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井上 ひさしの名言集

公開日: : 最終更新日:2014/03/18 あ~お, , , ,


Hisashi Inoue

井上 ひさし(いのうえ ひさし、1934年11月16日)

小説家、劇作家である。日本ペンクラブ会長、日本文藝家協会理事、日本劇作家協会理事(2004年4月)千葉県市川市文化振興財団理事長(2004年7月~)

本名井上廈。有名な遅筆から遅筆堂という戯号を用いることもある。二度目の妻ユリは元日本共産党中央委員会常任幹部会員・衆議院議員米原昶(いたる)の娘、エッセイスト米原万里の妹で共産党員。

井上靖と競った文学青年を父として山形県東置賜郡小松町(現川西町 (山形県) 川西町)に生まれる。
5歳で父と死別し、義父から虐待を受ける。
義父に有り金を持ち逃げされ、生活苦のため母に預けられたカトリック教会 カトリック修道会ラ・サール#ラ・サール会 ラ・サール会の孤児院「光が丘天使園」で、児童に対する修道士たちの献身的な愛情に感動し、受洗する。
高校は仙台第一高等学校へ進み、孤児院から通学、在学中の思い出を半自伝的小説『青葉繁れる』に記している。
東北大学と東京外国語大学の受験に失敗して、早稲田大学の補欠合格と慶応義塾大学図書館学科の合格を果たすも、学費を払うことができず、上智大学文学部ドイツ語学科に入学。
しかしドイツ語に興味が持てなかった上、生活費も底をついたため、2年間休学して岩手県の国立釜石療養所で事務のアルバイトをする。
看護婦への憧れから医師を志し、弘前大学医学部と岩手医科大学を受験して失敗。
その後ドイツ語からフランス語に専攻を変えて復学。
釜石で働いて貯めた15万円は、赤線に通い詰めて2ヶ月で使い果たした。
上智大学外国語学部フランス語学科を卒業する前から、浅草のストリップ劇場フランス座を中心に台本を書き始める。
当時のストリップは、1回2時間程度のショーに先駆け1時間程度の小喜劇を出し物としており、殊にフランス座は、渥美清を筆頭として、谷幹一、関敬六、長門勇と言った、後に日本を代表する喜劇役者の活躍の場であった。
これらの大学時代の経験は、『モッキンポット師の後始末』に、(かなりフィクションが交えられているが)小説化されている。

  • 喜劇の手法が非合理の権威や不合理な神のばからしさを、その正体をあばくのである。

  • 物心ついてハッとあたりを見回すと、家には父親というものがいなかった。いぶかしく思って母親に「なぜ」と問うと、母親は本のぎっしり詰まった、いくつもの書棚を指差して「この本の山を父さんと思いなさい」と答えた。

  • 京ことばの否定表現もずいぶんと技巧的である。標準語のように「ある」と「ない」の二元的な対立は京都人のとらぬところで、ほとんどの場合、「あらへん」と「ある」ことがない、というような語法を用いる。

  • すなわち、京都人は、ものを頼んだり、ひとに命令したりすることに長じているのだ。さらに、相手が京都から命令されていることに気づかせないような煙幕の張り方も心得ている。その煙幕とは婉曲話法であったり、時には、母音の多い、やわらかく包みこむような優美な音だったりする

  • 日本語ほどコトバ遊び、もっと正鵠を期するとコトバの音遊びの豊富な言語はないだろう。

  • 小説や戯曲の中の死語の氾濫を防ぐ有効な便法のひとつは、この日本語に顕著な音遊びを、コトバの音としての機能を、意味と同じぐらいは重んずることだろうと思うのだ。

  • 芸術家というものは、人間のこころの中から、小さな、しかし燦然ときらめく宝石を取り出そうと苦心する人たちのことで、読者はその宝石の鑑賞者であり、またじつはそれぞれが小さな宝石の所有者でもある。

  • 人間はいつかは死を迎えなければならぬわけだが、この「死」という出口から見ると、われわれのやっていることは実に滑稽至極。

  • 「人間が人間を信じられなくなったらおしまいさ」

  • この国の、「演劇は教養ある人たちのもの」という文化人主義とサヨナラするために、あるいは世の中や人間のありかたを問うこともなく、むしろそれを斜めから見て遊びたわむれるだけの遊び人主義と訣別するためにも、生活人の生活圏に根をおろしたかったのです。

