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韓非の名言集

公開日: : 最終更新日:2014/03/18 , か~こ , , ,


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韓非(かんぴ 紀元前280年頃?紀元前233年)

中国戦国時代 (中国) 戦国時代の政治家。法家の代表的人物

もとは韓子と呼ばれていたが、唐代の詩人韓愈を韓子と呼ぶようになり、それからは韓非子と呼ばれるようになった。
韓非は韓の公子の末流であり、若い頃に李斯と共に荀子に師事した。
韓非の母国韓は戦国七雄の中でも最弱国であり、隣国の秦に日に日に領土を削られていた。韓非の理想はどうにかこの弱い母国を強国へと生まれ変わらせる事であった。韓非は生まれつき吃音で演説は上手くなかったが、その文章は天才であり、度々韓王に対して国政改革の上書をしたが、受け入れられず、その思想を『韓非子』に著した。

  • 重耳は亡命途中で鄭に寄ったが礼遇されなかった。叔瞻は鄭王に「遇しないのなら殺せ」と諌めたが君は聴かなかった。重耳は晋に帰ると鄭に侵攻した。叔瞻は病根が肌にある時に治療しようとしたが鄭王は従わなかったのである。老子は「安定している時が維持しやすく兆しのないうちが処置し易い」と言う

  • 勾践は呉王の家来となったことで夫差を姑蘇で殺すことが出来た。文王は殷に囚われ玉門で罵られたが顔色も変えず、その子武王が紂を捕虜にした。老子も「柔弱な態度をとることを強という」と言った。勾践が覇者となったのも、武が王者となったのも普通の人が憂うことを気にしなかったからである

  • 老子曰く「天下の難事も必ず易しい事からはじまり、大事も必ず小事から始まる」それゆえものごとを解決しようとするものはそれが小さいうちからすべきである。長さ千丈の堤防も蟻の穴から決壊し、百尺四方の邸宅も煙突の火の粉から全焼する。故に経験豊富な者は堤の小穴を塞ぎ煙突の割れ目を補修する

  • 越王勾践は戦いに敗れ呉王夫差の家来となったが、そこで斉の討伐を進言し呉の力を疲弊させた。呉は斉に勝利し長江、済水で威勢を張り、黄池で強大を誇ったが、それゆえに五湖で越軍に制圧された。そこで老子は「それを縮小させたければしばらくはいっぱいに膨張させるに限る。」と言うのである

  • 茲鄭子は車を引き橋に登ろうとしたが重くて出来なかった。すると茲鄭は車の長柄に腰掛け歌った。人々が立ち止まり集り、その人々に助けられ茲鄭は橋に上がれた。もし茲鄭が人を集める術を知らなければ彼自身がいくら力を尽くしても上れなかったろう。術を心得ていたので労せず橋に上れたのである

  • 田鮪がその子、田章に教えて言った、「お前の身に利益を得たいと思ったら、まずお前の主君が利益を得るようにすることだ。お前の家を富ませたいなら、まずお前の国を富ませることだ。」

  • 管仲は魯から斉に送還されることになった。道中綺烏関に立ち寄ったが篤くもてなされた。ある関守が話しかけた。「幸いに斉に帰り死罪とならず官職を得られた場合お礼を頂けますか」管仲は答え「その場合私は優れた人を取り立て能力のあるものを使い功労のあるものを表す。なぜお前に礼をするものか」と

  • 曾子の妻が出かけるとき子供が泣いたので「帰ってきたらご馳走にしてあげる」と言い聞かせた。帰ってくると、曾子が豚をまさに殺そうとしている。妻は「子供相手の冗談ですよ」と止めたが曾子は「子供は父母につき学ぶものだ。今お前がそれを騙したら親が子供をだまし、子は親を信じないことになる」と

  • 荘王が越を討とうとした。杜子が「なぜ越を打つのか」と聴くと王は「越の政治が乱れ軍も弱いからだ」と。杜子は「楚は晋や秦に破れ、荘?(大盗賊)を捕えられない。楚の軍が弱く政治が乱れている証拠だ」知ることの難しさは自分を見抜くことである。老子曰く「自分で自分を見抜くことを明智という」

  • 秦の公孫支は自ら足斬りの刑を受けることにより、百里奚を高い位につけた。斉の豎?は自ら宮刑を受け桓公を惑わした。自ら刑罰を受けたことは同じだがその理由は異なったのだ。恵施曰く「狂人もそれを追う人も同じ方向へ走る」と。だから『同じことをしている人は特に詳しく見極めねばならない』のだ

  • 人主篇:人主、すなわち君主がわきまえるべきこと。側近の勢力を排除して法術の士を用いるべし。

  • 忠孝篇:世に賞賛される尭舜湯武の聖人は世の平安をかえって乱す、法を第一に守るものが真の忠臣だ。

  • 顕学篇:顕学とは世に顕れた学派ということで当時主流だった儒家と墨家を指している。その2学派の主張に対する批判を行う

  • 古代の聖王は刑罰を与えたことに涙したというのは、たしかに仁愛を示してはいるが、結局は(刑罰を執行しているので)法律を尊重して感情には従わず政治を行っていることに他ならない。してみると仁愛の情では政治を行えないことをあらわしているのではないか。

  • 儒家や墨家は言う「古代の聖王は死刑の報告に涙し、刑罰の報告には心を痛めて音楽を止めた。父母のような愛を持って民衆に望んだのだ」と。彼らは君臣の関係も親子と同じような愛情を持てばうまくいく思っている。それが正しいなら世の中に仲違いをする親子なんていない。

  • そもそも古代と現代では風習が違う。よって新しい時代と古い時代とではその対策も異なる。寛容で緩やかな政策によってこの厳しい時代の民を治めようとするのは手綱や鞭を持たずに荒れ馬を乗りこなそうとするようなもので、現実を知らない愚か者がやりそうなことだ。

  • 偃王は仁義の政治を行ったが徐は滅び、子貢の言葉は雄弁であったが魯の領土は削られた。つまり「仁義」や「雄弁」は国を保持する力ではない。もし徐や魯が仁義や雄弁でなく「力」で立ち向かったのなら斉や荊もこのように思いのままには出来なかっただろう。

  • 古くは道徳や智謀で競い合ったが、今競い合っているのは力である。斉が魯をうかがうと魯は子貢を送り、魯を攻めることの不利を説かせた。斉の答えは「ご高説ごもっとも、しかし我らが欲しいのは領土であなたの言葉ではない。」そして魯は城門から十里のところまで侵略されてしまった

