カール・マルクスの名言集

2014/03/18


Karl Heinrich Marx

(Karl Heinrich Marx, 男性, 1818年5月5日1883年3月14日)

ドイツの経済学者、哲学者、革命家。20世紀において最も影響力があった思想家の一人

産業革命後の資本主義経済を分析し、フリードリヒ・エンゲルスとともに、自らの共産主義を打ち立てた。『共産党宣言』の結語「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」“”Proletarier aller Länder, vereinigt Euch!””の言葉は有名である。
ユダヤ系ドイツ人。ナポレオン支配を脱して拡大したプロイセン王国治下のモーゼル河畔、トリーア出身。父ハインリッヒ・マルクス(旧名ヒルシェル・ハレヴィ・マルクス)はラビの家系に生まれ、ユダヤ教からキリスト教のプロテスタントに改宗した上告裁判所付弁護士。母はオランダ生れのユダヤ人のアンリエットで、ハインリッヒよりもユダヤ性が強く、日常生活でイディッシュ語を話していた。姉はゾフィー。カール自身もプロテスタントとしての洗礼を6歳で受けるが、のちに無神論者になる。

  • 宗教は抑圧された生物の嘆息である。
  • 人間は歴史をつくる。しかし自由に、自らの好みでつくるのではない。直接与えられた、ありあわせの過去から受け継いでつくるにすぎない。死んだ世代のあらゆる伝統が、生きている人間の頭の上に悪魔のようにのしかかるのである。
  • 機械労働は神経を極度に疲弊させ、筋肉のいろいろな動きを阻害し、肉体と精神のあらゆる自由な活動を奪う。機械が労働者の利益を奪ってしまうという点で、労働が楽になったということでさえ、一種の拷問となる。
  • 重農主義が、労働こそ富の本質だというとき、ただ対象としてあるだけの、特殊な、外的な富を否定している。しかし、かれらにとって労働とは、土地財産の主体的な本質に過ぎない。彼らが人間の外化とみなすのは、土地財産だけだ。(草稿)
  • ラディカルであるとは、物事を本質においてつかむことである。しかし人間にとって本質的なことは、人間自身である。
  • 共産主義者は、プロレタリアの種々な国民的闘争において、国籍とは無関係で共通の、プロレタリア階級全体の利益を強調し、それを貫徹する。他方では、共産主義者は、プロレタリア階級とブルジョワ階級のあいだの闘争が経過する種々の発展段階において、つねに運動全体の利益を代表する。(共産党宣言)
  • 社会の状態の改良は、どんなものでも、直接あるいは間接に地代を上昇させ、地主の実質的富を高める。
  • 商品としての人間、プロレタリアは、資本の運動が生み出す。
  • どんな私有財産をも共有化しようという思想は、人並以上に私有財産に嫉妬心を持ち、平均化しようというわけで、それが競争の本体をなす場合さえある。共有されて力を確立した嫉妬心の背後には、所有欲が姿を現し、それが私有とは違う形で満たされるというだけのことだ。
  • 疎外された労働は、人間から、自然を疎外し、人間自身を疎外し、人間を類から疎外する。人間にとって、労働が、肉体的生存の維持という欲求を充足するための手段としてしか現れないからだ。
  • 穀物条例は、土地財産に対する地主の独占欲から生まれる。
  • 家主は落ちぶれたプロレタリアの悪徳から途方もない利益を生み出す。すなわち、売春やアルコール、博打や質屋通いなどからである。
  • 賃金の上昇は、労働者のうちに資本家流の金銭欲を書きたてるが、それを満たすには労働者は自分の精神と肉体を犠牲にするしかない。
  • もっとも嫌悪する行為は?―ごまをすること。
  • 資本は自分の唯一つの生命の衝動―自己を増殖し、剰余価値を創る衝動をもつ。
  • これまでのいっさいの運動は、少数者の運動、あるいは少数者の利益のための運動であった。プロレタリアの運動は、途方もない多数者の利益のための、途方もない多数者のための独立的運動である。(共産党宣言)
