目がないからさ。ボクは芸能界の人間で、松田聖子も芸能界の人間でしょ。あと、ゴールデンウィークで大挙してディズニーランドへ行ってる若者もどっか、芸能界じゃないけど、芸能界も含めて、娯楽産業っていうところに加担してるじゃん、絶対。
- ママ母との確執とかさ、やっぱりいろいろあったと思うんだ。(中略)俺が中学生になり、あねきが高校になり、だんだん物事の前後関係が見えるようになるにつれて、あねきを通じてうちの家庭の事情までだんだんと分かってくるというドラマ展開だったわけですな。
- 「ロックの概念」なんてそれ自体どうでもいいことだし、人それぞれというか幅があるんだろうけど、80年代初頭の日本は「ロックの概念」をそれこそナタを振り回しながら探していたんだね。いまは、“これはロックか否か?”的議論をしないでしょ。賢明だよ。
- レコーディングってのは、瞬間瞬間をどう生かすかが特に大切で、集中力っていうか、それがないとやっぱりダメなの。歌を作る、歌詞を作る、ってことにしても瞬間をいかにとらえるかということがあるしね。
- やっぱり音楽やっててよかったなと思いたいですよ、ボクは。音楽やってるから映画が撮れたんだとは当然、思っているし。だったら、そういった音楽っていうのかな、やっぱりノリですかね、そういったものがうまくその中に出ていればいいかなぁという気がするんだけどね。
- 振り返ってみると、俺は長嶋さんが引退したあとの巨人軍がすごく好きだったね。王さんや張本さん、レジー・スミス選手とかがいたころね。問答無用の野球のプロがいっぱいいる感じでよかったなぁ。
- 日本人であるかぎり、何としても日本語は最大のよりどころだもの。たくさんいる音楽評論家さんたちも、ほとんどは音楽をサウンドで語ることなく、歌詞がどうのこうのになるのは、そう考えれば仕方ないかもしれませんね。
- ウチの親父はカネもないのにクルマを買うのだけは早くて、昭和30年ころかな、「茅ヶ崎じゃいちばん早かった」って、いまだに威張ってる。無理してクルマを買っちゃったもんだから、ほかの“ゆとり機器”にまで手が回らない。
- 『ザ・ベストテン』で『いとしのエリー』が7週連続第1位になった。あのときは恍惚感を味わいましたね。だって、俺は勉強もできなかったしさ、街で火消しをやって表彰されたこともないからね。そこで生まれて初めて表彰されたようなものですよ。
- 水商売やってたでしょ、親父もおふくろも。だから、親に遊んでもらったって記憶、そんなにないのね。湘南だったけど、親父やおふくろと一緒に海でワイワイとか、ほとんどない。ほとんど放ったらかしにされてた。
- たしかに一般の43歳男性がTシャツばかり着ていていいはずはないんだけど、逆にハクをつけるためにいい年して形から入る人間もいるでしょ? ヴェルサーチのスーツを着てロレックスの時計をするみたいなさ。それは俺にとって心の底から大笑いなのよ。
- 京都→好きなんです。たとえばニューヨークにいて、自分の中の京都チックな部分を思い出す。自分自身の先祖が住んでいるような、自身と他人を錯覚するような……、京都って錯覚シティーだね。
- オレが目指すのは、酔っぱらい(笑)。酔っぱらいしかないでしょう。観てて気持ちがいいでしょ。やってて楽しい、観てて楽しいのはやっぱり酔っぱらい。日本人は酔っぱらうから、ふだん抑えてる分だけ。だから、上機嫌な酔っぱらいほど楽しいもんはないよね。