  • 舜の時代、有苗が反乱すると禹が征伐しようとしたが舜は「武力ではなく徳により帰順させるべきだ」と止め、三年間修養した舜が盾と斧を手に舞楽を舞うと有苗は帰順した。しかし共工との戦いの時代には武器の威力があがり舞楽など何の役にも立たなくなった。これが「備えは事に適う」ということだ

  • 周の文王は仁義による政治を行い西戎を懐かせ天下を統一した。徐の偃王は漢水の東に五百里四方の領土を持ち仁義の政治を行ったが荊の文王に滅ぼされた。周の文王は仁義で天下を統一したが、偃王は仁義で国を失った。仁義は昔は役に立った台までは役に立たないこれが「事は世に因る」ということだ

  • 量や実益の多寡こそが新たな聖人が政治を行うにあたっての基準である。昔、罰が軽かったのは統治者が慈悲深かったからではない。今、刑罰が重いのも統治者が残虐だからではない。『事は世により、備えは事に適う』(時代とともに物事は変わり、それに応じて対処の仕方も変わる)のである。

  • 同様に昔、財物を軽んじていたのも仁があったからではない。財物が有り余っていたからだ。現在財物を奪い合うのは道徳が廃れたのではなく財物が少なくなったからだ。王位を簡単に譲ったのも高潔だったのではなく権威が低かったからで、県知事を争うのは人格下劣なのではなく、その実権が大きいからだ

  • 水を谷まで汲みにいかなくてはならない山の住民は?臘の祭に水を供物とするが、水害に苦しむ低地の民は金を払って排水路を作っている。不作の年には肉親にも食物を分けないが、豊作の秋なら通りすがりの旅人も厚くもてなす。肉親を粗末にし旅人を大切にしているのではなく現実に食物の量が違うのだ

  • 昔に天下を譲ったことは今で言う門番の暮らし、奴隷の労働を捨てたことに他ならない。天下を譲るとはいってもたいしたことは無かった。だが今ではたかが県知事でも子孫に結構な額の遺産を残せるほどだ。昔の王が簡単にやめ、今の県知事がその地位にしがみつくのも利益に絶対の差があるためだ。

  • かつて堯が王であったときその住家は屋根は切りそろっていない茅、垂木は丸太のままの橡という粗末なものだった。王の食物は粥にアカザや豆の葉の煮汁であり、衣服は冬は鹿の皮、夏は葛であった。今なら門番でさえこれほど貧しくはない。禹は自ら鋤鍬を手に働きその苦しさは今の奴隷よりもひどかった

  • 昔は男が畑仕事をしなくても食物は草木の実で十分だった。女が布を織らなくとも鳥の羽や獣の皮があった。働かなくても生活に事欠かず人口は少なく財物は有り余り人民の争いは無かった。今は人口は増え続けるがその割に物資の量は増えない。だからいくら働いても生活は楽にならず争いが起こる。

  • 宋の国の人で畑を耕しているものがいた。畑の中に株があり、そこにたまたま兎がぶつかって死んだ。兎をもうけた彼はそれから農具を捨て耕作をやめ株のそばを離れず兎を待った。二度と兎は来ず彼は国中の笑いものとなった。今、古代の聖王の政治によって現代の民を治めようとするのはこれと同じだ。

  • とすると昔の聖人である堯・舜・湯・武の取った方法をそのまま手本にするものが新しい時代の聖人に笑われることもまた然りである。聖人とは昔にとらわれて一定不変の基準に固執するものではない。聖人とは現在を問題にしその解決をはかるものを言うのである。

  • もし禹の時代に木の上に家を作り木をこすり合わせて火を熾したりしたものがあったら鯀と禹に笑われたに違いない。殷・周の時代に排水路を切り開いても湯・武に笑われただろう。

  • 時代は下って天下に洪水が起きたときがあった。そのときは鯀と禹が排水路を切り開いた。さらに時代は下って、夏の桀と殷の紂が暴政を敷いたとき、殷の湯と周の武がそれぞれ彼らを倒した。

  • またそのころ人間は草や木の実、貝類などを生のまま食べていたので腹を壊して病気になるものが多かった。そこに一人の聖人が現れ木をこすって火を熾した。人民は喜んで彼を王として迎え燧人氏と呼んだ。

  • 五蠢:蠢とは木の内部を食い荒らす虫のこと。どんな大木でも之に内部を食い尽くされればやがて指一本で崩れ去ってしまう。国に巣食っている蠢を批判する

  • 慎子(慎到)曰く、「龍は雲に乗り騰蛇は霧に遊ぶが、雲が消え霧が晴れてしまうと地表を這いずり回るしかない。拠り所を失えば賢人でも愚者に屈服せざるを得なくなるが、権勢を得ていれば愚者であっても賢人を屈服させることが出来る。桀が天下を乱すことが出来たのも天子の位についていたからこそだ

  • 難勢篇 権勢によって治めること、勢治の重要性を説く。勢は法・術と並んで韓非が重要視する概念である。

  • それに舜が1年で1つの悪風を改めたというが凡そ人間の力には限りがあり寿命がある。過ちは次々起こりなくならない。有限の身で無限のことを追えばなせることはわずかである。だが賞罰を掲げれば国中の人々が必ず実行するようになる。尭や舜でさえ困難としたことが凡庸な君でもたやすく行えるのだ

  • 楚の国に盾と矛を売る男がいた。曰くそれは「何で突いたって突き通すことの出来ない盾」と「どんなものでも突き通せる矛」であるという。あるひとが尋ねた「その矛でその盾を突いたらどうなるんだい」不可陥の盾と無不陥の矛とは同時に存在できない。尭と舜をどちらも聖者とするのは矛盾の説だ

  • この話を聞きある人が儒者に尋ねた「舜がそうしていた時に尭はどこにいたのか?(尭は天子であった)すべてを見通す聖人が天子の位にあれば天下からすべての悪を追い払えるはずであろう。尭が聖人だったなら舜は徳を施せない。舜が徳を施したなら尭が聖人であったと言えず両者は両立出来ない。」

  • これに孔子は「農業や漁業、陶器作りなどは舜の本来の職分ではない。それなのに舜は間違いを正すために自ら赴いたのである。これこそ仁であろう、自ら労働を実践することで人民を習わせたのだ。これこそ聖人の力というものだ」と感嘆したという。

  • 歴山で農民が田地の境界をめぐって争っていたが舜が出かけ共に農耕に従ったら1年で境界の畦は正しく定まった。黄河の漁師は漁場を奪い合っていたが、舜が赴きともに魚をとると漁場は年長者に譲られるようになった。東夷の陶器は粗悪だったが舜が行き、一緒につくると1年で陶器は立派になった。