  • おとなは二度と子どもになることができず、できるとすれば子どもじみた姿になるだけである。とはいえ、子どもの天真爛漫は、おとなを喜ばせはしないだろうか。そしておとなが、今度は自分たち自身で、より高次の段階において子どものもつ素直さを再生産することに努力してはならないのだろうか。
  • ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えざる糸によってその所有者につながれる。賃金労働者の見かけ上の独立は、雇い主がたえず代わること、契約という法的なフィクションの中で維持されている。
  • 不況の苦しみをもっとも残酷に受けるのは労働者階級である。
  • 豊かな人間とは、自身が富であるような人間のことであって、富を持つ人間のことではない。
  • ブルジョワ経済学は労働を商品としてみるが、労働は商品と違って貯えられないし節約もできない。人間の生命が商品となるためには、奴隷状態に甘んじなければならない。
  • 労働者階級は、既成の国家をそのまま掌握して、自分自身の目的のために行使することはできない。
  • 近代的生産諸力は、ブルジョワ階級に反逆する。この反逆では、作り出された生産物の大部分ばかりではなく、これまでにつくられた生産諸力の大部分をも破壊する。反逆は周期的に繰り返しながら、ブルジョワ社会の存立を脅かす。ここには、かの商業恐慌をあげれば十分である。(共産党宣言)
  • 学問には平坦な大道はありません。そして、学問の険しい坂道をよじ登る労苦を厭わない者にのみ、その明るい頂上にたどり着く見込みがあるのです。
  • ヨーロッパには亡霊がうろついている。それは、共産主義の亡霊だ。
  • プロレタリアにおける最大の不幸は何か? それは生存は保証されず、生産手段をもたない裸の存在であり、その代わり売るものは唯一つ、“労働力”であり、生きるも死ぬも、これにすべてがかかっている。
  • 歴史というものは徹底的であり、多くの段階を経て古い形態を破壊する。世界史的形態の最期の段階は、その喜劇である。
  • 人間は一個人としては生まれて死んで行く無力な存在。しかし、人類としては無限である。
  • ある立派な工場主が私にこう語ってくれた。「もし毎日10分だけ余分の超過労働時間があれば、毎年1000ポンドを手に入れることができるのだ」と。一刻一秒が彼の利益の一部なのだ。
  • 労働者の短命は、労働者階級にとって都合がいいものである。なぜなら、短命ゆえに新たな供給が必要となるからだ。
  • オーウェンによれば、共産主義は無神論のすぐあとに始まる。しかし無神論は、当初は抽象的な観念に過ぎない。無神論の人間愛は、さしあたり哲学的・抽象的な人間愛に過ぎないが、共産主義の人間愛は、ただちに現実に向かい、すぐにでも活動しようと準備している。(経哲草稿)
  • 労働者と資本家がともに苦境にあるとき、労働者は生きるか死ぬかで苦しんでいるが、資本家は金を儲けられるかどうかで苦しんでいるということは、一般論としていえる。
  • ある賢い男が、人が溺れるのは重力の法則のせいだと考えた。「こんな法則などは迷信だ。宗教的なものだ。忘れさえすれば、もはや溺れることはない」と考えたのだ。この男は生涯重力という幻想と格闘したのだが、当然ながら悲惨な結末を迎えた。この賢い男こそ、ドイツの革命的哲学者そのものである。
  • 人間への需要が人間の生産を厳しく制限するのは、あらゆる商品の場合と変わらない。供給が需要を大きく上回れば、労働者の一部は乞食や餓死へと追い込まれる。労働者が生存できるかどうかは、ある商品が存在できるかどうかと同じ条件下にある。
  • 地主の権利は、略奪に発している。
  • 地代とは、当然ながら、独占価格である。その価格は、借地人が損をしないで支払いうる最高限度額となる。
  • ブルジョワ階級は、家族関係からその感動的な感傷のヴェールを取り去って、それを純粋な金銭関係に変えてしまった。(共産党宣言)
  • あまりにも多く有用なものが生産され過ぎると、役に立たない人間が多くなり過ぎる結果となる。