  • 偉大だと思い込んでいた人物も、飯は食う、屁もひる、雪隠へも行く、つまらぬ隠し事もひとつやふたつ持っていて、つまずいたり転んだりもする、ということを明らかにするのだ。その突然の対比に人々は笑うのである。

  • 真実を、真情を、伝えようとして力瘤を入れればそれだけ、表現はウソへとより近くなる。言葉にはそういうところがあるようだ。

  • わたしの考えでは、文学を鳥にたとえますと、胴体はきっと詩だと思います。片方の翼が小説で、もう片方の翼が戯曲だと思います。エッセイは尻尾でしょうか。

  • 人間は書くことを通じて考えを進めていく生き物です。書いたものを世間に発表するかどうかは別として、物を考えるいちばん有効な方法―それは「書く」こと。

  • あなたという、一人の個人に起きた面白いことは、ほかの人にも面白いことのはずだから、それがすーっと文章で伝われば、そこで感動が起きるはずです。

  • すべての虚を衝き、また衝き、さらに衝き、ここに呆れ果てるほどの根気をひとり白熱しつつ注ぐほかはない。そうして死にぎわにたったひとつのこと、虚を衝くことに白熱しつづけた自分を肯定できれば、それで生れた甲斐があったというものだ。

  • 生命と同じように、智恵にもまた永遠の連続性があるのだ。書物を読むことで過去は現在のうちによみがえる。読書は、智恵の永遠の連続性への参加である。

  • わたしたちには、これまでに書かれた書物をできるかぎり読破し、そういう努力の上になにかましなことを一つ二つ付け加えて、その書物の山を後世に伝えるという役目もあるのではないか。

  • わたしたちが中継した生命は地球最後の日までたしかに続いてゆく。つまりわたしたちは、生命の永遠の連続の、とある中継点で生きているのである。わたしたちはこれまでの生命の連続のすべてをぐっと引き受け、できればその連続になにかましなことを一つ二つ付け加えて、あとはすべてを後世に託する。

  • ハンターは獲物に狙いをつけて引金を引く瞬間を無我の境地の至福の時というが、物書きが冒頭の一句をひねる数秒も、優にそれに匹敵するだろうと思われる。おまけにこちらの獲物は射つのをやめても逃げやせぬのだから、気が楽である。

  • わたしたちに天国を信じることの意味を説いた修道士は、日本を離れるとき、空港でにこにこしながらこう言った。「わたしは死ぬために故郷へ帰ります。いつもみなさんの幸福を祈っていますからね」彼は、ついに想像力だけで壮麗な天国を築き上げることに成功したのである。

  • われわれがカスミを喰っては生きられない以上、観客の投ずる銭の重みには十分に注意と敬意を払う必要があるだろう。それからその銭を観客がどういう手段で手に入れたのかにも、関心がある。ぼくは、普通の生活人が血を吐くような思いで稼いだ銭をこそ、巧智をめぐらしてかき集めたい。

  • 親からもらった銭、企業が宣伝のために投じた銭、そういう銭はあまりありがたくないし、その手の銭で成り立っている芝居などどうせたいしたことはない。

  • わたしはあらゆる余暇についての論を漁りつくした結果、余暇論なら一打や二打ぐらい書けるほどだが、肝腎の余暇なるものを楽しんだことがない。余暇のすべてを余暇の研究に注ぎ込んでしまうからである。

  • 「丸谷才一の『文章読本』を読め」 とくに、第二章「名文を読め」と第三章「ちょっと気取って書け」の二つの章を繰り返し読むがよろしい。これが現在望み得る最上にして最良の文章上達法である。

  • とにかく血へどを吐くぐらいたくさん読む。そのうちにきっと好きな文章に巡り合うだろう。そのときは遠慮なく「しめた!」と大声で叫んでいただきたい。喜んでいいのだ。そのときあなたは「立派な文章家」になる資格を得たのだから。

