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三島由紀夫の名言集

公開日: : ま~も, , , ,


三島由紀夫

三島 由紀夫(みしま ゆきお、本名:平岡 公威(ひらおか きみたけ)、1925年(大正14年)1月14日 – 1970年(昭和45年)11月25日)

小説家・劇作家。戦後の日本文学を代表する作家の一人である

晩年は、自衛隊に体験入学し、民兵組織「楯の会」を結成。右翼的な政治活動を行い、新右翼・民族派運動に多大な影響を及ぼした。

代表作は小説に『仮面の告白』、『禁色』、『潮騒』、『金閣寺』、『鏡子の家』、『午後の曳航』、『豊饒の海』四部作など。戯曲に『サド侯爵夫人』、『わが友ヒットラー』、『近代能楽集』などがある。批評家が様々に指摘するように、人工性・構築性にあふれる唯美的な作風が特徴。

1970年11月25日、前年の憂国烈士・江藤小三郎の自決に触発され、 楯の会隊長として隊員4名共に、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現:防衛省本省)に東部方面総監を訪れ、その部屋で懇談中に突然日本刀を持って総監を監禁。その際に幕僚数名を負傷させ、部屋の前のバルコニーで演説しクーデターを促したが、自衛隊員から野次罵声を浴び、約一時間後に割腹自殺を遂げた。この一件は世間に大きな衝撃を与えた。

筆名の「三島」は、日本伝統の三つの島の象徴、静岡県三島の地名に由来するなどの説がある。

三島の著作権は酒井著作権事務所が一括管理している。2010年11月時点で三島の著作は累計発行部数2400万部以上。

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  • どもりが最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、


  • 決定されているが故に僕らの可能性は無限であり、止められているが故に僕らの飛翔は永遠である。


  • この世のもっとも純粋な喜びは他人の幸福を見ることだ。


  • かつて向う岸にいたと思われた人々は、もはや私と同じ岸にいるようになった。すでに謎はなく、謎は死だけにあった。


  • 世の中でいちばん平凡なことが、いちばん奇跡的なのだ


  • 愛することにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠に素人である。


  • 不安こそ、われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。


  • 一人の人間が死苦にもだえているとき、その苦痛がすべての人類に、ほんのわずかでも苦痛の波動を及ぼさないとは何事だろう!


  • ヒットラーは政治的天才であったが、英雄ではなかった。英雄というものに必須な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けていた。ヒットラーは、二十世紀そのもののように暗い。


  • 或る小説がそこに存在するおかげで、どれだけ多くの人々が告白を免れてゐることであらうか。


  • 人生のさかりには、無理と思われるものもすべて叶い、覚束(おぼつか)なく見えるものもすべて成るのだよ。


  • 美は鶴のやうに甲高く啼く。その声が天地に谺してたちまち消える。


  • 時として、広大な人間性に、法という規矩を与えることほど、人間の思いついた


  • 傷を負った人間は間に合わせの包帯が必ずしも清潔であることを要求しない。


  • 青春の特権といえば、一言を以ってすれば無知の特権であろう。


  • あらゆる種類の仮面のなかで「素顔」という仮面を僕はいちばん信用しません。


  • 変り者と理想家とは、一つの貨幣の両面であることが多い。


  • 生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。


  • われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。


  • ちょっとばかり芸術的な、ちょっとばかり良心的な。……要するに、ちょっとばかり、ということはなんてけがらわしいんだ。


  • どんな目標であれ、目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない!


  • 自惚れとは、一つのたのしい幻想、生きるための幻想なのですから、 実質なんぞ何も要りません。自惚れ屋にとっては、他人はみんな、自分の自惚れのための餌なのであります。


  • 人間は異形に化するのかもしれない。


  • そんなに筋肉が大切なら、年をとらないうちに、一等美しいときに自殺してしまえばいい。  


  • 精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。


  • 最も不遜な戯れはない、と思われこともあった。


  • 男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。


  • 初恋に勝って人生に失敗するというのは良くある例で、初恋は破れるほうがいいと言う説もある。


  • 幸福って、何も感じないことなのよ


  • まことに人生はままならなもので、生きている人間は多かれ少なかれ喜劇的である。


  • たいてい勇気ある行動というものは、別の在るものへの怖れから来ているもので、全然恐怖心のない人には、勇気の生まれる余地がなくて、そういう人はただ無茶をやってのけるだけの話です。


  • 傷つきやすい人間ほど、複雑な鎧帷子を身につけるものだ。そしておうおうこの鎧帷子が、自分の肌を傷つけてしまう。 


  • 愛から嫉妬が生まれるやうに、嫉妬から愛が生まれることもある。


  • 人は、自分自身のために生き続けられるほど強くない。 何らかの大儀のために生きたいと思うものである。


  • 金閣を焼かねばならぬ


  • 男性操縦の最高の秘訣は、男のセンチメンタリズムをギュッとにぎることだ。


  • ある女は心で、ある女は肉体で、ある女は脂肪で夫を裏切るのである。


  • 彼は内界の濃密な黐から身 を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。


  • 「— したい」などという心はみな捨てる。 その代わりに、「— すべきだ」ということを自分の基本原理にする。


  • 人間が或る限度以上に物事を究めようとするときに、つひにはその人間と対象とのあひだに一種の相互転換が起り、


  • 忘却の早さと、何ごとも重大視しない情感の浅さこそ人間の最初の老いの兆しだ。 


  • 賭けとは全身全霊の行為である。百万円持っていた人間が百万円を賭け切るときにしか、賭けの真価はあらわれない。


  • 男と女の一等厄介なちがいは、男にとっては精神と肉体がはっきり区別されて意識されているのに、女にとっては精神と肉体がどこまで行ってもまざり合っていることである。 