- 大阪のギャグのスピード感は、それこそ子どものころから環境に鍛えられたものがあると思う。おもしろいヤツがモテる土壌がある。俺たち関東人があのスピード感についていけないのは、どうしても斜に構えてモノや人を見てしまう感性があるからだよ。
- で、免許が取れて、大学には親父の車で2時間かけて通ってました。カセットやFENを聴いては大声で歌ってみたり、これはぜったいナイショの話だけど、特殊な空間だからオナニーもした。ネタは、“突然感じたこと”とか“ちょっと見たこと”(笑)。
- 初恋って曖昧なものだと思うんだ。(中略)小学6年生のSさんの太ももなんかにこっちも少しクラっときててさ、ほんとはそばにいたいのに意味もなく「こいつ、きたねぇ!」とか言って、幼稚な愛情表現を彼女の前ではしてた。
- 精神的本籍が田舎で、その場の“居合わせ方”がどうにも不自然なやつね。代官山の歩道にテーブル出して、カフェテラス感覚で昼間からイタメシ食ってるやつ。テーブルの数十センチ先は渋滞してるのよ。本人は化けたつもりなんだろうけど、ああいうやつらも薄っぺらいね。
- ジョン・レノンは良くも悪くも壊れた人でしょ? ポールはジョンほどには理不尽な人物ではないからある種のカリスマ性が出ないのよ。ポールは「俺の曲のほうがビートルズに対しての貢献度は高いじゃん!」と言いたかったと思うよ。
- 俺はサザンでリハーサルをしていると、必ず1回くらいはメンバーやスタッフにキレるんだけど、それで事態が好転していくことが多いよ。たまにはエネルギーも使うけど怒りを表現しなくちゃ(笑)。
- 初恋はあんまり記憶にないんだけど……、俺は材木屋と呼ばれていてね、気(木)が多いという(笑)。小学校の頃からそう呼ばれてた。断えず誰かに惚れてたのね。この子かわいい、あの子かわいいって感じで、惚れっぽかった。いまでも結構そうなんだよね。
- 『ELLIE MY LOVE』をレイ・チャールズさんがブラウン管の中で、タキシードに身を包みピアノ弾きつつ唄ってくれました。(中略)まだアメリカでは発売されてないけど、うん、それはもう嬉しかったね。嬉しいを超えてますよね。
- 俺は、10代の後半から22~23歳のころ“自分が若者である”みたいな意識はまったくなかった。だから当然、若者らしいバネとか筋肉、あるいは感性が自分にあると思ったことはない。
- 河口湖の変なロッジに連れてかれて、二日間カンヅメで曲書いたりね。“気分しだいで責めないで”の時かな。いまでこそ、そういうこと器用にこなすようになったけど、だましだまし(笑)(中略)適当にデッチ上げたけど、史上最低の曲だと思うしね。
- 『KAMAKURA』を作った時点では、まだサザンを休止して、別のことやろうみたいな考えはまったくなかった。あのアルバムは、あの後ライブをあんまりやんなかったでしょ。(中略)未消化だし、自分の中ではね。たぶん他のメンバーの中でも。
- 以前、ウチの近所にミョーチクリンな家族がいて、家の窓にエアガン撃ってきたりしたことがあるんだけど、そこで俺がその家のオヤジの首根っこつかんで張り倒しでもしたら、たぶん“暴力歌手”とかなんとか世間から言われるだろうし(中略)ある種の泣き寝入りをするしかない
- やっぱり俺の場合、金の無い苦しみといったら、学生時代、デートする時にホテルに泊まる金が無いとか(笑)、その程度のもんだったから、日本の中産階級のド真ん中で。まあいまから矢沢にはなれないわね(笑)。
- ジョン・レノンが死んで、私が可哀そうだと思ったのは、誰よりもあのマッカートニーです。私は、あの解放運動の最中にさえ、ジョンを最も愛していたのはポール、ポールを最も頼りにしていたのはジョンだと信じています。今、4人が揃ったあの頃の写真を見ると、とても辛い。