  • いくら読んでも好きな文章に巡り合わなかったらどうするか。それもまた幸運なことではないか。なにしろ文章を綴るという地獄と、生涯、無縁で過ごせるのだから。

  • 物書きは、内証のことはとにかく、外面は「誠実」が第一、そして取りこぼしをせぬのが第二に大事。「なんだあいつは。ひょっとしたら馬鹿か」などといわれたくありません。せっかくこれまで、それだけは、と隠し通してきた苦心がすっかり水の泡になってしまうではありませんか。

  • 時を意識することは、死について考えることとほとんど同義である。そうして、時は過ぎ去り、だれにも恐ろしいまでの正確さで死がおとずれるということに気付くとき、われわれはたとえ数秒の間であれ、敬虔になる。浄化される。

  • まだ海のものとも山のものともつかぬ新作へのお客様の信頼と、その信頼になんとか答えようとする作り手側の必死のあがきと、この両者からしか「よい芝居」は生れないのではないか。

  • お客様の信頼を裏切るような作品を仕出かしてしまったらどうしよう。そう思うと気分は暗く重くなり、毎夜、いやな夢ばかり見て「ああ、自分はなんだってまた芝居などというオソロシイものをはじめてしまったのだろう」と、千悔も万悔も臍を噬むのです。そしてあのおそろしい神経性下痢がはじまります。

  • 原稿の依頼があったときから締切り日まで、その依頼主題についてあれこれと考え、自分の考えをたすけかつ支えてくれそうな書物を何冊も読み、人に会って話もきき、周到な準備をかさねてきている。いよいよ収穫の秋がやってきたのである。これがたのしくないはずがない。

  • ボクは東京のほかにも、仙台、釜石、八戸、一関と転々として、東京ではカトリックの教会の学生寮にも住んだことがあるのだけど、まあ、一所懸命働いておれば、屋根の下には暮らせるだろう、くらいの気持でやってきた。

  • 内心は大好きなくせに、他の御一党様もこぞってそれを好むとなると「あれはいかん。だいたい日本人というのは」と屁理屈をこねまわして天邪鬼を気取る。われながらいやらしい奇癖である。

  • 好きな文章家を見つけたら、彼の文章を徹底して漁り、その紙背まで読み抜く。そして次に彼のスタイルでためしにものを書いてみる。そんな書き方をしては、お手本の文章と似てしまうではないかと首をお傾げの方もおいでだろうが、これが不思議と似ないのだ。

  • 日頃から自分の好みをよく知り、おのれの感受性をよく磨きながら、自分の好みに合う文章家、それも少しでもいい文章家と巡り合うことを願うしかない。つまり文章上達法とはいかに本を読むかに極まるのである。

  • お客様と作り手たちとは、自分たちではハッキリそうと意識しておりませんが、現在の、この時代の要請をうけて、文化の中継走者の役を果しているのではないでしょうか。

  • わたしは一日や二日、飲み食いせずにいても平気だが、すくなくとも一日に一回、机上に辞典を開き、辞、すなわち言葉を、一個か二個、飲み込まないと、どうも按配が悪い。

  • 「自分は絶対に正しい」という唯我独尊的考え方からはファシズムしか生まれないが、「ひょっとしたら自分は正しくないのではないか」という劣等意識はとにもかくにも民主主義を生む可能性はあるのだ。どんな下らない民主主義でも、ファシズムよりはいいのである。

  • 世の中で何よりも大切なものは自分自身である、がしかし、そのように考えているのは自分だけではない。つまり、自分を大切に思うなら他人をも大切にすべきであると、少年は仲間の存在によって気づくのだ。

  • 女に関してすべての望みを捨てた山寺の老和尚にはモンローといえどもただの糞袋にすぎぬ。いってみれば、美しさなどというものはあくまで見る側にのみ属する事柄であって、見られる側の問題ではないのである。

  • 女性の美しさがそれ自体では存在し得ないのと同じように、「わいせつ」そのものもない。ある光景を眺めて「わいせつだ」と考える道学者がいてはじめて、「わいせつ」が在るのである。だから余計なのは道学者の石頭だ。

  • わたしは結婚するときに自分の姓を捨て、家人の姓を名乗った。が、それまでの固有の姓を失ったからといって、別に妻に人格を吸収されたとは思わない。わたしはコトバや名前は基本的には「記号」にすぎない、と考えたから捨てたのである。