  • 難 一:世間に常識として通用しているもの、それはどんなに間違いに満ちていることか。儒家的迷信を打破する。

  • 耕作人を雇うとき主人がうまい食事でもてなしたり、金をかけて道具を揃えるのは耕作人を愛しているからではない。そうすれば耕作人は深く耕し丁寧に刈り取るからで、反対に耕作人がせっせと働くのも主人を慕っているからでなくそうすれば食べ物も上等になり給料もよくなると思っているからだ

  • 幼いとき父母におざなりにされるとその子は成長して父母を恨む。子どもが働き盛りとなったのに親の養いをおろそかにしていると父母は怒って子を責める。子と親の仲でさえ責めたり恨んだりすることになるのは、人の為にしている(から相手もそれに報いてくれて当然)という気持ちが強いからだ

  • 人のためにしている、と思っていると人を責めたり怨んだりする事になる。自分のためだと思えば事は順調に運ぶ。だから親子の間でも憎しみあうし、他方で耕作人を雇ったときにご馳走を振舞ったりする違いが出る。晋の文公の宣言、勾践の非難、呉起の治療。

  • 仁義を慕ったために乱れて弱くなったのは、趙・魏・韓の三晋である。仁義を慕わなかったためによく治まって強国となったのは秦である。しかしながらその秦もいまだ帝王となれていないのは、政治の術が不完全だからだ。

  • 子供達はままごとでチリをご飯、泥汁をスープ、木切れをおかずとするが、夕方になると必ず家に帰って食事をする。チリのご飯や泥汁では遊べても実際には食べられないからである。古代の聖王の仁義や徳を語ることも弄ぶことは出来るが、それで国を正すことは出来ない。

  • 虞卿や范雎の言論は巧みで優れているが物事の実態とは異なっている。それなのに君主はそれを求めて禁じようとしない。君主が国が治まって強くなることを求めずに弁舌巧みに飾り立てた名声に憧れているのでは国が乱れるのも道理だ。法術の士が政治を行えなければ国が乱れ君主の地位も危険になる

  • 范雎が弓職人に言った「弓作りの失敗はたいてい細工の終わりごろに起きる。これは最初は慎重に30日も矯め木にはめておくのに試し射ちは乱暴にも1日で終わらせてしまうからだ。そこで私は考えた、1日矯め木にはめて30日掛けて試射をすれば壊れないだろ、と。やってみろ」果たして壊れた

  • 虞卿が家を建てたとき大工は(土の重さで生木がたわまない様に)垂木の材木と土を乾燥させてから屋根を葺こうとしたが、虞卿が「いまは湿っていてもだんだん乾いて軽くなるのだからすぐに建てても壊れまい」と言いくるめ、すぐ建てさせた。しばらくすると家は果たして壊れてしまった。

  • 田仲という隠士に屈穀が言った「先生は仕官せず自給自足を主義としておられるとか、ですのでこの石の様に固く穴のあけられない瓢箪を差し上げます」田仲は「容器にも柄杓にもならない瓢箪なぞ何の値打ちも無いではないか」「まさしく!(国の役に立たないあなたもこの瓢箪のようだ)」

  • ある男が斉王のために絵を描いた。斉王は尋ねた「何を描くのが難しく、何を描くのが簡単か」答えて「犬や猫を描くのが一番難しく、妖怪を描くのが最も簡単です」深遠でとてつもなさそうな議論は役に立たない。実体のないものは好き勝手にでっち上げられる。君主は意見に実効性を求めなければならない

  • 周王のために3年がかりで鞭に絵を描き献上した者がいたが、別段変わったところが無かったので周王は怒った。すると「日の出のとき窓の上に乗せてご覧ください」。言うとおりにすると龍や蛇、鳥獣、車や馬の姿が現れ大変精密に描かれていた。ご苦労さん!で、それってただの漆塗りの鞭と何が違うの?

  • 言葉を複雑にして論旨わかりにくくすることは不必要なことだ。なので李子、恵施、宋?、墨?は役立たずで、議論を深遠で果てしなくしてしまう魏牟、長盧子、詹何、陳駢、荘子は(人を驚かすだけの)妖怪だ。頑固で合理的行動をしない務光、卞随、鮑焦、介之推は役立たずの瓢箪だ。

  • 鄭で互いに年長だといって争う者がいた。一人が「自分は堯と同年だ」と言うともう一人は「自分は黄帝の兄と同年だ」と言った。裁判に持ち出したが決着はつかず喋り続けたほうを勝ちとした。

  • 燕王に不死の修行を教えようという食客がいた。王は家臣をやって学ばせていたが、終わらないうちに食客は死んでしまった。王はひどく怒り家臣を罰した。ありえないことを信じて罪もない部下を罰するというのは事実をよく観察しないことによる害である。

  • 物事は基準があれば難しく、基準がなければ優しいものだ。一定の標的が有れば?や蓬蒙のような名人でも5寸の大きさの的に当てるだけで称えられるが、標的を決めずにどんな小さなものに当ててみたところで上手いとは思われない。基準を立てて応対すれば弁士も失言を恐れ無闇に喋らなくなる

  • 児説は弁論家で白馬は馬ではないと主張して斉の弁士を屈服させた。ところが関所を通るときには馬税を払ったという。してみると口先の論理に任せれば国も制圧できるが事実に即して具体的な形となると関所の小役人すら騙すこともできないのだ

  • 燕王は細工物が好きだった。茨の棘に猿の彫刻をするという者を召抱えた。しかし、半年の潔斎を経なければその彫刻は見えないと言うので王は見るのを諦めた。鍛冶屋が「王様、客人の使う彫刻刀を調べれば本当にできるのかわかります」というので早速尋ねると宿舎に取りに行くといって逃げ出した。

  • 君主は人の説に対しては、燕王が不死の道について学ぼうとして騙された様になるものだし、長広舌をふるう進化は、鄭の人が自分こそ年長だと言い争ったように果てしもなくなってしまう。ゆえに言葉をいりくませ微妙にわかりにくくするのは不必要なことだ。

  • 君主は実効性を基準とするべきだ。茨の棘に細工をすると嘯くものの話、白馬非馬などというでたらめ、基準を定めなければみな思い思いの的を用意し、どこに当たっても良いので誰でも?のよう名人になってしまう。

  • そもそも良薬は口に苦い、それなのに知者が努めて飲むのは体内で病気を治すのがわかっているからである。忠言は耳に逆らう、それなのに賢明な君主が耳を傾けるのは実効性があるのがわかっているからである。

  • 宋王が武宮を築くとき癸が音頭をとると道行く人も聞きほれ、作業員も疲れを忘れた。王に褒美を賜ると癸は「先生である射稽はさらに巧です」と言ったので呼び寄せたが人は立ち止まらず、作業員は疲れた。王が癸に問うと「私のときは板4枚分でしたが8枚分同じ時間でつき固め、固さも段違いです」と