- しかし私、いつしかB面の最後まで聞かないうちにあきてしまい、眠ったくなっちまったので、妻のいる寝室に戻ったのは午前3時を回っていました。そして私がむりやり股をおしひろげると、すでに妻の花びらはグッチョリと……馬鹿野郎! 何いわせんだコノヤロー!! かしこ。
- 中学とか高校ぐらいのときにね、ちょっと自閉症になったの。気持が。気持が自閉症ぎみに。あ、俺、ちょっとこのままじゃヤバイなっていうか、ね。今まで友だちづきあいしてくれてた女のコがどんどん大人になってくな、みたいな感じで。
- 粋な江戸っ子だって、「死ぬ前に一度はザルそばをビシャビシャにそばツユをつけて食べてみたかった」というくらいでね、多くの日本人は醤油をたくさん摂りたいんだよ。そのくせ、醤油を遠ざける発言をしたりするからね。もっと素直になりなさいと。
- NUDE MAN→この頃から、いよいよ色ものがつまらなくなってきたな。「抱きたいよォ~」で始まって「Hold me tight」で終るようなパターンにあきてきた、(中略)客も別のものを求めてくれるようになったのね、色ものじゃないサザンを。
- 矢野顕子→矢野さんは天才だと思う。あの人はリトル・フィートと一緒にやった時点で感動したもん、俺、それだけで。あの人は唯一すごいと思う、全然、方法論が違うでしょ。あれが天才だと思うね。
- 俺は、中学のとき勉強できなくて、だいたい250人中215番くらいだったけれど、当時29番だったやつといま会っても、社会的知的レベルはたいして変わらないもん(笑)。
- 姉貴に対抗しようって気はあるのだけど、心はいつしかビートルズに引っぱられている。ビートルズって面白いんですよ、やっぱり。あげく、姉貴に言わせると「ストーンズはビートルズの真似をしてる!」。
- 形の整った1本70センチ級のウンコもしたことあるしね。(中略)その後、配偶者に報告しに行く。「今日はこんなすごいのが出たよ」って。で、すぐに流すのはもったいないんでしばらくながめていて、いざ流そうとすると詰まっちゃったりして。
- 結局“休養宣言”ですっかり裸になって、(中略)二千人の会場に千六百人しか入らなくなったのは事実。やっぱり淋しかった。(中略)だけどまだ何かが足りない。何が足りないかって言うと、スリルなんだよね。結局はシングル・ヒットが出したいわけ。
- 尊敬できる親父がいなかったんだよな、俺たち。親父にあたる世代のミュージシャンが。今でもそう。尊敬できる兄貴くらいがいたのかもしれないけど。だから、親父っていうとき、俺なんかはどっちかっていうと音楽じゃなくなっちゃったりして、植木等です、なんてことになっちゃうわけ。
- やっぱり『熱い胸さわぎ』は、いま思うと俺個人は凄く緊張感のある、一曲一曲がはっきしりしたアルバムだと思うのね。あれがデビュー作でほんと良かった(笑)。『ヌード・マン』は頭デッカチのおっつけアルバムなの。ダビングでごまかしたという。
- こないだ大滝詠一さんと会ってね、で、話きいてみたら、すげえ似てるとこあるんだよね、俺と。(中略)岩手で三沢のFEN聴きながら、太平洋沿いに自分の青春を勝手に作りあげちゃったと。そういう中で、音感とか情操観念とかをきたえてきたわけでしょ。わかるんだよね。
- 洋楽を聴いたヤサグレ感や嫉妬心、憧れがあるのは俺の世代くらいまでなのかなぁ。そうか、俺は“3丁目の夕日”の住人なんだね。鎖国してるのは俺のほうか(笑)?