  • 習得するのに金のかかるものはいわゆるお稽古事で、金のかからぬものが文化ではないのかしらん。

  • 神は、理屈など通用しない子どもを相手にしなければならない女性の精神衛生を考えて、女性の頭から理屈を抜いておいたのである。そして神の手落ちは、この理屈の通じない女性を相手にしなければならぬわれら男性に、理屈のわかる頭を与えたもうたことである。

  • 駄洒落を愛するということは、同音異義語の多いわたしたちの日本語を愛することと同義である。

  • 駄洒落愛好者たちとは、「別の見方がないだろうか」「他の立場に立てばどうであろうか」という思いやりや心のやさしさや咄嗟の機転をあわせ持った人間たちのことなのである。

  • 不況でまっさきに売れ行きの落ちるのは紳士もので、次が婦人もの、そして最後まで安定しているのが子どもものだそうである。子どもをできるだけ辛い目にあわせたくない、という親心がこの短い噂ばなしに滲み出ている。

  • 本を批評しなければならないときは、「一つでもよいところがあれば、命がけでほめる。だめな本は取り上げない」というのをただ一つの原則にしている。

  • 対象に愛情を持っているかどうか疑わしい無愛想な批評、不機嫌にけなして、渋面でこきおろして、偉そうに踏みつけて、せっかくの芽を無残に毟り取ってしまう体の、陰気な批評が多すぎるのだ。

  • わたしたちは、自分の日常生活を本気で愛していない。

  • ひどい作物を読んだり観たりしたときは、「いい加減なものを作って、よくも俺の愛しているものを汚してくれたな」と一回分の食欲がなくなるぐらい怒ってもらいたい。できれば、その怒りをユーモアに転化して、鋭い皮肉の針でグサリと刺してもらえれば、一層ありがたい。

  • さまざまな時?空間を並べて繋げて結び合わせ、作家自身がその時?空間を生きながら、現在という時?空間にどう住み込めばよいかを、野田さんは必死に探し求めているようです。

  • 野田さんは伝統的な技法を新しい感覚でみごとに使いこなしているのです。こういう作家は潰れません。

  • いい喜劇役者は、自分の体の中に矛盾したものを二つ以上併せ持っていないといけないんですね。何か欠けていると同時に、何か過剰なものを持っていること。渥美さんは声が過剰なほどよかった。

  • 渥美さんは半生かけて実在する自分を消しに消し、かわりに車寅次郎という戦後最大の架空の人物に潜り込むことにみごとに成功したのです。この一世一代の大トリックを成立させるためには、やはり私生活を、そしてご家族を他人に見せてはいけなかったんですね。

  • 「世間の動きにチクリと滑稽の針を突き立てて撓みがあればそれを正す、歪みがあればそれを笑いのうちに直す、これが黄表紙というものの生命ではないか。おれは書く」

  • お道化者はその得意の絶頂においてかならず再起不能のひどい失敗に見舞われるのが宿命である。それまで彼を押し上げてくれていたものたちが最後の瞬間に手のひらを返し、彼を奈落へ突き落とす。

  • 人びとは頂上と奈落の差が大きければ大きいほど、その分だけ胸をすっとさせ、魂が浄化されたようなすがすがしい気分になり、退屈な日常へふたたび戻って行く勇気を得るだろう。いわば人々にとってお道化殺しはきわめつきの祝祭なのだ。

  • 目先のよく見えるお道化者は、決して頂上を極めてやろうなどという野望は抱かない。またどうしても己が野望を実現したいと思うときは、別のものになって再登場する。

  • 世界の、ほんとうに愚かな指導者たちと、その取り巻きが、いまよりさらに愚かになれば瞬時にわが青い星は死の星と化す。なんとか生きのびることが大事だ。青い星を青いまま子孫に引き渡すことが大切だ。

  • この青い星を生きのびさせるために人間のまことを尽くした人たち、そしてその立場に立ってものを書き続けた人たち、そういう人たちの言説が百年後の古典になるだろうこと、これだけは間違いない。

  • 貧乏で生活が苦しい時に、「お金が欲しい、お金が欲しい」と言っていたのでは、人間落ち込むばかりです。そこで黄表紙では、絶対にありえないとわかっていながら、金が貯まり過ぎるというユーモラスな話を仕立て、金があるとか無いとかという次元を突き抜けてみたわけです。