  • 墨子は3年かけて木で鳶を作ったが1日飛んで壊れてしまった。弟子は墨子の技術に感服したが墨子は「頸木止めの職人に及ぶものではない。1尺ほどの木片を30石の重さに耐え、長年使えるものにしてしまうのも朝飯前だ」と

  • 楚王が田鳩に「墨子はその弁論を飾り立てないのはなぜか」と尋ねた田鳩は「秦王は娘の嫁入に妾を70名もつけ晋の公子に娘は蔑にされました、楚の宝石商が立派な箱を作ると宝石は売れず箱だけが売れました。うわべに心奪われると実質を忘れます。よって墨子は言葉を飾り立てないのです」

  • ?子賎は単父を治めていた。有若が「随分痩せましたね」と尋ねると「忙しく、心配事ばかりなのです」と。有若は「むかし舜は琴をひき詩を吟じながら国を治めました。法術を備えて治めれば廟堂で座していても天下は治まりますが備えずに治めれば痩せ衰えるまで働いても何の役にも立たないのです」

  • 賢明な君主の道は有若が?子に答えたように法術を中心とする。普通の君主は臣下の弁舌の巧みさを褒め称え、行動が世俗を離れ高尚なのを優れていると考えるので群臣や士民はおおげさで現実離れしてしまう。田鳩と楚王の話、墨子の木製の鳶、癸が武宮の建設を励ました話。明王だけが忠言の価値を知る

  • 晋の叔向は周の萇弘を殺すために偽手紙を書いた。それは萇弘から自分宛に「晋君にお伝え願いたい、かねてのお約束の時期が参りましたのですぐ軍を差し向けていただきたい、と」という文面であった。叔向はこれをわざと周王の宮廷に落とし急いで去った。周王はその手紙を見つけると萇弘を処刑した。

  • 【廃置】敵国はこちらの君主の明察を狂わせて謀略を成功させようと狙っている。君主がこのことに注意しないと敵の謀略にかかって臣下の任免を間違ってしまう。

  • 晋の孤突が言った「君主が女色を好めば相手の女が自分の子を跡継ぎにしたがり、太子の地位が不安定となる。いっぽう男色を好めば相手の男が高い地位を望む結果、宰相の地位が不安定となる」と

  • 【参疑】上下の秩序の混乱は内紛の元だ。したがって明君はそうしたことがないように気を配る。

  • 晋の文公の料理に毛が絡まっていた。料理番を呼び責めると料理番は「私には3つの罪があります。一に肉は切れたのに髪の毛は切れなかったこと、二に肉を良く見て串を打ったのに見落としたこと、三に肉はこんがり焼けたのに毛は焼けなかったこと、私を憎みしかけたものがいないとも言えないでしょう」

  • 【有反】なにか事件が起きたときその犯人はきっとそれによって利益を得るものである。その事件で損害を被る者がいたらその者と利害が対立するものが怪しい。明君は国が損害を被る事件にはそれで利益を得るものを調べ、臣下が損害を被る事件にはその臣下と利害の反するものを探す。

  • 楚の愛妾、鄭袖は新入りの妾に「王様は女が口元を隠す姿が好きです」と教えた。王は新しい妾がしきりに口元を隠すのを不思議に思い鄭袖に聞いた。すると「あれは陰であなたの臭いが嫌だと言っていました」と答えた。はたして新入りの妾は鼻を削がれた。

  • 斉の中大夫であった夷射は王の宴席で酔ってしまい外に出て風に当たっていた。そこに門番が酒をねだったが「近寄るな囚人あがりが」と追い払った。門番は夷射がいなくなると水をまいた。翌日王は「誰が立小便をした!」と怒った「知りませんが昨日夷射さまがそこにおられました」夷射は死刑になった

  • 【似類】臣下が君主を欺くためにトリックを利用する、そうすると君主は間違った刑罰を与えてしまう。大臣はそれによって私利を得る。

  • 趙の宰相、大成午が韓の宰相申不害に送った手紙にこうある「韓の力で私の趙における地位を上げてください。こちらはあなたが韓で重きをなすようにはからいます。こうすればあなたには韓が二つ、私には趙が二つあるのと同じことになります」

  • 【利異】君主と臣下では利害が異なるから臣下が真に忠誠であることはありえない。そもそも臣下が利を得れば君主は利を失う関係にある。したがって姦臣は敵軍を手挽きして国内の邪魔者を除いたり、外交のことを述べ立てて君主を煙に巻き私利をはかり、国の害などは考えないのである。

  • 燕の国の李季はよく遠出をして家を空けた。留守中に妻は男を作ったが、ある日不意に李季が帰ったので、困ってしまった。小間使いが「男を裸でざんばら髪にして門から出せ」と告げた。李季が”あれは誰だ”と問うても家中知らないと答えるので李季はおばけを見たと思い五牲の糞尿を魔除としてかぶった

  • 州侯が荊(楚)の宰相となるとすべてを意のままに切り回すようになった。荊王は彼のやることに疑念を抱き周りのものに尋ねた。「宰相の行動に非はないか」しかし周りの者達は「ありません」と同じように答えるだけだった

  • 【権借】権勢を臣下に貸し与えてはならない。君主が失った一の権勢を臣下は百にして利用する。臣下が権勢を借り受ければ臣下の勢力が増大し、国の内外のものが臣下のために働くようになって君主は隔離された状態におかれてしまう。

  • 六微とは権借(権勢を臣下に貸し与える)、利異(君主と利害の異なる臣下が外部の勢力を利用する)、似類(臣下がトリックを用いる)、有反(利害の対立に臣下がつけこむ)、参疑(上下の秩序が混乱し内紛が起きる)、廃置(敵国の謀略に乗り臣下を任免する)である。

  • 内儲説(下)篇 六微:君主が見ぬかなくてはならない臣下の隠し事を6つに類別して述べる

  • 韓の昭侯は爪を切りそれを手の中に隠しておいて「爪がなくなった早く探せ」と探させた。すると一人が自分の爪を切り「見つけました」と差し出した。昭侯はこのように嘘つきを見つけた。

  • 【倒言】あべこべを言い反対のことを行って疑わしいことを試せば悪事の状況が明らかになる。山陽君の偽り、子之と白馬、子産の裁判、嗣公の旅人

  • 【狡智】知っていることでも知らぬふりをして質問すると物事をわかっていない者がたちどころにわかる。昭候の爪、昭候の明察、周君の杖、卜皮の芝居、西門豹の車輪止め

  • 宋の大臣が若い官吏を買い物に行かせた。戻ってきたところで「何か見たか」と尋ね官吏は「市場の門外では牛車がひどく込み合っていました」と答えた。すると大臣は市場の役人を呼びつけて「門外が牛糞で汚れている」と責めた。役人は大臣がなぜ知っているのか不思議に思い以後緊張して仕事にあたった