- やっぱりステレオ買ったのが結構早かったと思うんだ、茅ヶ崎では。それは、うちが店をやってたでしょ。で、スピーカーのことをラッパ、ラッパなんて呼んでたんだけど、店に新しいのが入ったんで、家庭にバーで使ってたものが、払い下げになってきたわけ。
- 斎藤誠とかさ、そいつらが「桑田さん、ぼくにも曲作って下さいよ」とか「今度のもいいですね」とか、なんとなく支持してくれたし。どんどん曲作るようになったね。(中略)今のメンバーに近くなっていったっていうか。俺も、だんだんバンドに自信持つようになっていったんだよね。
- 俺がボーカリストだもんで、まずドラマーを選んでしまうね。やっぱり歌い手はドラマーとヘソの緒でつながっていると思うんだ。ステージを観ても、ボーカリストってドラムを背負って歌うじゃない? ウチの弘のフィルひとつで、音楽はどうにでも変わるんだよ。
- 下世話ってすごく好きなのね。結果として下世話になったってのは。でも意識して下世話にやろうとしているバンドとかってあるでしょ。あれはダメだね。ボクらにもそういう時期があったけど……。
- 俺の場合は極めて前向きな、痛々しいほどに純粋な精神によって貫かれた音楽性を背景とし(中略)まあ要するに良く言えば、“マジメな男”、悪く言えば“単なる偽善者”、というのがあの文学書本『ケースケランド』を通して見られる音楽人としての俺の人物像なわけである。
- 勉強もできない、運動神経も大してよくない高校生の俺を心配して、夜中に親父に諭されたことが当時よくあった。「佳祐オマエね、音楽をやりたいとか言ってるけど、無理なんだから」って。普通の親ならそう言うよね。
- 『KAMAKURA』を作る時に、『ホワイト・アルバム』ってのはね、絶対憧れてたからね。二枚組にしようって決めた時点でね(中略)一つのサザン・オールスターズとかってカラーじゃなくて、なんか自由さと不自由さをはらんだバランスってのを狙ったのかもしれない
- 本当は1枚1枚役割が違うであろうに、白や黄色やピンクの1枚1枚が整然と収納されている。もうパンティの罪作り。だからもしも、女性のタンスを開ける機会があったら、思わず「チョウだい、チョウだい」ってつぶやいてしまうと思う(笑)。
- 俺としては挿入よりもキスのほうが断じて好き(笑)。セックスなんて面倒くさいでしょ? 挿入することに喜びやありがたみを感じているうちはまだセックス界のしろうと(笑)。それよりも、たとえば親子でキス、恋人・夫婦、他人とキスのほうが夢があっていいじゃん。
- ラジオ→やっぱりFENが好き。ラジオも、あのAM・中波のサウンドってすごく好き。あのサウンドがロックンロール。
- 『稲村ジェーン』で監督をやったのが10年前。(中略)“平成の冗談”とは思えないような冗談を交わしていて、こんなセンスのやつらと映画を作るのかぁと思った憶えがあるよ。彼らは本当は繊細というか打たれ弱い部分があるのに、表面上は徹底的にクールなんだよね。
- タイニイ・バブルス→俺達の音楽はこんなのじゃないんだよ、テレビに映る姿はちと違うんだよっていう、あがいているようなところがあった。で、とにかく五カ月間休んだ。でも“思いきり”みたいなことはそう大してなかった。
- やっぱり女っていいこと言うもん。俺以上に俺のこと見てるもん。それはすごいと思うね。男って、女を通して世の中を見たり、自分自身を見たりするわけでさ。女ってそういう才能あるからね。うん、だから恋愛をたくさんこなしたヤツは強いよ。
- 今、あんまり歴然とした歌謡曲ってないよね。でも、昭和40年代頃の歌謡曲はぜったいスペイン歌謡と同じでしょ? 全くのコピーだからさ。内山田洋とクールファイブの「二人の御堂筋」とか、あの辺の音楽は完全にラテン系のもんだと思うんですね。
- 記憶に残ってるのはね……。小学校の時に転校しちゃった女の子がいたの。松本小雪に似てる子でね、いま思うと。(中略)太モモの太い色白の子だったね。太ってるんじゃなくて、ちょっと肉感的な感じね。(中略)エキセントリックな感じの子だったね。