  • 理想や将来はいまは無いものです。しかし、ああしたい、こうなりたいという希望を言葉にして設定することで、私たちは理想や豊かな将来に向かって歩いていくことができる。

  • 「未来」という言葉があるからこそ、未来を築くことができるのです。

  • この国では文学の形勢が大きく改まる前後に、必ず、といっていいほどシェイクスピアの上演回数が増え、その改訳が行われる。

  • 良い芝居をやった時のぼくらの幸せというのはちょっと類がない。お客様たちがゆっくりゆっくり、名残惜しそうに、おたがい無言で別れを交わしながら、「もう二度と会えないかもしれないけど元気でね、今日はよい晩でしたね、奇跡的な晩ですね」と帰って行く。

  • 我々の仕事は、平凡な一日を特別な一日にしていくことなんです。この詩で、この戯曲で、この一冊の本を手に取ったことで、今日は特別な日になったということを実現していくために我々はいるわけです。

  • 経済的にもその他の面でも、まったく恵まれることのない演出家と演出部スタッフが、なぜこの仕事をやめようとしないのか。「芝居が好きなんだよ」と言ってしまえば話はそこでおしまいですが、しかし何か深い仔細がありそうだ。

  • 「俳優が演じるのをやめて、その芝居を生きはじめる瞬間に立ち会うことの至福」

  • 「それまで与えられた役を演じよう、見事に演じてやろうと力んでいた俳優たちが、ある日、ひょいとその役を生きはじめる。その瞬間が、何にもまして感動的である」

  • 演出家と演出部スタッフとは、演技者が生きてそこにいる者に変身することを、わがことのようによろこぶ無私の人たちであり、無私であるからこそ、これほど辛い仕事も続けてゆくことができるのです。

  • 現実の世界でも、人はそれぞれ身丈に合った役柄で生きている。何処を主な舞台として生きるのかもだいたいは決まっている。だれでもがすこしでも自分の有利になるほうへ話の筋を引っぱって行こうとするのも、現実の世界では当り前だ。

  • 人間は生きたがっている。生きたいと思えばこそ、人間は笑劇じみたドタバタ騒ぎを演じ、ときには人生の落とし穴に自分ではまっていやいやながらも悲劇の主人公さえ演じてしまう。

  • 暗い時代にチェーホフはほがらかに現れて、笑劇や喜劇の方法で人びとの心の内に深く分け入って行き、結局のところ、人間は生きたがっている、ただそれだけのことなのだという真実を発見したのである。

  • 重要な試験を明日に控えて猛勉強中という異常事態に入り込んでくる日常、あるいは助け合い頼り合って生きている家族の日常のなかに潜む狂気。笑劇の手法を利用してこれらを取り出し組み合わせて、人生の憂愁を微笑のうちに描くのがチェーホフのやり方だった。

  • 宗教とは人のことであり、どこかによき人がすくなくともひとりいるなら、今人間の見ている長い悪夢もやがて醒めることがあるかもしれないと、わたしはまだ宗教とどこかで辛うじてつながっているようだ。

  • 「劇場というのは、神のようになった観客が、人生の織物と出会うところ。生命の輝きが、その輝きを一段とますのを見るところ」

  • 自分の人生にとって演劇は大事な一部分である、とそう日本人が考えざるを得ないような舞台をつくりつづけること、そうすれば事情も変わるはずだ。

  • 役者たちもまた作者や演出家や装置家や振付師や照明や衣装担当者から十重二十重に束縛されています。彼らは果してそれらの束縛と協調して、自分の個性を、持ち味をゆらゆらとゆらがせることができるでしょうか。

  • じつを言うと、ぼくは怖いのである。お客を笑わせるのがおそろしくて仕方ない。なぜなら、お客を笑わせること、お客に受けることを貫き通すと、自分が雲散霧消してしまうだろうということがわかってきたからである。

  • 英雄的独裁者のあらわれる時をすこしでも先へのばすためにも、わたしはドジで間抜けな主人公を次から次へとつくり出して行かなくてはならない。それらの主人公たちが、疲れた人たちの疲労をやわらげるのに、ほんのすこしでも役に立てば、これこそ作家冥利につきる。