  • 周の君が簪を紛失した。役人に探させると三日たっても見つからなかったが直臣に探させるとたちどころに見つかった。周君は「役人は怠け者だな」と言い官吏たちは震え上がり主君のことを神明だとした(周君自身が簪を隠し、直臣に発見させたのである)

  • ?敬は市場の巡回の時に取締の役人をわざと呼び止めて何をするでもなくしばらく一緒に立ってから巡回に行かせた。市場役人たちは?敬と自分たちの監督とが何か話し合ったと思って疑心暗鬼になり悪事が無くなった。

  • 【詭使】召し抱えておいて長く任用しなければ悪人は逃げてしまう。仕事をさせておいてそれとは別のことを尋ねればその人は自分を売り込めない。?敬は市場の取締役を呼ぶことで市場の役人を緊張させ、載讙は車を監視させ、周の君は簪をわざと失くし、宋の太宰は市外に牛糞が多いのを見抜いた

  • 斉の宣王は?(笛の一種)を好み300人の大合奏団を組織した。しかし、その中にまったく吹けもしないのに紛れ込んで者がいた。宣王の次の?王も?を好んだが、独奏を好んだのでこの者はたちまち逃げ出した。

  • 【一聴】一人一人の意見を聞き取って判断すれば、愚か者と知者がまぎれず臣下の実績を責めたてれば臣下の善し悪しがはっきりする。魏が鄭を併合する話、笛を吹かせる話、

  • 【賞誉】賞誉がデタラメなら部下は仕事をしなくなる。賞誉が適切なら部下は良く働いて命も惜しまない。文子の鹿、越王が宮殿を焼く話、呉起の車、李?の裁判、宋の喪、勾践の敬礼、昭侯の袴、鰻と海蛇。

  • 麗水で砂金が産出した。金の盗み採りは磔だがそれを犯すものは多かった。重罪に処せられるのに人が絶えないのはつかまると限らないからである。もし「天下をやる代わりに命をもらう」と言われたらバカでも断る。必ず捕まらなければ砂金にも命を懸けるが、必ず死ぬと判れば天下も貰おうとはしない

  • 公孫鞅曰く「刑を行うに、其の軽き者を重くすれば軽き者至らず、重き者来たらず。」(刑罰を行うに軽い罪に重い罰をかければ軽罪も起こらず、重罪も少なくなる)。これこそ「刑によって刑をなくす」ということだ。

  • 殷では道に灰を捨てたものは手を落とされた。子貢が「灰を捨てるなんて軽罪になぜこんな重罰を課したのでしょうか」と孔子に尋ねると「灰を捨てるのをやめる事は簡単にでき、手を断たれるのは嫌なことだ。簡単にできることで嫌なことを回避できるのを古人は簡単だと考えたのでそうしたのだ」と。

  • 哀公が孔子に尋ねた。「春秋に『12月霜が降りたが豆は枯れなかった』とあるがなぜそんなことが書かれているのだろう」答えて「枯れるのが当然だからです。天の働きが道からそれると草木でさえそれにそむくのです。人君が道を外れればなおさらのこと(人民が背く)でしょう」

  • 子産は鄭の宰相だったが危篤になり游吉を呼んだ「そなたが後継となろうが必ず厳しい態度で国を治めるように、いったい、火は燃える様子は恐ろしいが焼け死ぬ人は少ない、しかし水は一見優しいので人々は侮り溺れ死ぬ。人々をあなたの優しさに溺れ死なせることがないように」

  • 董閼于が石邑の山中を視察した。切り立った崖があり百仞もの深さがあった。董子は尋ねた「今までここに落ちたものは」「おりません」「子供もバカも聾も気違いでも?」「はい」「牛馬や家畜、犬に至ってもか」「はい」すると董子は「ああ、法を厳しくしてこの谷のようにすれば国はよく治まるのだ」

  • 【必罰】情に厚いと法は成立せず、威厳が無ければ下が上をうかがう。刑罰を厳正に行わなければ禁令は守られない。董子の巡察、子産と游吉、仲尼の霜、灰を捨てるもの、公孫鞅の刑、麗水の砂金、積沢の火、斉の仁愛、魏王の慈悲、管仲の斬罪、嗣君の囚人、罰すべきは必ず罰すること

  • ?恭が邯鄲に人質に出る時魏王に問うた「もし誰かが”街に虎が出た”といったら信じますか」「信じない」「三人が言ったら」「信じる」「無いと判りきったことでも三人がいっただけで信じてしまう。私の留守に私のことをとやかく言う者はもっと多い」邯鄲から帰国時?恭はもう謁見出来なかった

  • ある人が斉王に向かって「黄河の神は偉大な神です、王様お会いになりませんか。私がお引き合わせいたします」と。王は祭壇を作らせその者と待ち、しばらくすると大きな魚が跳ねた。すかさずその者は「王様!あれが黄河の神です!!」

  • 魯の哀公が孔子に尋ねた「諺に『大勢でいれば迷うことはない』とあるが、今群臣と相談して政治をしているのに国が乱れるのはどういうわけだろう」。孔子は「大勢に聞くと言うのは臣下の間で様々な答えが出るものです、しかし今は群臣がみな季孫と同じように振舞うので一人に尋ねているのと同様です」

  • 霊公の治世では弥子瑕が国政を専らにしていた。道化が霊公に「竈の夢を見ましたが殿に目通りをする前兆でした」と言うと霊公は怒り「普通太陽の夢を見るものだろう」と。道化は「太陽の光は遮る事ができません。しかし竈は一人暖を取ればその火はもう見えません。だから私は竈の夢を見たのでしょう」

  • 【参観】臣下の行いを観察し、言葉を聞き、つき合わせて調べなければ実情は耳に届かない。臣下の意見を聞くのにひとつの方法しかないと君主の目は覆い隠されてしまう。侏懦が見た竈の夢、哀公が引用した諺、黄河の神、「国の半分を失う」話し、叔孫豹の餓死、楚の国の風俗、嗣公の治め方、市場の虎。