- 今がいかにすぐれた時代なのかということを手に取るように分からせてくれるのもあのビートルズの偉大さだね。一度でもいいからビートルズの物真似ギグをやりたい。夢なんだ。
- 駄菓子屋の店内には、たかだか四畳半くらいのスペースに菓子類をはじめとしてものすごく細かいものがたくさんあって、子どもながらに果てしない小宇宙を感じていたんだよね。(中略)それが、いまの俺の身近にはなくなってしまったんで、コンビニはその代わりかもね。
- まだ学生だったころ、「あの歌手はもと“特殊浴場”嬢(もちろんもっと直接的な言葉がありますが)だった」なんて聞くと、夜も眠れずドキドキしたよ俺は。最近の歌謡曲にはそういうドキドキが失われたような気がしますね。
- でも、親父のようにはなりたくないなあってのはあったな。なんかね、けっこう女好きだったり、わりと調子よかったり、やだなあって思うところが……自分の中にすごく同じ部分があるのね。そういう意味で、親父のような大人にはなりたくないって、ずっと思ってたね。
- うまいタイミングで口説き文句を発して“してやったり”みたいなことって、人生ではまったくと言っていいほどないね。その女性との距離を保てずに、こっちが尻尾を振ってることがバレバレになっちゃって。
- 俺が思っている関西=大阪のお笑いの質は、“捨て身”っていうか、ウケなかったら最後にはパンツまで脱いじゃうようなエゲつなさというか力わざがすごい。それでいてものすごく庶民的。(中略)東京のほうがシニカルなんだよね、気質的に。
- いざ休みになると庭に水をまいてから近所の商店街に買い物に行ってる。そういう小市民的な休日がほんとに性に合ってるみたい。だって、商店街の花屋の主人は俺のこと「先生」って呼ぶんだよ。「よっ、先生、最近忙しそうだね」って。
- オレたちはフリーターの走りだしさ、おたくの走りだからね。いわゆる社会に出ていって、公の一部分として認知されるっていうような部分を避けてきちゃったでしょう。それで30歳、40歳になってるんだから、おたくはクライとかフリーターはヘンだなんて言う資格ないよ。
- 高校生になってまで古文と化学を横一線に並べて、できるかできないかを競わせるのは実にくだらないよ。中2から高2くらいまでは身体も大きくなる時期だけど、夢もいろいろふくらんでいく時期だと思うんだ。そこを強引に縛ってみても、いい結果は生まれないよ。
- だから『11PM』も割と自然に入ってきたんだ。まさか競馬は好きにならなかったけど、オッパイが見えちゃったとかそういうのはもちろんあったから……。できるだけ早く大人になってあの気持ち良さそうな二つの突起物を自由にしてみたいと思ったね、うん(笑)。
- クラシックだってもともとはヨーロッパの娯楽なのに、いろんなコンプレックスが入り交じって“クラシック道”になっちゃってる。日本人はどうしても“道”にしないと気が済まないというね。
- でもやっぱりいちばん快適なのは自分の家のトイレ。肛門にピタリと当たるお湯の吹き出口の位置から湯温、水勢まで全部メモリーされてるんだもん。トイレという個室は本当に落ち着くね。ステージの前の緊張してるときでもトイレに行くと平常心を取り戻せる。
- 俺にとって休日とはなんにもしない日のことであってね、「今度の休みには○○をしよう!」みたいな計画は間違っても立てない。『東京ウォーカー』に目を通して家族でドライブに行ったとしたら、それはもう休日ではなくなってしまう。
- チューブ入りになってからちょっと情緒に欠けるけど、死ぬ前に腹いっぱいコンデンスミルクを飲んでみたい。
- ラブ・ソング作ってるというのも、やっぱり自分のために作ってるというより、結局はその女本人に聴かせたいんだろうと思う。まあ、それで偉大な収穫があったとか、そういうことはないけど(笑)。なんかこう、悩んでる方が出来るでしょう、曲っていうのは。