  • あれもしろ、これもしろと言われるより、なんでもやってよいがこれだけはやってくれるなと言われた方が、仕事はしやすいだろう。そこで、わたしも「???しない一原則」を立てた。一、座付作者を甘やかさないこと。わが社の経営方針はこれだけだ。

  • あのときのわたしは、「いまの発言を支持する方がいますか」と、みんなに諮るべきでした。そして、「支持がなければ、話合いを先に進めます」と議事を進行させればよかったのです。

  • 発言者の圧力が通って、みんなが黙ってしまい、会議はなんとなくおしまいになる。こういう事態を避けるために、二人以上が同意見であれば、議案として採用すべきであるが、一人だけ力まかせの乱暴をいっているなら、それは無視してよろしい。

  • …折口がたくさんのペンネームを用いた、その背後には別人になるという変身願望があり、これも自殺願望の心理に通底しているのではないだろうか(以上引用) つまり自分に新しい名を与えることで、折口は自己崩壊の危機から逃れようとしたのだ。

  • 平和は戦さ戦は平和…… この混沌にしか俺は生きられぬ

  • きれいはきたないきたないはきれいすべての値打ちをごちゃまぜにするそのときはじめて俺は生きられる

  • 公害や差別など、生命がけで苦しんでいる人たちが現に存在するのに、このコトバを他のことに次々転用し、流行語化することにわたしは賛成できない。

  • われわれ人間には「演ずる」という本能がある。人生は涙の谷であって、たのしいことよりは辛いことのほうが圧倒的に多い。この辛さを幻想の力をかりて少しでも美しくして、やわらげていくほかに救われようがない。これがつまり演劇性である。

  • そのさまざまな時?空間を、舞台の上に現前させるために、野田さんは「見立て」「吹き寄せ」「名乗り」を多用するのです。そして大事なことは、この三大技法が、日本の伝統演劇や江戸期の小説でしきりに使用され、鍛え抜かれてきた極めつけの技法だということです。

  • 野田さんの中心思想を探ってみましょう。わたしには<現在という時間?空間に、どのような形で住み込むのがもっともよいのか>という切ない想いが彼の底で暴れ狂ってるようにおもわれます。

  • 自分の気に入った現実をすべて「カワユイ」一色で塗り潰してしまう。そんなことをしていると、現実Aと現実Bとのちがいがわからなくなる。現実をコトバという鋭利な庖丁で腑分け(これを認識という)することなしにどうやって生きていけるというのか。

  • 「何も名作傑作を書かなくてもいいのではないか。だいたい名作傑作を書けるわけがないではないか。凡手は凡手にふさわしく凡作を心掛けよ。どこかに取り柄があればそれでよい。そして、凡作の冒頭は凡句に限る。なんでもいいから書いてみろ」

  • おもしろい物語には二つの特徴がある。まず情報が精選されている。次にその情報がよく整理され、効果的に配列されている。

  • いちばん大事なことは、自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書くということ。

  • けなすのは偉い、褒めるのは甘いという道学者風な癖。説教好きで深刻ぶる癖。妙に詮索しておいて、ポイと放り出す無責任な癖。そういった癖で、この国はできている。

  • おたがいに相手をいとおしい(すなわち、二度と帰らぬものと考え、大事にする)ものと思えば、早漏も短小も冷感症もへったくれもあるまい。いとおしいという気持がすべての性技術論を超えるのだ。すこし楽天的かもしれないが、わたしはそう信じている。

  • ユートピアとは別の場所のことではなく自分がいまいる場所のこと、そこをできるだけいいところにするしかよりよく生きる方法はないということを信じるしかない。三人姉妹にはこの覚悟が欠けていた。彼女たちは別の場所に憧れるあまり、いまいる場所を軽んじ、ほとんどすべてを失ってしまうのである。

  • コメディアンたちは手さぐりしながら、だれにも見当のつかない幕切れに向って、必死で生きて行こうとしていた。そのとき、わたしはニセモノの人生=舞台のほうが現実の人生よりも、もっとほんものらしく思えたのである。その日からわたしは芝居を書きはじめた。ニセモノの人生に賭ける気になったのだ。