  • 地代は土地の位置とその肥沃度によって決まる。位置と肥沃度を地主の特性ととらえるのは、ブルジョワ経済学の概念の誤りを端的に示している。
  • 商品生産がさかんになるにつれて、労働と労働者の商品化の度合いも大きくなる。
  • ブルジョワ経済学は説明すべきことを前提としてしまっている。ブルジョワ経済学者がその根拠とするものは、所有欲とそれから生じる競争、ただそれだけである。
  • 一般に労働の目的が富の増大である限り、私はあえていうが、労働そのものは有害であり、破滅的である。
  • 資本の利潤は、貨幣利子をもとに推定することができる。イギリスでは、利子の二倍が、商人たちによって適度な利潤と呼ばれている。
  • あっちへ行け、出て行け。臨終の言葉なんてものは十分に言い足りなかった馬鹿者のためにあるんだ。
  • 批判の武器は、武器による批判にとってかわることはできない。物質的な力を倒すには物質的な力をもってしなければならない。そして理論(思想)も、大衆をとらえるやいなや、それは物質的力となる。
  • 私は醜い男である。しかし、私は自分のために最も美しい女性を買うことができる。だから、私は醜くない。というのも、醜さの作用、人をしてぞっとさせるその力は貨幣によって無効にされているからだ。
  • 貨幣は、できない事々を兄弟のように親しくさせる。互い矛盾しているものを無理矢理に接吻させる。
  • 私有財産の主体的な本質が、労働である。
  • 通常の賃金は、アダムスミスによれば、ただ人間として生きていくこと、つまり、家畜なみの生存に見合う最低限に抑えられている。
  • プロレタリアートの反乱、それはブルジョワ的信用の廃止である。なぜならそれはブルジョワ的な生産とその生産の秩序の廃止だからだ。公的信用と私的信用とは、革命の強度を測る経済上の温度計だ。信用のメモリが下がるにつれて、それと同じ割合で革命の熱と創造力は強まる。
  • 汝の道を行け、しかして、あとは人の語るにまかせよ。
  • 人間の物質的生活を決めるのは社会の経済システムであり、この現実の土台の上に、法律的政治的上部構造が聳え立ち、また人々の意識もこの土台に対応する。
  • ブルジョワ階級は、信心深い陶酔、騎士の感激、町人の哀愁といったきよらかな感情を、氷のようにつめたい利己的な打算の水の中で溺死させた。(共産党宣言)
  • なまけものの地主が手にする地代が、大抵は農業生産物の1/3に達し、勤勉な資本家の利潤が金利の二倍にもなるというのに、労働者が受け取る余剰分は、せいぜいのところ、四人の子供のうち二人は餓えて死ぬしかないという程度なのである。
  • 貨幣は人類の外化された能力である。
  • 泥棒、詐欺師、乞食、餓えた労働者、貧しい犯罪的労働者、こうした連中はブルジョワ経済学にとって存在しない。彼らは、医者、裁判官、墓掘り人、乞食をつまみ出す警察にとってのみ存在する。彼らはブルジョワ経済学にとって亡霊なのである。
  • ほとんどすべての人間の固定観念は、歴史を間違って理解した結果か、歴史を捨象した結果か、そのどちらかである。
  • 小資本家たちは、もはや金利では生きていけないので、自分の資本を食いつぶして資本家であることをやめるか、ある事業に手を出し、大資本家よりも商品を安く売り、高く買い、高い賃金を支払うしかない。
  • 国民の内部における階級の対立が解消するとともに、国民相互の敵対的立場も解消する。
  • 自分の労働を賃貸しすることは、奴隷生活を始めることだ。労働の材料を賃貸しすることは、自由を打ち立てることだ。労働するのは人間だが、材料は人間を含まない。
  • あらゆる我々の発明は、知的生活を伴う物質的諸力を授けたが、人間の生活を物質的な圧力に屈服させた。
  • 商人とは、その利害が社会の利害と一致することがなく、一般にいって、公衆をだましたり出し抜いたりすることに関心をもつ人々である。
  • 共産主義がこれまでのすべての運動と違うのは、共産主義がこれまでの生産関係、交通関係の基礎を転覆させるからであり、自然現象と考えられていたことを、はじめて人間が作り出したものだと意識させるからである。