  • 過度の軽蔑はほとんど恐怖とかわりがない。


  • 世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない。世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない。


  • 人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。             


  • 私は自分が生まれたときの光景を見たことがある。


  • …遠いところで美が哭いてゐる、と透は思ふことがあつた。多分水平線の少し向こうで。


  • 人間の肉体にそれが宿ることがあつても、ほんのつかのまだ。


  • 人間、正道を歩むのは却って不安なものだ。


  • 動物になるべきときにはちゃんと動物になれない人間は不潔であります。


  • 生まれてきて何を最初に教わるって そりゃ諦めるってことさ


  • 青春の特権は無知である


  • 処女にだけ似つかわしい種類の淫蕩さというものがある。それは成熟した女の淫蕩さとはことかわり、微風のように人を酔わせる。


  • 散るをいとう 世にも人にも先がけて 散るこそ花と 咲く小夜嵐


  • 小説家は人間の心の井戸掘り人足のようなものである。井戸から上って来たときには、日光を浴びなければならぬ。体を動かし、思いきり 新鮮な空気を呼吸しなければならぬ。


  • 美人の定義は沢山着れば着るほどますます裸かにみえる女のことである。


  • 若さが幸福を求めるなどというのは、衰退である


  • 言葉によって表現されたものは、もうすでに、厳密には僕のものではない。


  • ほんとうの誠実さというものは自分のずるさをも容認しません。 自分がはたして誠実であるかどうかについてもたえず疑っております。


  • 愛情の裏附のある鋭い批評ほど、本当の批評はありません


  • 自在な力に誘われて運命もわが手中にと感じる時、却って人は運命のけわしい斜面を快い速さで辷りおちつつあるのである。


  • 日本的非合理の温存のみが、百年後世界文化に貢献するであろう。


  • 今こそ我々は、生命尊重以上の価値の所在を、諸君の眼に見せてやる。天皇陛下、万歳!


  • 日本は緑色の蛇の呪いにかけられている


  • 大ていわれわれが醜いと考えるものは、われわれ自身がそれを醜いと考えたい必要から生れたものである。


  • 日本の女が全部ぬかみそに手をつつこむことを拒否したら、日本ももうおしまひだ。


  • 男の値打も、醜く低い心の人たちに屈しない高い潔らかな精神を保つか否かにあるのだ。そういう磨き上げられた高い心が、結局永い目で見れば、世のため人のために何ものよりも役立つのだ。


  • ちょうど年寄りの盆栽趣味のように、美というものは洗練されるにつれて、一種の畸型を求めるようになる。


  • 無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。


  • さういふ批評は、そして、すぐれた読者にしかできないので、はじめから冷たい批評の物差で物を読む人からは生れません


  • 近ごろはやりの反小説も、小説の裏返しにすぎぬ。


  • 女の批評って二つきりしかないじゃないか。「まあすてき」「あなたってばかね」この二つきりだ。


  • 行動がなければ認識すらない


  • 若い女というものは誰かに見られていると知ってから窮屈になるのではない。ふいに体が固くなるので、誰かに見詰められていることがわかるのだが。


  • いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、“右”というのは、ヨーロッパの言葉では“正しい”という意味なんだから。


  • 僕の思念、思想、そんなものはありえないんだ。


  • われわれが美しいと思うものには、みんな危険な性質がある。 温和な、やさしい、典雅な美しさに満足していられればそれに越したことはないのだが、 それで満足しているような人は、どこか落伍者的素質をもっているといっていい。


  • 純然たる日本人というのは、下層階級か危険人物かどちらかなのだ。これからの日本では、そのどちらも少なくなるだろう。日本という純粋な毒は薄まって、世界中のどこの国の人の口にも合う嗜好品になったのだ


  • 小説でも、絵でも、ピアノでも芸事はすべてそうだが、ボクシングもそうだと思われるのは、練習は必ず毎日やらなければならぬということである。


  • 軽蔑とは、女の男に対する永遠の批判である


  • 誰ともほとんど口を利かぬ生活は、私にとって最も努力の要らぬものだということが、改めてわかった。 死んだ毎日は快かった。


  • 貞女とは、多くの場合、世間の評判であり、その世間をカサに着た女のヨロイである


  • 詩人とは、自分の青春に殉ずるものである。青春の形骸を一生引きずってゆくものである。詩人的な生き方とは、短命にあれ、長寿にあれ、結局、青春と共に滅びることである。


  • 音楽の美は、その一瞬の短さにおいて生命に似ている。


  • 小肥りのした体格、福徳円満の相、こういう相は人相見の確信とはちがって、しばしば酷薄な性格の仮面になる。


  • 若い世代は、代々、その特有な時代病を看板にして次々と登場して来たのだった。


  • 男が女より強いのは、腕力と知性だけで、腕力も知性もない男は、女にまさるところは一つもない。


  • 老夫妻の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。


  • 被害者という立場に立てば、強いということがわかっちゃっている。なぜなら向こうは力が使えないに決まっているんだから。それが世論であり、女の力だと思うんですね。


  • 女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似ており、お月さまの影響を受けているが、男に比して、すぐ肥つたりすぐやせたりしやすいところもお月さまそっくりである。


  • あらゆる英雄主義を滑稽なものとみなすシニシズムには、必ず肉体的劣等感の影がある。


  • 無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。


  • 心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬという経過を何度もくり返していると、現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目に見えている。若い人たちがいちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでいるのは、この点であるといっていい