  • 字引は必ず、相談に乗ってくれます。字引は「いま、ちょっと忙しくて」ということはありません、いつも同じ調子で忠実にきちっと教えてくれますので、字引を相談相手にいい文章を書いていただきたいと思います。

  • 雨などというのは、朝鮮語と匹敵するくらい、五月雨から秋雨から、いろんなのがある。空そのものは、あまり日本人の関心を引いていない。でも、そこから降ってくるものについては、大変な注意を払っている、ということになります。

  • 問題なのは、接続詞を使うと、何も言っていないのに、すごくいいことを言っているような気になってしまうことです。

  • 「―という」とか、「―について」「―に関して」ですが、これは、どれだけ使わないですませるかというのが実は勝負どころです。

  • 人はみな死んで花実は咲かねども  花実が咲くのはドン・ガバチョだけ

  • ふるさとの山波、裏木戸の小川のせせらぎ、火吹竹を吹くお母さんの丸い背中……月には、なつかしいむかしを思い出させる魔力がある。

  • たがいの生命を大事にしない思想など、思想と呼ぶに価いしません。

  • 酒に女にスッタモンダにと、人生学校の科目には金と時間のかかりすぎることが多すぎて、勉強に熱を入れすぎると破滅の怖れが多分にある。

  • 自分たちが生きて仕事して、恋をして結婚して、泣いたり笑ったりしているのも、その基本的な構造の上で、つまり憲法の構造の上で成り立っているはずなのに、われわれ日本人はどうもそう思っていないところがある。

  • 世の中にモノを書くひとはたくさんいますね。でも、そのたいていが手の先か、体のどこか一部分で書いている。体だけはちゃんと大事にしまっておいて、頭だけちょっと突っ込んで書く。それではいけない。体ぜんたいでぶつかっていかなきゃねえ。

  • にんげんの いとしさを 見ているの 見てないの ぼんやりと 光ってる 豊多摩の 低い月

  • どうして殴ったかなんていうことは書かずに、いきなり核心に入っていく。「私はどうも亭主を殴る癖がある」と、ポンとはじめる。

  • 文章を書く相棒というのは、原稿用紙のむこうにいる読者でもあれば、自分の長期記憶でもあるんです。その相棒と手を繋いで書いていく。

  • 「何とかなので、こうだ」という「理屈を連れてくる」接続助詞というのは、下手に使うと苦労するだけです。敬遠したほうがいい。あんまり理屈をこねると、にっちもさっちもいかなくなりますので、使ってもいいのですが、使うときは要注意です。

  • よく出来たコトバ遊びは、人をずいぶんと幸せにすることは確かで、もうひとつ、歌で韻を踏み、あるリズムを造りだそうとすると、どうしても駄洒落の連続になってしまうことが、わたしたちの母国語の場合には多いのである。

  • アーヴィングは自分の妄想を小説や戯曲にすればよかったのだ。

  • 「あったことをなかったとは主張できないし、なかったことをあったとも主張できない」これが許されるのは小説家や劇作家ぐらいなもので、もともと作り話を書くのが免許だから仕方がない。

  • 凡句でも駄句でも粗句でも、とにかく冒頭が出来れば覚悟が決まる。あとはただ失敗をめざしてただひた走るだけである。

  • こんな世の中に、親と子が一緒に暮らせるだけでも仕合わせと思わねばならぬ、と孤児院育ちのわたしは考えている。どうせ十年後、あるいは十五年後はわかれわかれのちりぢりばらばらになってしまうのだ。親子に残されている時間はごくわずかである。その貴重な時間を小言でつぶしたくはないのだ。

  • 難しくて、訳がわからなくて、やっと読みとくと、実にくだらない、平凡な、「そんなこと俺だって考えているよ」といった中身。難しい、訳のわからない文章でごまかして書いているのが、なかなか多いんですね。

  • 「あのとき、自分は人生の別れ道に立っていたのだな」あとでそう思い当たってゾッとするときがある。すくなくともわたしは、どんなことをしてでも、まともな道を歩みたい。

  • よく、あの人、頭がいいから文章を書く、という言い方を耳にしますが、そんなことは全然ありません。文章を書く、ということは考えていく、ということなんですね。

  • 優れた文章書きは、なるべく小さく千切ったものを、相手に次々に提供していく。

  • <おいらは敵と出っ食わしたが、その敵は(よく見ると)おいらたち自身のことだったんだよ。>こういうパロディ精神を忘れることのないアメリカ人を、わたしは尊敬する。この精神が今後も大いに発揮されて、それが世界のお守りになりますように。