  • 一般的にいって、土地所有ととも私有財産の支配がはじまるのであり、土地所有が私有財産の土台である。
  • プロレタリアは政党に組織されるが、それはプロレタリア間の競争によって、常に繰り返し破壊される。しかしこの組織はそのたび復活し、次第に強く、固く、優勢になる。(共産党宣言)
  • 一日に16時間もの苦しい労働を売り、かろうじて死なない権利を買い取る労働者もいる。
  • 理論も、大衆をとらえるやいなや、物質的力となる。
  • 労働者のパリ・コミューンは、新社会の先駆者として永久に讃えられるだろう。その殉教者たちは労働者階級の偉大な胸のうちに祭られている。歴史はパリ。コミューンを滅ぼしたものを、すべでに永遠の晒し台で釘付けにしている。彼らの司祭がどんなに祈っても、その晒し台から救い出されることはない。
  • 資本主義的私有は、自己の労働に基づく個別的私有の最初の否定である。しかしある種の自然過程を以て、それ自身の否定をつくる。この否定は、協業と土地の共有、労働によって生産された生産手段の共有に基づいて、個別的所有をつくる。
  • 人々が貧窮すると家主はそこから途方もない利益を引き出す。家賃は産業的窮乏と反比例の関係にある。
  • 労働は資本を蓄積し、社会を住みよくするためのものなのに、その労働が労働者をますます資本家に従属させ、激しい競争へと投げ込み、過剰労働へと駆り立てている。
  • プロレタリアは二重の意味で奴隷になる。第一にプロレタリアは働き口をどこかから得なければならない。第二に生存の手段をどこかから得てこなければならない。
  • 自分の利益や名誉のみを追う人間は有名になりえても、すぐれた人間となることはできない。
  • 教育者もまた、教育を必要とする。
  • プロレタリアは、たかだか食べる、飲む、産む、住む、装うといった動物的な活動にいてのみ活動の自由を感じるに過ぎない。人間を人間たらしめるところの人間的な活動である労働においては、自己を喪失しているのである。
  • 私が嘲笑するのは、いわゆる「実際的な」人々や彼らの知恵なのです。もし人が牛のようなものでありたいと思えば、もちろん人類の苦しみには背を向けて、自分自身のことだけ心配していることもできるでしょう。
  • 社会が下降状態にあるとき、もっとも苦しむのは労働者だ。労働者は、労働者という立場からして特別の圧力を受けるが、社会の状況から来る一般的な圧力も受ける。
  • 各人はその能力に応じて、各人にはその必要に応じて。
  • 労働者は自分の生命を対象に投入する。そうすると、その生命はもはや労働者のものではなく、対象のものになる。
  • 歴史という物は、必ず繰り返す。先ず悲劇として、次は茶番として。
  • 労働者の場合、資本家が儲けるとき、必ず儲けるとはいえないが、資本家が損をするときには、必ず損をする。
  • ルターは、外部世界の本質が宗教と信仰にあると認識し、宗教心を人間の内面的本質であるとした。同様にブルジョワ経済学は、私有財産を人間のうちに取り込み、人間こそが私有財産の本質であるとしたのである。
  • 出来高賃金は一方では資本家と賃金労働者との間に寄生者が入ること、すなわち仕事の請負を容易にする。もっぱら介入者の利得は資本家が支払う労働の価格と、その中から介入者が実際に労働者に与える価格との差から生まれる。イギリスではこの制度を特徴づけて、搾り取りの制度という。
  • 人間の意識が人間の存在を決めるのではなく、反対に、人間の社会的存在が人間の意識を決めるのである。
  • もし君が相手の愛を呼びおこすことなく愛するなら、もし自分を愛されている人間としないのならば、その時の愛は無力であり、一つの不幸である。
  • 欠乏とは、人間にとっての最大の富である他の人間を、欲求として感じさせる受動的環である。
  • 好きな色は?―赤。
  • 相続財産を正当化するには、立法の協力が必要である。
  • 実存しつつあり活動しつつある価値の概念としての貨幣は、一切の事物を倒錯させ、置換する。