- 俺が一万人以上の前で唄うとき、このまま空中を飛べるのじゃないかという感じ。あのとき、俺は人間の意識の陰にかくれた本能に目覚めているのではないかと思いますね。あれはたしかに幻想ではあるけど、嘘ではない。
- で、まずその資生堂のCMソングだっていうのを意識して、よしじゃあメジャー展開を考えていいんだなという部分で、“スキップ・ビート”と“バン・バン・バン”を作ったの。ちゃんとした形として一番最初に出来たのがその二曲と“メリー・クリスマス・イン・サマー”。
- 別に小学生ですから実際に付き合ってどうだこうだとかそういうことはなかったけど。いわゆる人が言うようなお医者さんごっこしたとかそういう経験もないし(笑)。お医者さんごっこなんて、大学に入ってからだから。
- オレ、スタジオで過ごす時間って好きですよ。基本的には、ライヴよりスタジオの方が好きだから(笑)。(中略)まさに“人知れず”が好きだしモノを創るのも好き。
- “儚”って漢字は“にんべん”に“ゆめ”と書くわけで、まさに人の夢のもろさと切なさを言い表していると思うよ。儚いと書いて『真夏の夜の夢』と読んでもいいくらいだよね。
- 松田弘→サザンの原辰徳。すごく人間的だけどもエリート。三割と百打点は必ずキープするし、ホームラン四十本は打ってくれるだろうって男。本人にしてみればいろいろと悩みもあるだろうけど、自分のプロとしての生き方の中で克服しちゃうんでしょうね。
- プロポーズというのはですね……、(中略)原坊を送ってって、「じゃあね」ってあいつが降りる間際にロックしちゃって、「あれ?」とか向こうが言ってる間に、新潟の件を誠実なかたちで表そうと、告白しました。恥しい話ですけど。
- でもね、いかに20年分の経験があろうともちょっとしたことで緊張は増幅される。もうそれはしょうがないことで、そうなったら、ステージから非常口のランプ、あのグリーンの部分をじっと見るんだ。非常ランプを見てると、だんだんなんにも気にならなくなってくるね。
- デビューの頃→俺たちには、『シャボン玉ホリデー』をもう一回見たい……っていうような気持があったわけ。で、楽しんでやりたい、積極的にやりたい、と。それと、テレビ局側が、あ、面白いってんで要求するものとがさ、変なところで合致してたりしたんだよね、あのころ。
- 日本のロック・バンドってこれから何やっていいのか分かんないもんね。(中略)いまは武道館やってる奴はウヨウヨいるからさ。松本伊代だってやってるんだもん。その価値観ってものが完璧にデノミしちゃってるんだ。それはいいことだと思うしね。
- 『勝手にシンドバッド』――あの曲はザ・ピーナッツみたいなものをやりたかった。ボク達のバンドはアメリカン・ロックみたいなかたいものばかりやってたでしょ。だからそんなロックバンドがザ・ピーナッツみたいな雰囲気でやれば面白いんじゃないか。
- ジョン・レノンは40歳で亡くなった。つまり、俺は俺より若いジョン・レノンしか知らなくなっちゃった。今後は道しるべ無き道を頑張って行かなくちゃ(笑)。それにしても幸せな枯れ方に対する憧れはあるなぁ。
- みんなで呑んで酔っ払ってくると、最初はエロ話で盛り上がって、次は仕事の話「あれは違うんじゃないのー」とか言って、行き着く先は絶対に怪談が出るよね。サザンもデビュー当時はツアーに出ると、みんなで誰かの部屋に集まっては霊の話をしてた。
- 茅ヶ崎→母親なんだ、やっぱり。自分がかつて放出したエネルギーがいまだに漂ってるような気がする。夜、車で海岸ぞいを走るとそれを感じる。自分の歩いたエネルギーの轍がくっきり見える。
- 歌を作るってことも、“なにかが降りてくる”って表現する人もいるように、どこかで先祖が憑依してる部分もあるんじゃないのかな? 音楽やアートのような思いつき系の仕事は特に、なにかあったときに先祖が守ってくれてることが多いのでは? と思うようになった。