  • 崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。


  • 童話とは人間の最も純粋な告白に他ならないのである。


  • どんな世の中にならうとも、女の美しさは操の高さの他にはないのだ。


  • ここまで言えばわかるだろう。つまり個性というものは決して存在しないんだ。


  • 人間が為し得る発見は、あらゆる場合、宇宙のどこかにすでに完成されてゐるもの


  • 日本人の情緒的表現の最高のものは《恋》であって《愛》ではない。


  • われらには、死んですべてがわかった。死んで今や、われらの言葉を禁める力は何一つない。われらはすべてを言う資格がある。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ。


  • 《愛国心》というのは筋が通らない。なぜなら愛国心とは、国境を以て閉ざされた愛だからである。


  • 愛はみんな怖しいんですよ、愛には法則はありませんから。


  • 日本人が美と考えたものは、美貌であり、あるいは心ばえであり、あるいは衣装の美であり、あるいは精神的な美であり、ある場合は「源氏物語」の中の美しい女性のように、闇の中でほのめいてくる香のかおりであった。-若きサムライのための精神講話-


  • 「俺が滅びるのだ。だから世界がまず滅びるべきだ」という論理は、生きるための逃げ口上に使われれば、容易に、「世界が滅びないなら、俺は滅びることができない」という嗟歎に移行する。いずれも死を前提にした論理であるのに、死が死の不可能と固く結びついている。-魔-


  • 民族主義は、実はファッシズムにとって二次的なものであり、その基礎は唯我哲学の拡張にすぎなかった。パートランド・ラッセルも云っているように、「人種とナショナリズムに対する信念は、このようにして唯我哲学の心理的に云って当然の帰結」であった。-新ファッシズム論-


  • 人間の心とは、本来人間自身の扱うべからずものである。従ってその扱いには常に危険が伴い、その結果、彼自身の心が、自分の扱う人間の心によって犯される。犯された末には、生きながら亡霊になるのである。-楽屋で書かれた演劇論-


  • 武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこへ行こうとするのか。-檄-


  • 私の夢想の果てにあるものは、つねに極端な危機と破局であり、幸福を夢みたことは一度もなかった。私にもっともふさわしい日常生活は日々の世界破滅であり、私がもっとも生きにくく感じ、非日常的に感じるものこそが平和であった。-太陽と鉄-


  • 文化の白昼を一度経験した民族は、その後何百年、いや千年にもわたって、自分の創りつつある文化は夕焼けにすぎないのではないかという疑念に悩まされる。-日本文学小史-


  • 人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終ってくれないのが人生というものである。-新恋愛講座-


  • われわれがプラトンにおどろくのは、近代の芸術家の定義が、すでにこんなにも明確に「饗宴」篇中に語られているという点である-芸術にエロスは必要か-


  • 漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを仕入れて来なければならないのだ。あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。そして倒錯的な漫画が人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。 -わが漫画-


  • しかし少なくとも、ギリシャは私の自己嫌悪と孤独を癒し、ニイチェ流の「健康への意志」を呼びさました。私はもう、ちょっとやそっとのことでは傷つかない人間になったと思った。晴れ晴れとした心で日本へ帰った。-私の遍歴時代-


  • 美は道徳(神)と対置されることによって、人間主義の復興の範疇をのがれえぬ。-美について-


  • 近代生活に於てほとんど不要になった筋肉群は、まだわれわれ男の肉体の主要な構成要素であるが、その非実用性は明らかで、大多数のプラクティカルな人々にとって古典的教養が必要でないように、隆々たる筋肉は必要でない。筋肉は次第次第に古代希臘語のようなものになっていた。-太陽と鉄-


  • 性的な幻滅とか、性的な荒廃とか不良化とか堕落とかいうものは、実は、性そのものに関する無知ではなくて、私には人間そのものに関する無知と、よく現代社会の構造を見きわめないという無知からくるもののように思われる。-新恋愛講座-


  • 男性は、安楽を100パーセント好きになれない動物だ。また、なってはいけないのが男である。-あなたは現在の恋人と結婚しますか?-


  • 肉体が衰えなくては、本当の精神は生まれて来ないのだ。私がもっぱら「知的青春」なるものにうつつを抜かしている青年に抱く嫌悪はここから生じる。-空白の役割-


  • 私たちは、(この私もそうであるが)、あまりに軽率に、古びるとか、古びないとか言いすぎる。-ヴォンガリア「抽象と感情移入」を巡って-


  • 作家は現実の犯罪の手続きをとることもなく、又、唯ひたすらに孤独から遁れ去ろうという欲求に身を任せるでもなく、まず、生れながらに、絶対孤独を自分の棲家とする。だから、そこに棲んだまま、黙って,何も言わず涸化して死んでしまった作家もある筈だ。一行も書かなかった作家というのもある筈だ。


  • トオマス・マンの「トニオ・クレエゲル」は、芸術家の自覚に関する悲痛な告白であるが、芸術家たるトニオは、正にプラトン的エロスの申し子である。トニオは生まれながらに欠乏の自覚を持っている。-芸術にエロスは必要か-


  • 日本の小説家が、さまざまな心の艱難と時日の経過から得るものが、ただの技術的洗練だけだと考えるのは悲しいことだ。そこで、早くも、何もかもぶちこわしたくなる。五十、六十までゆっくりと育てて、育てた上の捨離ではなくて、中途半端で、すぐにまたぶちこわしたくなる。-私の遍歴時代-