  • 君主が為すべき7つのことは参観、必罰、賞誉、一聴、詭使、挟智、倒言、この7つである。

  • 君主が行うべきことは七術であり、観察すべきことは六微だ

  • 内儲説(上)篇 七術:儲とは蓄えること、儲説とは君主に進言するための説明資料集である。主題によって整理されている。

  • 大体篇:大体は大要の意味。天下国家の施策の綱領を述べる。

  • 功名篇:君主が功業をなしとげて名声を上げるためには「天の時」や「人の和」といった「勢位」が必要である。

  • 用人篇:臣下を充分に働かせるための要点とは、法術と賞罰の必信によって統御すること。とくに臣下の処遇を君主の感情任せにしてはならない。

  • 守道篇:国を守るには外攻ではなく内に国家の権勢を守ることが大切だ。それに重要なのは法令と賞罰である。

  • 安危篇:国の安泰と危険。安泰への道7つと危険への道6つ。

  • 観行篇:個人の観察力の限界を言い、客観的な法術や勢の基準を重視しろという。儒・道との折衷もみられ後学の著作か

  • (三十七)鄭の家の子が仕官をして旅立つこととなった。そのとき家族に「壊れた塀を修理しなさい、必ず盗みに入られます。」その後近所の人にも同じ事を言われたが放っておいた。果たして盗みに入られると、家の人々は子を知恵者と自慢し、近所の人を(盗みの)犯人と疑った。

  • (三十六)呉王闔廬が郢を攻め三度勝利を収おさめた。伍子胥に尋ねた「ここらで引き上げてよいだろう」。子胥は答えた「人をおぼれさせるのに水を一度だけ飲ませただけでやめれば誰もおぼれません。勢いに乗じて沈めてしまうのが最善です。」

  • (二十三)荀寅が国外に逃亡した。途中従者が「この土地の役人に殿の古い友人がおられます。そこで後続の車をお待ちになっては」答えて、「その者は私が音楽に凝ると名琴を送り、装飾品に凝ったというと玉環を送ってきた。今度は私を種に他の人に取り入るだろう」果たして後続の車はその者に奪われた

  • (十七)?という虫がいる。1つの体に2つの口があり食い物を争って噛み合い、結局自分を殺してしまう。臣下の間で権力を争い国を滅ぼしてしまうというのも同じことだ。

  • (十六)豚の背で三匹の虱が言い争っていた。一匹の虱が通りかかりなぜ争っているのか尋ねた。答えて「血の多い肥えた部分を争っている」と。一匹の虱は言った「もうすぐ臘祭だ、君たちはこの豚が焼かれる心配以外にすることがあるのか」。そこで一緒に集まって血をすった。豚は痩せ焼かれなかった。

  • (十一)桓公が管仲に尋ねた「富の限界はあるのだろうか」答えて「水の限界は水のなくなるところ、富の限界は人がそれに満足したところです。ですが人は満足することが出来ずに富をむさぼり、ついには身を滅ぼしてしまいます。すると富に限界などないのでしょう。」

  • (十)恵施曰く「弓の名手である?が弓を引き絞れば越人でさえ争って的を持つだろう。しかし幼子が弓を引き絞れば母親でさえ家に入ってしまう」だから「確実ならば越人さえ?を疑わないが、確実でなければ母親でさえ逃げ出す」と言うのだ

  • (七)崇侯と悪来は紂王の機嫌をとり誅罰が自らに及ばない事は知っていたが殷が滅ぼされる事は見抜けなかった。比干や伍子胥は紂王や呉の滅亡は判っていたが自分が殺されることは判らなかった。故に「崇侯・悪来は心を知るも事を知らず、比干・子胥は事を知るも心を知らず」と。聖人はこれを兼備する

  • (六)桓赫は言う「人形の顔はまず鼻を大きく彫り、目は小さく彫る。鼻は大きければ小さくでき、目は小さければ大きくできるが、その逆は出来ない。」万事これに通じる。

  • (五)伯楽は憎いと思う弟子に千里を走る駿馬の見分け方を教え、気に入りの弟子には駑馬の見分け方を教えた。千里を走る馬が現れることはめったになくそれで儲けることは稀だが、駑馬は毎日売れてその儲けは頻繁だからだ。

  • (四)ウナギは蛇に似ているし、蚕は芋虫に似ている。人は蛇を見れば驚いて飛び上がり、芋虫を見るとぞっとするが、漁師はウナギを素手でつかみ、夫人は蚕を摘み上げる。利益があるとなると皆、孟賁や専諸のような勇士となるのだ。

  • (一)伯楽が2人の男に蹴り癖のある馬の見分け方を教えた。2人は厩に行き馬を観察した。1人が蹴り癖のある馬を指摘したのでもう1人が臀を撫で上げたが馬は蹴らなかった。臀を撫でた者が言った「鑑定は正しいがこの馬は前足の膝が腫れている。君は蹴り馬を見分けたが腫れた膝は見抜けなかった。」

  • 説林(下)篇に入る

  • (三十二)娘に「必ず(もしものために)臍繰りをしろよ、離縁はよくあることで最後まで添い遂げられるのは稀だ」と教える者がいた。娘は嫁ぐとせっせと貯め込み、それが理由で離縁された。娘が持ち帰ったものは嫁ぐ時の倍となり父は反省するどころか誇る始末だった。当世の役人にはこの類の者が多い

  • (二十七)魯に靴と冠職人の夫婦がいた。越に引っ越そうとしたが、「食べていけなくなるよ」といわれた。尋ねると「越では靴を履く習慣も冠をかぶる習慣も無い。あなたたちの腕がいくら良くてもそれが役に立たない国に行ったのでは困窮するのも当然だろう」と。

  • (二十六)紂王は日がな酒宴を行い日時を忘れた。側近の者に尋ねたが知らなかった。そこで箕子に尋ねたが箕子も知らないと答えた。箕子曰く「天下の主が日を忘れるようでは天下は危うい。国中の者が知らないのに自分だけ知っているのは我が身が危うい。」なので、自分も知らないと言ったのである。

  • (二十五)周公旦は殷を滅ぼしてから商奄を攻めようとした。辛公甲は言った。「大国は攻めにくく、小国は服従させやすいものです。多くの小国を服属させ、それによって大国を脅すのが上策です」そこで東方の群小国を攻め、商奄はそれによって屈服した。

  • (二十四)殷の紂王が象牙の箸を作ると、箕子は恐れ慄いた。「象牙の箸なら(素焼きの土器など使わず)サイの角や玉で作った皿を使うだろう、なれば料理も旄牛や象の肉、豹の腹子となり、錦の着物をまとい高殿の広い部屋に居することになるに違いない。その行く末を恐れるのだ。」その通りとなった

  • (二十三)曾従子は剣の鑑定に巧みだった。衛君が呉王を恨んでいたので、剣の鑑定に託けて呉王を暗殺することを申し出た。衛君は「そなたがそれをするのは利益のためだ。呉は豊かで、衛は貧しい。そなたが出かけたら私はそなたが呉王に買収され逆に私を狙うのではないかと心配になるわ」と