- 当時の親父はレストランやバーをやっていたんで、俺も大学なんかには行かずバーテンダーになるための学校に行く道もあるぞと。親父が入学の手続きをしてきていついつから行け! と。そしたら、青学(青山学院大学)に受かっちゃった。
- 胸さわぎの腰つき……ってとこあるじゃない。あれがさ、「そんな言葉ないからダメだ」ってみんなに言われたりとか。みんな勝手なこと言うんだ。“胸さわぎのムラサキ”にしようとか、いや“胸さわぎのアカツキ”のほうがロックっぽいな、とかさあ。ホーント、話になんないの。
- 自分でエレキ買ったのが(中略)やっぱ高三くらいかな。たしか三万円でさ。(中略)グレコのSGモデル。(中略)そのギター買ったらさ、なんか『成毛滋のロック・ギター・メゾット』みたいなテープがついてて、かなりそれが役立ったね。あいつがいろいろ練習曲とか弾いてるわけ。
- うちのあねきは、「あんた、やったわね!」とか「ヒットしてるじゃない」とか言う人じゃないんだよね。感想言われたことはまったくないな。興味が全然ないんじゃないかな。要するに日本のグループ・サウンズには昔から興味なかったのよ、うちのあねきは。
- キスしたというのは事件だった。中学の一年だったかな。俺は男になったの遅いですから、大学に入ってからだから。しかし、なんで俺こんなこと告白してなきゃいけないんだろう。佐野元春の本だったらこんなのあり得ないよ、ホントに。
- フォークソングだめ。(中略)歌としては興味ないし、聴いたことなかったけどね。まして岡林とかさあ。大ッ嫌いだった。(中略)なんかこんな魚屋の隣のあんちゃんみたいな顔したやつがさあ、ジャケットに載ってるわけ。こういう顔がジャケットになるべきじゃねえ、と思ったんだよね。
- 忘れもしない37歳の10月ですよ、俺がサーフィンを始めたのは。もちろん茅ヶ崎生まれだから、それまでに何度もチャンスはあったはずなんだけど……。
- もう情けないもん。たまに彼女(原由子)にネックレスとか買って行くじゃない。それにしたって彼女名義のカードで買ってるんだからありがたくもなんともない(中略)喜ぶだろうなとか思いながら「ほら、買って来たよ」って言うと、「領収書は?」だもん。ダメだよね。
- タイニイ・バブルス→この頃に五カ月間“休養”してるんだけど、その理由にはもちろん“疲れ”があった。もう少し言うと“怨念”かな。当時のスケジュール、特にテレビ――たった数分間のために何時間も、俺達は何をやってるんだ、みたいな状況。
- デビューした当時を思い出せば、皆でバンドやろうぜと気分が乗って、皆が集まったから曲を作ったわけだし、(中略)ライブやりつつ練習しつつ曲も増やしたわけですよね。それがいつしか逆転してしまった。しょうがなかったとは思いますけどね。
- レコード屋行くとポピュラーってコーナーがある(中略)好きなんだよね。一番いやなのはロックてコーナーで、変なミュージシャンが身体よじってカッコつけてる(中略)おしゃれなポピュラー・ミュージックの範囲内におけるロックでいたいの、俺は。分かります?(笑)
- 歌ってやつは(中略)歌詞でしか判断できない部分、歌詞によってポピュラーになる部分があって、それは無視しようがありませんしね。たとえば言葉として響く短いフレーズが、一つの歌のイメージをそこはかとなく彩ることがあるし
- オレ、ボーカリストとしてちょっと問題あるなって思ったのね、自分で。去年だってせっかくジャパン・ジャムとか出てるのに、“ハート”のボーカル聞いてショック受けたし。ボーカリストとして何とかならないかと思うのね。(80年)
- そして、あるときに自分の体形・容姿にまったく興味と希望がなくなったんだ(笑)。で、こんな体形の俺でも、Tシャツとジーンズだったら身のほど知らずではなく着てられるってことに気付き始めたんだよ。
- 原(由子)さんをひとりのミュージシャンとしてリスペクトしてますね。彼女、小さいころからクラシックピアノを習っていたでしょ? 当然、譜面が読めるとか、音楽を学問的な側面から知っている。(中略)彼女は基本的に耳がすごくいいんですよ。