  • 行為とは、宿命と自由意志との間に生れる鬼子であって、人は本当のところ、自分の行為が、 宿命のそそのかしによるものか、自由意志のあやまちによるものか、知ることなど決してできない。-裸体と衣装-


  • 青年の自殺の多くは、少年時代の死に関するはげしい虚栄心の残像である。絶望から人はむやみと死ぬものではない。 -小説家の休暇-


  • 私の言いたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬の味とは縁の切れない、そういう中途半端な日本人はもう沢山だということであり、日本の未来の若者にのぞむことはハンバーガーをパクつきながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。-サムライ-


  • 無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。-川端康成再説-


  • 女性の困った性質として、芸術が自分を高めてくれる、という考えに熱中するあまり、すっかり自分が高まっちゃった、と思い込むことであります。-反貞女大学-


  • 性的異常は社会的異常と同じメカニズムをもち、いつも「手段と目的のとりちがえ」から生ずるが、サディズムもその例に洩れず、欲望の一要素たる相手の客体化、相手の自由の剥奪が、それ自身目的化されるにいたったもので、ひとたび目的化された手段は、たちまちそれ自体の体系をそなえるようになる。


  • 壮烈な死が決して滑稽ではないような事態を招来するには、自分一人だけではなく、社会全体の破滅が必要なのではあるまいか?-魔-


  • 彼(太宰治)の被害妄想は、目前の岩を化物に見せた。だからそいつに頭をぶつければ消えて失くなるものと思って頭をぶつけ、却って自分の頭を砕いてしまった。-小説家の休暇-


  • サディズムとマゾヒズムが紙一重であるように、女性に対するギャラントリィと女ぎらいとが紙一重であるということに女自身が気がつくのは、まだずっと先のことであろう。女は馬鹿だから、なかなか気がつかないだろう。-女ぎらいの弁-


  • すべての日本人の繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐい稀な結合を誇りに思う。 この相反する二つのものが、かくもみごとに一つの人格に統合された民族は稀である。-日本人の誇り-


  • 人々は詩の知的制作過程を通じて、何が苦いか何が甘いかの、気むずかしい判断を競うようになった。法則を会得してしまうと、ひたすらニュアンスが重要になり、形式を我がものにしてしまうと、馨りや姿が大切になった。われわれは紀貫之の古今集序に、このような批評的権威の定立を見る-日本文学小史-


  • 唯美主義は鋭く批評的な流派であり、作品としての結晶に多くをのこっさなかったのは、その批評的性格の故かもしれないのである。-唯美主義と日本-


  • 男はなぜ、壮絶な死によってだけ、美と関わるのであろうか。-太陽と鉄-


  • ドストイエフスキーの「罪と罰」を引張り出すまでもなく、本来、芸術と犯罪とは甚だ近い類縁にあった。「小説と犯罪とは」と言い直してもよい。小説は多くの犯罪から深い恩顧を受けており、「赤と黒」から「異邦人」にいたるまで、犯罪者に感情移入していない名作の数は却って少ないくらいである。


  • 死の権力意志は夢想の上に成立ち、不可能の上に腰を据えている。それは殉教者の死、間諜の処刑、追いつめられた叛徒の自決などに関連しており、これらは歴史上つい最近に起ったばかりか、地球上の他の国々では今日も現実に起っているのに、われわれの身のまわりだけには起りようがないのである。-魔-


  • フロイトは中学生のころ私の座右の書であったが、今この「芸術論」を再読してみて、カントが芸術にぶつかって「判断力批判」で失敗したように、フロイトも芸術でつまずいて、ここで最もボロが出していると思われるところが多い。-フロイト『芸術論』-


  • 親しいからと云って、言ってはならない言葉というものがあるものだが、御節介な人間は、善意の仮面の下に、こういうタブーを平気で犯す。-私のきらいな人-


  • われわれは宮廷風の優雅のほかには、真に典型的な優雅の規範を持たず、文化の全体性は、自由と責任という平面的な対立概念の裡にではなく、自由と優雅という立体的構造の裡にしかないのである。今もなおわれわれは「菊と刀」をのこりなく内包する詩形としては、和歌以外のものを持たない-文化防衛論-


  • 美、あるいは官能的魅惑の特色はその素速さにある。それは一瞬にして一望の下に見尽されねばならず、その速度は光速に等しい。


  • かつて太陽を浴びていたものが日蔭に追いやられ、かつて英雄の行為として人々の称賛を博したものが、いまや近代ヒューマニズムの見地から裁かれるようになった。-革命哲学としての陽明学-


  • 日本の美の観念は? 神の不在。宗教道徳との対立がないこと。それにもましてギリシャを持たないこと。人間中心の伝統を持たないこと。-美について-


  • ほんのつかのまでも、われわれの脳裡に浮んだことは存在する。現に存在しなくても、かつてどこかに存在したか、あるいはいつか存在するであろう。-太陽と鉄-


  • ある人物と決定的な出会をして、それから終生離れられなくなるずっと以前に、むこうもこちらに気づかず、こちらもほとんど無意識な常態で、その大切な人物にどこかでちらっと出会っていることがあるものだ。私と太陽との出会もそうであった。-太陽と鉄-


  • 暴力と残酷さは人間に普遍的である。それは正に、人間の直下に棲息している。今日店頭で売られている雑誌に、縄で縛られて苦しむ女の写真が氾濫しているのを見れば、いかにいたるところにサーディストが充満し、そしらぬ顔でコーヒーを呑んだり、パチンコに興じたりしているかがわかる-ファッシズム-


  • 文学とは、青年らしくない卑怯な仕業だ、という意識が、いつも私の心の片隅にあった。本当の青年だったら、矛盾と不正に誠実に激昂して、殺されるか、自殺するか、すべきなのだ。-空白の役割-


