上岡龍太郎の名言
日本の元漫才師、タレント 、司会者である
上岡 龍太郎 (かみおか りゅうたろう、1942年3月20日)
本名、小林 龍太郎。旧芸名、横山 パンチ、伊井 パンチ。他、講談師旭堂 南蛇(なんじゃ)として高座に出演。また、落語立川流の門下でもあり、高座名・立川右太衛門を持つ。上岡劇団座長。二人兄妹の長男。
京都府京都市出身。2000年に芸能界を引退した。長男は映画監督の小林聖太郎。
- エスカレーターに乗っても歩きなさい。自分を機械に任せたら終わりです。
- お金がいるから働くというけれど、逆だ。働くからお金がいるのであって、働かなかったらお金はいらない。見事にいらない
- かわいい子がにぎったおにぎりなら股でにぎっても食べる
- テレビでウケるものは2パターンしかない。素人が芸を見せるか、スターが私生活を見せるかのどちからだ。
- どんなひ弱な男も博愛主義者も、事件現場や戦場に出れば、非情の掟に守られ、殺人マシーンになることもできるようになる。そのためにこそ、制服を着て個性を抑圧し、画一的な集団を形成する。(略) 衣服にはそれ相応の力がある
- フツーの人のレベルの低下の原因の一つは、「内と外」の区分けがなくなったことにある。とりわけ「外」の意識が若い層にない。(略) みんな、どこでも家の中のように振る舞っている。それが美しくない
- 隠居するとは、死ぬことを設計図の中に組み込むことだ。 死ぬことを考えに入れておくということは、他人に迷惑をかけないということだ。 現役で働いている一家の主人がコロッと死んだら、まず家族が困る。サラリーマンなら仕事は誰かが引き継ぐから良いが、収入を断たれた一家は、たちまち路頭に迷う。商店だったら店は成り立たなくなり、取引先にも迷惑がかかる。大きな店になればなるほど、大旦那が十分働ける間に、早めに隠居して倅に家督を譲るのはそのためだ
- 会社のために働くのは、不自由である。仕事をするのはけっこう自由な気分であるが、働くという言葉は不自由を連れて回る。金、時間、家族、組織なんてものが見え隠れするから、働くという言葉の後ろに不自由が見えてしまう
- 金がいるのは、子育てと見栄のため。それ以外に金はいらない
- 結婚して10年経って結婚前より妻が不細工になったとしたら、その8割は男の責任である。
- 初めから誰かに伝えようとしてモノを見ると、見る段階でフィルターをかけたり、レンズを換えたりしてしまうものだ。自分の目でモノを見るはずが、話すことを予定している相手に、無意識に合わせてしまっているから目が濁る。 だが、誰にも伝えようと思わなければ、見たまま聞こえたままの実像が、脳内を自由自在に駆け巡り、それが呟きとなって出てくるのだから強烈になる
- 女子供、野球知らんやつ、田舎もんのために巨人はある
- 人間は死ぬ。必ず死ぬのだけれども、今すぐに死ぬわけではないということだ。 死ぬには、間がある。 この間があるということを、決しておろそかにしてはならない
- 生きることは、どこかで世の中に貢献することです。 お笑い芸人にでも、人々に、ものの見方を変え、価値観を転倒させてみると、世の中が違って見えることを示唆する、極めて形而上的な役割があります
- 大阪はひったくりナンバーワンではなく、ひったくられナンバーワン
- 大人たちがどれだけボロクソに言おうが気にする必要は全くないということをプレスリーは教えてくれました。