  • 法律、道徳、宗教は、プロレタリアにとっては、すべてブルジョワ的偏見であって、それらすべての背後にはブルジョワ的にはブルジョワ的利益が隠されている。(共産党宣言)
  • 資本の所有者が資本を農業に投じるか、製造業に投じるか、それとも卸売業や小売業の特殊な部門に投じるかを決める動機は、自分がどれだけの利潤を得られるかという観点しかない。
  • 生産物が労働者にとって疎遠なものになるのは、労働が労働者にとって疎遠になっているからである。このような労働は、疎外された労働であって、労働者は働くことにも、働いた成果にも何の興味を抱かない。そういう労働者はすべてを金のためと割り切って、自分を慰め、自分の行為を正当化するしかない。
  • どんな私有財産も共有しようという粗野な共産主義は、世界全体を全面否定し、私有財産を超えるどころか、いまだそこに到達しない、貧しく無欲な人間の不自然なまでの単純素朴な生活に還っていこうとする。
  • 物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活の様々なプロセスを制約し、人間の意識が存在を規定するのではなく、逆に人間の社会的存在がその意識を規定する。
  • 分業は労働の生産力を高め、社会の富と品位を高めるものなのに、その分業が労働者を貶めて機械にしている。
  • 尊敬する人は?―スパルタクス。
  • 弱い者はいつも奇跡を信じることで救いを見つけるものだ。
  • われわれは他人を解放する前にまず自分を解放しなければならない。
  • 宗教的疎外は、人間の内面たる意識の領域においてしか進行しない。しかし経済的な疎外は、現実の生活を疎外するものである。(経哲草稿)
  • 歴史の全体が、共産主義の生成を概念的・知的に示す運動である。(経哲草稿)
  • 資本の蓄積は分業を促し、分業は労働者の数を増加させる。労働者の数の増加は分業を促し、分業は資本の蓄積を大きくする。
  • 借地人の支払う賃金が少なければ少ないほど、地主が借地人に要求できる地代は多くなり、同様に、地主が地代を多く要求すればするほど、借地人が支払う賃金は少なくなる。
  • 人間が現実を自分のものにすること、対象に対して器官を働かすということは、人間的現実を確かなものにする作業のことである。つまりそれは能動的活動であり、かつ受動的な苦しみである。なぜなら受動的な苦しみも、人間的にいえば、人間のひとつの自己の享受の仕方だからだ。
  • ブルジョワ経済学は、労働と資本が分離し、資本と土地が分離していく根拠について、なにひとつ説明しない。
  • 人間は意識的生命活動によって動物的な生命活動から直接区別される。まさにそのことによってのみ、人間は類的存在なのだ。
  • 資本はアダムスミスのいうような労働に対する指揮権にあるのみではない。むしろ本質は、不払い労働に対する指揮権の発動である。
  • 本源的な蓄積は、政治経済学の中では神学の原罪とほぼ同じ役割を演じる。しかし、本源的蓄積の方法は、まったく暴力的なものである。
  • 人間は自分自身の歴史をつくる。だが、思うままにではない。自分で選んだ環境のもとでではなくて、すぐ目の前にある、あたえられ、持越されてきた環境のもとでつくるのである。
  • ブルジョワ階級は恐慌を、一定量の生産手段の破壊と、新しい市場の獲得、古い市場からのさらなる徹底的搾取によって克服しようとする。つまり彼らは、もっと全面的な、もっと強大な恐慌の準備をするのであり、また恐慌を予防する手段をいっそう少なくすることにより、恐慌を克服する。(共産党宣言)
  • ぎりぎりの必要を満たすだけという安い値段で労働者の労働を買う雇い主は、給料の不十分さについても、超時間労働についても責任がない。
  • ブルジョワ階級は当分はプロレタリア階級を動かすことができる。この段階では、プロレタリアはその敵ではなく、その敵の敵、すなわち絶対王政の残りかす、土地所有者、非工業ブルジョワ、小市民と、戦う。この闘争により獲得されるのは、ブルジョワ階級の勝利である。(共産党宣言)
  • もろもろの革命は社会の牽引車である。
  • この資本主義的裁きに感嘆しろ!