  • マルクスとフロイトは、西欧の合理主義の二人の鬼子であって、一人は未来へ、一人は過去への、呪術と悪魔祓いを教えた点で、しかもそれを世にも合理的に見える方法で教えた点で、双璧をなすものだが、民俗学を第三の方法としてこれに加えると、我々は文化意志を否定した文化論の三つの流派を持つ……


  • 希臘人は外面を信じた。それは偉大な思想である。キリスト教が「精神」を発明するまで、人間は「精神」なんぞを必要としないで、矜らしく生きていたのである。-アポロの杯-


  • 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。


  • ブラジルは人種的偏見の少ない国だが、それでも黒人の悲願は白人に生れ変ることであり、こういう宿命を抱いた人たちは、当然仮装に熱中する。仮装こそ、「何かになりたい」という念願の仮の実現だからである。 -「黒いオルフェ」を見て-


  • 子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちょぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした家畜道徳に乗ぜられてはならない。-お茶漬ナショナリズム-


  • われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。-檄-


  • われわれはできれば何でも打ち明けられる友達がほしい。どんな秘密でも頒つことのできる友達がほしい。しかしそういう友達こそ、相手の尻尾もしっかりつかんでいなければ危険である。相手の尻尾を完全につかんだとわかるまで、自分の全部をさらけ出すことは、つねに危険である。-私のきらいな人-


  • 我々が殺人を許容しない社会に住んでいることは、一種の社会契約によって、我々自身の殺人をも許されないものにしてしまっているわけだが、狂気はあくまで病気の一種であり、人間の自由意志とは関係がないから、いかに狂気が危険でも、我々自身が発狂することは許されているのである。-小説とは何か-


  • しかし、世間では、小説家こそ人生と密着しているという迷信が、いかにひろく行われていることであろう。何よりもそれを怖れて小説家になった彼であるのに!-小説とは何か-


  • 人体が美しくなくなったのは、男女の人体が自然の与えた機能を逸脱し、あるいは文明の進歩によって、そういう機能を必要としなくなったからである。-機能と美-


  • 革命は行動である。行動は死と隣り合わせになることが多いから、ひとたび書斎の思索を離れて行動の世界に入るときに、人が死を前にしたニヒリズムと偶然の僥倖を頼むミスティシズムとの虜にならざるを得ないのは人間性の自然である。-革命哲学としての陽明学-


  • 男の世界は思いやりの世界である。男の社会的な能力とは思いやりの能力である。武士道の世界は、一見荒々しい世界のように見えながら、現代よりももっと緻密な人間同士の思いやりのうえに、精密に運営されていた。 -葉隠入門-


  • 女が自分の本質をはっきり知った時は、おそらく彼女は女ではない何か別のものであろう。 -女ぎらいの弁-


  • 日本にとって近代的立憲君主制は真に可能であったのか?……あの西欧派の重臣たちと、若いむこう見ずの青年将校たちと、どちらが究極的に正しかったのか?世俗の西欧化には完全に成功したかに見える日本が、「神聖」の西欧化には、これから先も成功することがあるのであろうか?-二・二六事件と私-


  • 男は愛については専門家ではなく、概して盲目で、バカである。男は愛についてはまだお猿クラスですから、愛されるほうに廻るほかはない。そして男が愛されている姿とは、チャンチャンコを着せられた愛犬という趣がある。-第一の性-


  • 私に余分なものといえば、明らかに感受性であり、私に欠けているものといえば、何か、肉体的な存在感ともいうべきものであった。-私の遍歴時代-


  • 今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、というのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、われわれは日本につかまれている。 だから私は、日本語を大切にする。これを失ったら、日本人は魂を失うことになるのである。-日本への信条-


  • おそらく知的な青年は、たとえ身振りだけにもせよ、反抗的反逆的になるものである。-空白の役割-


  • 若い人にとっては大へんくやしいことですが、性のほんとうの円熟した喜びというものは、大人にならなければわからないものです。-新恋愛講座-


  • 日本人ぐらい性の自己分析の不得手な国民はなかろう。それは又一般的自己分析のあいまいさという国民的特色と相俟っている。-All japanese are perverse-


  • 原爆の国連管理がやかましくいわれているが、国連を生んだ思想は、同時に原子爆弾を生まざるをえず、世界国家の理想と原爆に対する恐怖とは、互いに力を貸し合っているのである。 -死の分量-


  • 日本の近代文学で、文学を真の芸術作品、真の悪、真のニヒリズムの創造にまで持って行った作家は、泉鏡花、谷崎潤一郎、川端康成などの、五指に充たない作家だけである。-裸体と衣装-


  • 遠い汽笛、……どこの家でもきこえて、子供の夜を、悲しみでいっぱいにしてしまったあの汽笛、しかし同時に夜に無限のひろがりと駅の灯火の羅列とさびしい孤独な旅を暗示したあの汽笛は、どこへ行ってしまったのか。-ポップコーンの心霊術-


  • 二十世紀のナチスの革命においては、ニイチェやハイデッガーの準備した能動的ニヒリズムの背景のもとに、ゲルマン神話の復活を策するローゼンベルクの『二十世紀の神話』が、ナチスのミスティシズムを形成した。-革命哲学としての陽明学-


  • バルザックが恐ろしいことを言っています。すなわち、「希望は過去にしかない」と。人生で、いちばん空しく、みじめなことは何でしょうか?それは「かつては……だった」「かつては美しかった」「かつては強かった」「かつては有名だった」等々、生きながら、自分の長所に過去形を使うことです。