  • (二十二結び)だから「巧妙な偽りごとは不器用な真心には及ばない」といわれる。楽羊は功績を挙げながら心底を疑われ、秦西巴は罪を犯してもいっそう信用された。

  • (二十二続き)猛孫は猟に出かけ仔鹿を捕らえた。秦西巴に運ばせたが母鹿がついてきて鳴くので秦西巴は仔鹿を放ってしまった。猛孫はそれを聞くと大いに怒り秦西巴を追放したが三ヶ月後呼び戻し子の守役に取り立てた。近侍が尋ねると「仔鹿にもほだされたのだ、私の子にも酷いことはしないだろう

  • (二十二)楽羊は中山国を攻めたが、その子が中山国にいたので中山国は煮込んでスープにし、送り届けてきた。楽羊はそれを飲み干した。魏の文侯はそれを聞くと「楽羊は私のためなら自分の子さえ食べるのだ」と言ったが堵師賛はそれに答えて「自分の子さえ食べたのです、誰の肉だって食べるでしょう」

  • (十二)鴟夷子皮は田成子に仕えていた。田成子が出奔したときに言った「涸沢の蛇の話を知りませんか、水が涸れ蛇が引っ越すとき『人間に殺されるかも知れない、互いの尻尾を咥えあえば神様だと思われ安全だろう』と。立派な風采のあなたが従者と振舞えば私の身分をはかりかね危害も及びにくい」

  • (十一)魏の文侯は中山を攻めるために趙に通過の許可を求めた。趙の粛公は拒否しようとしたが趙刻が「認めるべきです、魏が中山に破れれば当然魏の国威は弱まり、破っても飛び地の維持は難しいものです。魏軍により趙が土地を得るのです。怪しまれますのでしぶしぶ許可したように見せかけなさい」

  • (十)斉が宋を攻撃したので宋は臧孫子を派遣して楚に救援を求めた。楚は二つ返事で了承したが臧孫子の顔は暗かった。近侍が尋ねると「宋は小国で斉は大国だ。小国をたすけ大国に憎まれるのに喜んでいるのは宋が(楚の救援を頼みに)篭城し斉を疲弊させようとしているのだ」はたして救援は来なかった

  • (八)智伯は魏宣子に土地を要求したが智伯は理由がないので与えなかった。任章は「智伯の要求に近隣国は不安になっています。彼がさらに欲を深くすれば世界中が不安に思うでしょう。土地を与えなさい、驕った智伯に心を合わせた軍隊で戦うことができます。」のちに智氏は滅びた

  • (六)楚の伍子胥が出奔したが国境で役人に捕まった。伍子胥は「私が追われているのは、美しい珠を持っているからだ。私を捕まえたらそなたが奪って飲み込んでしまったと証言してやる」役人は(腹を裂いて調べられてはたまらないので)伍子胥を釈放した。

  • (五)晋が?を討った。斉の桓公が援軍を差し向けようとしたが鮑叔が「早すぎます、?が滅びるまで待たねば晋は疲弊せず、こちらの威勢は強くなりません。そもそも国の危機を救うよりは亡国を復興するほうが評価されます」そこで桓公は援軍を出さないことにした

  • (三)子圉が孔子を宋の宰相に会わせた。孔子が退出し子圉が宰相に印象を尋ねた「ぜひ主に会わせよう、孔子と比べるとそなたは小さなノミの様だ」と答えた。そこで子圉は「わが君がお会いになったら、あなたもノミのように見られることでしょう」。もう宰相は孔子を君主に会わせようとしなかった

  • (二)秦の武王が甘茂に侍従と外交官のどちらを務めたいか聞いた。孟卯が(甘茂に)言うに「侍従になるに限る。あなた(甘茂)の長所は外交ですから、あなたが侍従になっても王はやはりあなたを外交に使う。あなたは侍従の印綬を身につけて外交官としても働けるわけです。」

  • (一)殷の湯王は夏の桀王を討ったが世間に貪欲だと非難されることを恐れた。そこで隠士の務光に譲り渡すことを思いついたが万一受けられては困るので人に「湯は主君殺しの悪評をあなたに押し付けるために禅譲をしようとしている」と説かせると、務光は黄河に身を投げて死んだ。

  • 説林(上)篇:いわゆる説話集、『淮南子』の説林、説山などと同じ

  • 喩老篇:故事や伝説によって老子を比喩的に解釈する。

  • 【老子第38章】仁とは心から喜んで人を愛することだ。報酬を目当てにしてやることではない。

  • 【老子第38章】徳とは内なるもので、最上の徳とは精神が外界のことに誘惑されず、身が完全に保たれることだ。それは何事にも拘束されず虚心であることによって達成されるが、虚心になろうと執着するのは虚ではない。虚心になった者の無為に決まった形はなく、それだから虚心で徳も盛んだ。

  • 解老篇に入る

  • 馬車作りの職人は人々が金持ちになることを願っているし、棺桶職人は人々が早く死ぬことを願っている。これは馬車職人が善人で棺桶屋が冷酷だからではなく両者が自分の利益を考えているからだ。ひとつの事柄でもそれで得をするものがいればそれで損をするものがいる。

  • 妻や世継の一派が君主の死を願うのは、憎しみからそうするのではなく君主が死ななければ自分達に権勢が得られないからである。従って君主は自分が死んだときに利益を得るものに警戒を怠ってはならない。外敵に備えても実は敵は内部にいる。憎い相手だけに用心しても禍はむしろ愛する者から生じる

  • 名御者王良は馬を愛した。越王勾践は人を愛した(いわゆる臥薪嘗胆の時期に人民と労苦をともにしたことか)。王良はもっと速く走って欲しいから馬を愛し、勾践が人民を大事にしたのは勇敢に戦ってもらうためだ。医者が患者の膿を吸い出すのは愛情からするのではなく、自分の利益になるからである。

  • 『桃佐春秋』に曰く、「人主ノ疾ミテ死スル者ハ、半ニ処ルコト能ハズ」(君主の半分もまともな死に方は出来ない)。君主がこれを知らないのでお家騒動の種は尽きない

  • 君主おいて人を信じることは有害である。人を信じれば自分が人に制圧される。臣下は言うに及ばないが、我が子を妄信しても臣下が子を利用して私欲を遂げる(趙の恵文王に餓死させられた武霊王をみよ)、妻を信用しても同様だ(晋の献公は麗姫によって申生を殺し奚斉を擁立することになった)

  • 備内篇:ここの内とは后妃や嫡子をさす。それに備えよというのはそこに君権を脅かすものがあるからである。 

  • 民間に住む君主の縁者が君主の威光をかさに着て隣近所の住民に対して傲慢で我が物顔に振舞っている。

  • 君主の親族や大臣が功績を上回る俸禄、爵位を得て、生活が派手で目につくのに君主はそれを放置している。そして臣下の欲望に際限が無くなっている。

  • 優秀な人材がおしのけられ無能者が実権を握る。実際に苦労している人間の地位が低く、功績の無い人間が高位についている。結果下積みにされたものの恨みが積み重なっている。