  • プロレタリアは、その鎖のほかに失うものをもたない。
  • もっとも強く、もっとも余裕があり、もっとも豊かなものが、法となる。
  • 貨幣が持っている普遍性は、全能であるということだ。だから貨幣は全能な存在として通用する。貨幣は人間の欲求と対象との、人間の生活と生活手段との間の媒介項である。しかし私と私の生活とを媒介するものは、一方で私と他の人間の存在も媒介してくれる。それは私にとって他の人間ともいえるのだ。
  • 金融市場のすべての人と金融市場のこの司祭たちにとって、国家権力の安定はいつの時代もモーゼと預言者を意味したが、今日のように大洪水が起こり、古い国家もろとも古い国債を紙くずにしてしまう恐れがあるような時は、なおさらそうである。
  • 何をするにも最初が肝心、という格言はどんな学問にもあてはまる。
  • ブルジョワ階級は、農村を都市に、未開諸国を文明諸国に、農耕諸民族をブルジョワ諸民族に、東洋を西洋に、依存させた。(共産党宣言)
  • 経済が社会と人間の全てを決める要因であって、経済のシステムが変われば、社会も人間も変わるのである。
  • 大資本家は信用も大きいから、固定資本―つまりいつでも使えるようにしておかねばならないお金を―大幅に節約できる。このように流動資本と固定資本の関係が、小資本家にとってより大資本家にはるかに有利なことは、いうまでもない。
  • 自由であるということは、自分の幸せを選べるということでもあるのでしょう。
  • 人間が集団で生きてゆくにあたってもっとも肝心なことは、 ひとりひとりの人間の柔軟な感性と個性に対応できるようなシステムが保証されていることである。
  • ブルジョワ階級は、人間の値打ちを交換価値に変えてしまい、お墨付きで許されて自分のものとなった無数の自由を、ただ一つの、良心をもたない商業の自由と取り換えてしまった。(共産党宣言)
  • ラディカルであることは、事柄を根本において把握することである。
  • 貧窮は、人口や富よりも、もっと急速に発展する。(共産党宣言)
  • プロレタリアの闘争の本来の成果は、その直接の成功ではなく、労働者の団結がますます拡がっていくことである。(共産党宣言)
  • 金があれば、愛も勇気も買える。
  • 歴史の運動全体を捉えるのではなく、個々の過ぎ去った歴史的出来事のうちに歴史の本質を見出すことは、許されないことである。(経哲草稿)
  • 現在の社会は決して固定した結晶体ではなく、変化することの可能な、そして常に変化の過程にある有機体なのだ。
  • 蓄積のための蓄積、生産のための生産、この公式で古典派経済学はブルジョワ時代の歴史的使命を表明した。
  • 材料は、労働がなければ富の創造になんの力も発揮できないが、材料の所有者は、みずからそこに不可欠の要素たる労働を投入したかのように、富を増殖させる魔術的な力を備えてくる。
  • 自然すなわち人間の肉体から離れた自然は、人間が死なないために、つねに接触すべき人間の身体の一部だということだ。
  • 万国の労働者よ、団結せよ。
  • 世界を変えるにはどうすればいいのか。革命の担い手であるプロレタリアに自らの使命と任務を自覚させることである。
  • 「無から有は生じない」ということは当たり前である。価値創造とは労働力の労働への転換である。この労働力はなによりもまず人間に転化された自然の素材である。
  • 金利の下落によって小資本家が金利生活者から事業家に転じると、事業資本が増加し、利益率は小さくなって、金利はさらに下降する。
  • 資金が大きくなるにつれ、全面的な搾取は容易になる。
  • 資本の自己増殖の秘密は、資本がある量の他人の不払労働を自分のものにできうる能力にあるのだ。
  • 人間は歴史を作る。しかしそのことを知らない。
  • 資本とは、労働と、労働生産物に対する支配である。
  • 人間は自分の運命を支配する自由な者のことである。
  • すべては疑いうる。
  • 労働者は、労働の外部ではじめて自己のもとにあると感じ、そして労働の中では自己の外にあると感ずる。彼の労働は自発的なものではなく、強いられたもの、強制労働である。したがって、労働は欲求を満足させるものではなく、労働以外のところで欲求を満足させるための手段にすぎない。
  • 宗教、家族、国家、法、道徳、学問、芸術等等は、それぞれが生産活動の特殊な在り方であるから、生産活動の法則に従う。とすれば、私有財産の廃棄はによる人間的な生活の獲得は、すべての疎外の廃棄であり、人間が宗教、家族、国家等等から解放されて、人間的な、すなわち社会的な、存在に還ることだ。
  • 労働こそが物の唯一・不動の価値であるのに、労働の価格ほど偶然に左右されるものはない。
  • 労働はブルジョワ経済学においては営利活動の形でしか現れない。
  • ブルジョワ経済学は、神学者が悪の起源を原罪によって説明するのと同様に、説明すべきもの―私有財産、所有欲、労働、資本、土地所有といったもの―を、歴史上の事実として前提にしてしまう。
  • もし君の愛が片想いに終わるなら、つまり君の愛が愛として相手の愛を生み出さず、愛する人間として自らの生の表出を通して、自らを愛される人間にしないなら、君の愛は無力であり、不幸である。


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