  • われわれは、いまその深淵の上を閉ざす弥縫的な「平和」にたぶらかされているが、やがてその深淵は人間精神の上にもっと恐ろしい形で再現することは十分予期されるのである。-革命哲学としての陽明学-


  • 青春というものは明るいと思えば暗く、暗いと思えば明るく、自分がその渦中に在る間は五里霧中でありながら、時経て省みると村の教会の尖塔のようにくっきりと日を受けて輝やいている。意味があると思えばあり、ないと思えばなく、生の激湍と死の深淵とにふたつながら接し、野心と絶望を併せ蔵している


  • 肉体が人に誤解されやすい最大の理由は、肉体美というものはどうしても官能美と離れることができないからであり、それこそは人間の宿命であるのみならず、人間が考える美というものの宿命だからであろう。-若きサムライのための精神講話-


  • お世辞を言う人は、私はきらいではない。うるさい誠実より、洗練されたお世辞のほうが、いつも私の心に触れる。世の中にいつも裸な真実ばかり求めて生きていると称している人間は、概して鈍感な人間である。-私のきらいな人-


  • 女が平和を叫ぶのも、しかし、もともと無理はない。女が妊娠し、子を生み、育てるには、どうしても永い平和な静かな時間と場所を必要とするからです。-反貞女大学-


  • 私も人並に自殺を考えたが、私は自分を一向に青年らしいと考えることはできなかったから、私の自殺は想像するだに滑稽だろうと思われた。もちろん臆病から私は自殺をすることができなかった、しかしこの醜悪な滑稽さを、いつまでも持て余しているのはいやだったから、自殺する代りに小説を書いた。


  • 死と危機と世界崩壊に対する日常的な想像力が、義務に転化する瞬間ほど、まばゆい瞬間はどこにもあるまい。-太陽と鉄-


  • 人間の道徳とは、実に単純な問題、行為の二者択一の問題なのです。善悪や正不正は選択後の問題にすぎません。道徳とはいつの場合も行為なんです。-一青年の道徳判断-


  • 私が私自身に、言葉の他の存在の手続きを課したときから、死ははじまっていた。……私をして、自然死に至るまで生きのびさせるものこそ正に言葉であり、それは「死に至る病」の緩慢な病菌だったのである。-太陽と鉄-


  • 蔑視と恐怖とは、ところで、少年にとっては同義語であった。-太陽と鉄-


  • 人間は、いつでも、自分のもっていないものに憧れます。たとえば、おわりのない純潔。おわりのない美の結晶。強い、何ものにも傷つけられない硬い純潔。-おわりの美学-


  • 坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだろう。余計なものがなく、ガランとしていて、空っ風が吹きとおって、しかもそれが一方から一方への単純な通路であることは明白で、向う側には、夢のように明るい丸い遠景の光りが浮かんでいる。 -坂口安吾全集 推薦文-


  • 私は坂口安吾氏に、とうとう一度もお目にかかる機会を得なかったが、その仕事にはいつも敬愛の念を寄せていた。戦後の一時期に在って、混乱を以て混乱を表現するという方法を、氏は作品の上にも、生き方の上にも貫ぬいた。氏はニセモノの静安に断じて欺かれなかった。-私の敬愛する作家-


  • 人間の意志のはたらかないところで起る小さなまちがいが、やがては人間とその一生を支配するというふしぎは、本当は罪や悪や不道徳よりも、本質的におそろしい問題なのであります。われわれが意識して犯す罪は、ただのまちがいに比べれば、底が知れていると言えるのかもしれません。-不道徳教育講座-


  • 道徳の堕落も亦、女性の側から起っている。男性の仕事の能力を削減し、男性を性的存在にしばりつけるうような道徳が、女性の側から提唱され、アメリカの如きは女のおかげで惨澹たる被害を蒙っている。悪しき人間主義はいつも女性的なものである。-女ぎらいの弁-


  • 行動はことばで表現できないからこそ行動なのであり、論じても論じても、論じ尽せないからこそ行動なのである。-行動学入門-


  • 戦争がおわったとき、氏[川端康成]は次のような意味の言葉を言われた。「私はこれからもう、日本の悲しみ、日本の美しさしか歌うまい」――これは一管の笛のなげきのように聴かれて、私の胸を搏った。 -永遠の旅人-


  • 精神はどこに位置するか?精神は二十世紀後半においては、人間概念の分裂状態の、修繕工として現れるほかはない。統一と総合の代りに、あの二つのものの縫合の技術が、精神の職分になるだろう。-小説家の休暇-


  • 実際芸術の堕落は、すべて女性の社会進出から起っている。-女ぎらいの弁-


  • よく世間で”童心を失った人”という言葉を聞きますが、童心を失った人は、自分の思春期までの人生を、ただ子供のばかばかしい無経験なことと考えていて、それをしっかり捨て去り、おとなの散文的な、世俗的な、実は一段とつまらない人生の方にばかり目を向けている人のことを言うのです-わが思春期-


  • しかし私が思うのに、人間の理性なんて、誰がそんなものが在ると決めたのか?これは多分カント先生が決めたのでしょう。-不道徳教育講座-


  • 私は自分の思春期に性的経験の乏しかったことや、自分が文学にばかり熱中していて、人生にあまり熱意を持たなかったことや、そういうことの方を今では恥ずかしく思います。-わが思春期-


  • 人々はなぜ深みを、深淵を求めるのだろうか?思考はなぜ測量錘のように垂直下降だけを事とするのだろうか?思考がその向きを変えて、表面へ、表面へと、垂直に登ってゆくことがどうして叶わぬのだろうか?-太陽と鉄-