  • 雄弁だが”法”のように筋の通ったものがない。聡明だが肝心の”術”を備えていない。能力そのものはあるが”法”によって事を運ぼうとしていない

  • 君主が”君主としての孝”ではなく”凡人の孝”に引きずられている。国家の利益を優先させず母親である太后のいいなりになり女や宦官が国政を動かしている。

  • 君主が大利を目前にして傍観するばかり。禍を予測しながら対策をしない。そして国防ということに全く無知でありながら”仁”によって自己の行為を飾り立てようとしている。(宋襄の仁)

  • 国の財政が底をついているのに大臣の家には金がうなるほどある。戸籍のあるものや、農民・兵士が恵まれず、行商人や抹消な仕事に携わるものが利益を得ている。

  • 有力なコネのある臣下ばかりが登用され、功臣の子弟が不遇な状況にある。市井の小さな善行が尊ばれ、官職についている者の労苦は評価されない。

  • 大臣があまりに尊ばれ強力な派閥を形成して採決を君主に仰がず思いのまま国政を動かす。

  • 怒りっぽく戦争好き、本務である内政に力を入れず何かといえば武力を発動する

  • 君主の視野が狭くせっかち、些細なことで行動を起こし、すぐにカッとなって前後の見境がつかない。

  • 後継者であるものの名声が早くから高まり、強力な派閥ができて大国と結びつく。

  • 君主の家系が代々短命で即位してもすぐ死んでしまいついには幼君を立てざるをえず、かくて実権は重臣の握るところとなる。

  • 地の利が悪く城のつくりもマズい。蓄えもなければ生産力も低い。長期戦に耐えうる力も無いのに、軽挙妄動してやたらと戦う。

  • 都合が悪くなれば理屈をつけて法を曲げ、何かと公私を混同する。その結果朝令暮改、次から次へと新法が発せられる。

  • 大臣を侮辱し目上の者に礼を尽くさない。人民を酷使して無実の者を死刑にする。

  • 女の頼みを次々と聞き入れ、おべっか使いの進言ばかり採用し、それに対して世論の非難が高まってもあくまでそれをやり続ける。

  • 有力な大臣が二人いて勢力を競いあって譲らない。双方とも一族に有力者が多く互いに徒党を組み、あるいは外国の援助を受けて自勢力を伸ばそうとしている。

  • 大臣を侮辱しそのプライドを傷つける。また庶民に厳しい刑罰を加えて苛酷な使役に駆り立てる。屈辱を与えて怒りを抱かせ、それを当然のこととして繰り返せば、謀反を企むものが必ずあらわれる。

  • 君主が亡命してその間に反君主勢力が新君を擁立する。あるいは太子が人質として他国に行っている間に君主が太子を代えてしまう。こうして国内に二つの勢力の対立が起きる。

  • 君主が臆病で信念が貫けない。予測するだけで決断が出来ず、やらなければ、とは思っているが手がくだせない。

  • すでに後継ぎを決めたのに強国から后を新たにめとり、これを正夫人にする。そうなると太子の地位は危うくなり派閥ができて臣下に動揺が起きる。

  • 弱小国なのに尊大に振る舞い強国を警戒しない。大国である隣国をバカにして礼をもって接しない。自国の利益しか眼中になく外交というものがわかっていない。

  • ずぼらな君主で己を省みる事がなく、どんなに国が乱れていても自信満々で自国の経済力を考えず、隣国を侮っている。

  • 嫡出の公子然るべく待遇せず、ほかの公子たちが同等の勢力を持っている。このような状態で正式に太子を決めず君主が死んでしまうこのような時国は滅びるであろう。

  • 国内の人材を無視して他国の人間を登用する。その際実績を吟味せず名声の有無によって採否を決める。この結果生え抜きのの臣化を差し置いてよそ者が高位につく。こんなとき国は滅びる

  • 民心が君主を離れ宰相に集まっているのに君主は宰相を信頼し辞めさせない。こんなとき国は滅びる

  • 家族も財産も持たず単身乗り込んできたよそ者が、国家の秘密計画から人民政策にいたるまで国政全体に関与する。こんなとき国は滅びる

  • 遠くの友好国を当てにして近隣との外交をおろそかにする。強大国の援助を頼みに隣国からの脅威を軽視する。こんなとき国は滅びる。

  • 独善的で協調性が無い諫言されても負けず嫌いゆえに聞き入れない。国家全体を考えずに軽率に動きそれでいて自信に満ちている。こんなとき国は滅びる

  • 薄っぺらな君主で簡単に本心を見透かされ、口が軽く臣下の進言を外に漏らす。このようなとき国は滅びる

  • 法によらず無原則に刑罰を加える。空理空論に耳を傾け、現実に資するかどうかを考えない。外見を飾り立て実用を無視する。こんなとき国は亡びる。

  • 君主が限りなく欲張りで利益とあらば見境なく飛びつく。こんな国は亡びる

  • 君主が暗愚で無能、何事にも優柔不断で人任せにして、自分の考えがない。こんな国は亡びる

  • 重臣に取り入れば官職につくことができ、賄賂を以って爵録が手に入る。このような時国は亡びる

  • 臣下の進言が気に入ればすぐ爵禄を与え、仕事の成果と付き合わせることをしない。特定のものに取り次ぎ役をさせ、外部との接触を任せてしまう。このような時国は亡びる

  • 吉だ凶だと日柄を気にし、鬼神をありがたがり、占いを真に受けて何かと言えば祭祀をやりたがる。このような時国は亡びる

  • 君主が建築や車、衣服、骨董集めなどの道楽に凝り、人民から絞り上げては浪費する。このような時国は亡びる

  • 臣下が学問に熱中し、その子弟は空理空論をもてあそぶ。また商人は税金逃れのため財産を国外に持ち出し庶民は私的武力に頼っている。このような時国は亡びる

  • 君主が法による政治を軽んじ策略に走り、その結果として国内は混乱し外国の援助にすがる。このような時国は亡びる

  • 大臣の家の規模が君主の家より大きくなり臣下の権威が君主の権威を凌いでいる。このような時国は亡びる

  • 亡徴篇:国が滅ぶ徴候を47に分けて具体的に説明する

  • 姦劫弑臣篇:姦は悪、劫は脅かし、弑は殺で君主を害する重臣のこと。なぜそうしたものがはびこるのか、またその対策とは。法術で君権を守るのが安泰の道だ。





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