  • 二・二六事件の悲劇は、方式として北一輝を採用しつつ、理念として国体を戴いた、その折衷性にあった。挫折の真の原因がここにあったということは、同時に、彼らの挫折の真の美しさを語るものである。この矛盾と自己撞着のうちに、彼らはついに、自己のうちの最高最美のものを汚しえなかったのである。


  • 小説家は誠実でなければならないか?そういう質問の出し方が愚劣なのであって、人間は当然誠実であるべきなのだ。そして少し大胆な言い方がゆるされるなら、人間にとってある場合は正直が美徳であり或る場合は嘘も美徳でありうるように、小説家にとってもそうであるにすぎない。-私の小説の方法-


  • 低開発国の貧しい国の愛国心は、自国をむりやり世界の大国と信じ込みたがるところに生れるが、こういう劣等感から生れた不自然な自己過信は、個人でもよく見られる例だ。私は日本および日本人は、すでにそれを卒業していると考えている。-日本への信条-


  • しかしきみ、革命っていうのは”今日”よりも”明日”を優先させる考え方だろう。ぼくは未来とか明日とかいう考え、みんなきらいなんだ。-東大を動物園にしろ-


  • 批評する側の知的満足には、創造というまともな野暮な営為に対する、皮肉な微笑が、いつまでもつきまとうことは避けられない。この世には理想主義的知性などというものはないのだ。あらゆる理想主義には土方的なものがあり、あらゆる仕事は理想主義の影を伴う。-裸体と衣装-


  • 個性とは何か?弱みを知り、これを強みに転じる居直りです。-おわりの美学-


  • しかし幸いなことに、人間は本来あまりまちがいを犯さぬ動物と考えられているのです。これが人間同士の親しみ合いの唯一の根拠で、この信仰がなかったら、人間は人間にとって永遠に恐怖の的でありましょう。-不道徳教育講座-


  • われわれは、ふしぎなことに、太古から、英雄類型として、政治的敗北者の怨念を、女性的類型として、裏切られた女の嫉妬の怨念を、この二種の男女の怨念を、文化意志の源泉として認めてきたのであり、成功した英雄は英雄と認められず、多幸な女性は文化に永い影を引くことがなかった。-日本文学小史-


  • 日本の作家は、生れてから死ぬまで、何千回日本へ帰ったらよいのであろうか。日本列島は弓のように日本人たちをたえずはじき飛ばし、鳥もちのようにたえず引きつける。-林房雄論-


  • 自然な日本人になることだけが、今の日本人にとって唯一の途であり、その自然な日本人が多少野蛮であっても少しも構わない。-若きサムライのための精神講話-


  • 青年たちは、自分らがかつて少年雑誌の劇画から学んだ英雄類型が、やがて自分が置かれるべき未来の社会の中でむざんな敗北と不敗にさらされていくのを、焦燥を持って見守らなければならない。そして、英雄類型を滅ぼす社会全体に向かって否定を叫び、彼ら自身の小さな神を守ろうとするのである。


  • 工業化の果てにおける精神的空白は再びまた工業化によって埋められ、精神の飢えが再び飽満した食欲によって満たされることになった。そして先にも言ったように、人は心の死、魂の死を恐れないようになったのである。-革命哲学としての陽明学-


  • 清潔なものは必ず汚され、白いシャツは必ず鼠色になる。人々は、残酷にも、この世の中では、新鮮、清潔、真白、などというものが永保ちしないことを知っている。だから大いそぎで、熱狂的にこれを愛し、愛するから忽ち手垢で汚してしまう。-おわりの美学-


  • 人間生きていれば絶対の誠実などというものはありえないし、それだからこそ、人間は気楽に人生を生きてゆけるのだ -反貞女大学-


  • 人間はいくつになっても感傷を心の底に秘めているものですが、感傷というのはGパンみたいなもので、十代の子にしか似合わないから、年をとると、はく勇気がなくなるだけのことです。-レター教室-


  • 私は十一世紀に源氏物語のような小説が書かれたことを、日本人として誇りに思う。中世の能楽を誇りに思う。それから武士道のもっとも純粋な部分を誇りに思う。日露戦争当時の日本軍人の高潔な心情と、今次大戦の特攻隊を誇りに思う。-日本人の誇り-


  • 作家にとっては、弱点だけが最大の強みとなることぐらい知っている。しかし弱点をそのまま強みへ持ってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。どうにもならない自分を信じるということは、あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたっては!-小説家の休暇-


  • なぜ自分が作家にならざるを得ないかをためしてみる最もよい方法は、作品以外のいろいろの実生活の分野で活動し、その結果どの活動分野でも自分がそこに合わないという事がはっきりしてから作家になっておそくはない。-作家を志す人々の為に-


  • 私は曾て、窓に倚りつつ、たえず彼方から群がり寄せる椿事を期待する少年であった。自分の力で世界を変えることが叶わぬながら、世界が向こうから変ってくることを願わずにはおれず、世界の変貌は少年の不安にとって緊急の必要事であり、日々の糧であり、それなしには生きることのできぬ或るものだった


  • 言葉は何ものでもない。芸術に媒介された真情のほかに真情はなく、音楽のなかにしか存在しない感情が、人間感情のすべてを代弁する筈だ。-ワットオの《シテエルへの船出》-


  • 「新しい人間と新しい倫理」は芸術作品の中にしかありえないのである。しかも作品の中にあらわれた新しい人間像は、きわめて正確な程度にまで到達された作者の原型の模写に他ならず、各人各様のその到達の方法は、人間の歴史とともに古いのである。-反時代的な芸術家-


  • 私は巣を持たない鳥であるよりも、巣を持った鳥であるほうがよい。-日本人の誇り-


  • バカという病気の厄介なところは、人間の知能と関係があるようでありながら、一概にそうともいいきれぬ点であります。-不道徳教育講座-


  • 男は取り残される。快楽のあとに、姙娠の予感もなく、育児の希望もなく、取り残される。この孤独が生産的な文化の母胎であった。 -女ぎらいの弁-


  • 女性の特徴は、人の作った夢に忠実に従うことでしょうが、何よりも多数決に弱いので、夫の意見よりも、つねに世間の大多数の夢のほうを尊重し、しかもその「視聴率の高い夢」は大企業の作った罠であることを、ほとんど直視しようとしません。-反貞女大学-


  • 親しくなったとたんに、垣根を破って飛び込んでくる人間はきらいである。-私のきらいな人-


  • キリスト教は、世界と人間から逃避しつつ、同時に自然からも逃避した。キリスト教の根本的な信念は、もっとも反自然的なものを「精神」と呼ぶことにある。


  • 太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。-小説家の休暇-


  • われわれが「やりきれない」と思う他人の欠点は、たいていは相手が生きているということから起る。やりきれない口臭の持主も、死んでしまえば一向気にならない。-不道徳教育講座-


  • ところで心中の美しさというものも、全く幻影的なものである。文楽の人形で見たって「知死期」の苦悶はいいかげんグロテスクな見物であるが、人間の死にざまがそんなに美しかろうはずがない。-心中論-


  • この男(太宰治)には、世俗的なものは、芸術家を傷つけるどことか、芸術家などに一顧も与えないものだということが、どうしてもわからなかった。自分で自分の肌を傷つけて、訴えて出る人間のようなところがあった。-小説家の休暇-


  • 青年が本当に青年のままで役立つような時代はすぎ去った。矜りや謙虚や純潔などという青年の美徳も、どうもそのままでは、新入社員の採用に当って、「好青年」の目安になるだけのことであろう。-空白の役割-


  • 私が好きなのは、私の尻尾を握ったとたんに、より以上の節度と礼譲を保ちうるような人である。そういう人は、人生のいかなることにかけても聡明な人だと思う。親しくなればなるほど、遠慮と思いやりは濃くなってゆく、そういう附合を私はしたいと思う。-私の嫌いな人-


  • 肉体というものが本質的に滅亡の論理をもち、精神がその対蹠物として据えられて、永遠への志向をもつというのは、キリスト教や仏教を問わず、あらゆる宗教の前提であった。 -心中論-


  • 彫像が作られたとき、何ものかが終る。そうだ、たしかに何ものかが終るのだ。一刻一刻がわれらの人生の終末の時刻であり、死もその単なる一点にすぎぬとすれば、われわれはいつか終るべきものを現前に終らせ、一旦終ったものをまた別の一点からはじめることができる。-アポロの杯-


  • 新らしさが「発見」であるとするならば、発見ほど既存を強く意識させるものはない筈だ。発見は「既存」の革命であるが、それは既存そのものの本質的な変化ではなく、既存の現象的相対的変化に他ならない。既存の革命というよりも、既存の意味の革命というべきだ。-わが世代の革命-


  • 人生に対する好奇心などというものが、人生を一心不乱に生きている最中にめったに生れないものであることは、われわれの経験上の事実であり、しかもこの種の関心は人生との「関係」を暗示すると共に、人生における「関係」の忌避をも意味するのである。-小説とは何か-


  • かえりみれば、私の遍歴時代には、時代と社会の急激な変化はあったが、一つのしっくりした有機的な形成はなかった。大きな外延を持ってひろがり育つ、一つの思想の成熟もなかった。-私の遍歴時代-


  • 日本にはすでに民族「主義」というものはありえない。われわれがもはや中近東や東南アジアのような、緊急の民族主義的要請を抱え込んでいないという現実は、幸か不幸か、ともかくわれわれの現実なのである。今や明治維新の歴史的価値は、ますます高められてきた、と私は感じる。-裸体と衣装-


  • このごろは、昔に比べて、学生の学力の低下がしきりに論ぜられているけれど、学生が人生に無知であって、考えが浅薄で、いい気なもので、甘い理想家で、虚勢ばっかり張っていて、そのくせ自信がなくて、……という点では、今の学生も昔の学生も、少しも変りがないという気がします。-わが思春期-


  • 私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が自分に適さない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。-小説家の休暇-


  • われわれにとって自衛隊は故郷であり、生温い現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。-檄-


  • 自意識が強いから愛せないなんて子供じみた世迷い言で、愛さないから自意識がだぶついてくるだけのことです。 -一青年の道徳的判断-


  • さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもっとも悪質な自己欺瞞である。それは他人に媚びることである。-小説家の休暇-


  • われわれの誇りとするところのものの構成要素は、しばしば、われわれの恥とするところのものの 構成要素と同じなのである。-日本人の誇り-


  • 実は私は「愛国心」という言葉があまり好きではない。-愛国心-


  • 私が何とか、私の肉体と精神を等価のものとすることによって、その実践によって、文学に対する近代主義的妄信を根底から破壊してやろうと思ってきたのである。-果たし得ていない約束-


  • バルザックは毎日十八時間小説を書いた。本当は小説というものはそういうふうにして書くものである。詩のようにぼんやりインスピレーションのくるのを待っているものではない。-作家を志す人々の為に-






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