  • この世にはたしかに鬼がいる。しかし仏さまのような人間もいないわけではない。もう、その仏に賭けるしかない。

  • 黙っているうちに、世の中がどんどんヘンな方向へ流されて行く。そしてその結果はなにもかもすべて、黙っていた人たちの上に覆い被さってくる。

  • 諸芸術においては、作家の思想は魂の底で暴れ狂っているなにものかであって、それに名付けたり、それを言葉にできる代物ではありません。

  • 自分に思想のない人間に限って、技法という回線を辿り損ねて作家の魂の底に降り立つことができず、つい、「おもしろいけれど思想の浅さは否めない」などと口走ってしまうのです。

  • 「死」はひとりの人間が長い時間かけて収穫し、ため込んだ記憶が一気になくなってしまうわけで、非常に不幸な、かけがえのない損失だと思います。

  • 接続詞は使いすぎてはいけません。とくに「―が、―」には気をつけること。たとえば、「今日は朝から雨だったが、私は元気に生きた」とか、全然つながりがないのに「が」をつけると全部つながっちゃうんですね。

  • 「ので」とか「から」とか「―なので」「―だから」と書いたとたんに、文章が難しくなってしまうのです。「理由」を、次に言わなければならないからです。

  • ある選択をするということは、その選択によって生まれるはずのマイナスをすべて背負うぞ、ということでやんしょ。

  • 「楽しい会社、楽しい人生」これこそ究極の経営方針ではないだろうか。そこでわたしは友人に、この一行を大書きして送った。彼には彼の経営方針があるだろうから、これが役に立つのかどうかはわからないけれど。

  • 暴れ狂っているなにものかを表現可能なものにするために、作家は技法という回線を敷き、その回線を通じて、そのなにものかをじぶんの外へ採り出すのです。

  • 作者本人が気に入らないのに、観客に気に入ってもらえるなんて、そんなうまい話は転がっていません。お菓子の職人さんでも、仕立て屋さんでも、皆同じだと思います。「あっ、失敗した」というやつをお客さんに出したら、必ずお客さんに見破られるのです。

  • 自分を研究して自分がいちばん大切に思っていること、辛いと思っていること、嬉しいと思っていることを書く。

  • 若い人達が、こういう凄く珍妙な言葉を発明して使うというのも世の常です。大人たちのつくった全てに反抗したい気分になる。いちばん手軽で、いちばん痛烈なやりかたというのは、言葉を自分たちだけに通じるものにしてしまうことなのです。

  • 自分がこう決めたからこうするんだ、というふうにならないと、言葉を扱うとき間違います。あくまで自分の使う言葉には責任を持つ。外から言われた物差しで自分の言葉を使わないという態度をもつことが大事です。

  • 日本人というのは哲学やってもしようがないんですね。なにしろ、宇宙の果てがどうなっているか、星空を見上げないから考えない。一生考えたってわかりっこないんだから考えない。しかし、その空から自分たちの生活に届いてくるものは、きびしく見て、よく名前をつけていく。

  • 題名をつけるということで三分の一以上は書いた、ということになります。

  • 「ひとことで言ったら、どうなる」と考えることです。あらゆることを、そういうふうに考える癖をつけてください。

  • 「誠実さ」「明晰さ」「わかりやすさ」―これが文章では大事なことです。

  • よく若い人たちの言葉づかいを批判する大人がいると、わたしは「冗談じゃないよ。日本の企業が、どれだけ日本語をぶっ壊してるか知ってるの」と言ってやるんです。

  • わたしが怖いのは、力があってお金のある人たちが、どんどん日本語を変えていっていることです。それがわたしたちの生活に、やがて効いてくるだろうということなんです。

  • 原稿用紙がスクリーンなんです。(手を胸に当てて)このあたりがうずうずとうずいたかと思うと、あの朝の光景が原稿用紙の上に……

  • 己れに見切りをつけ図々しく居直ったとき、もつれた糸口はじめてほどけ落ち、パッと冒頭の凡句が思い浮かぶ。

  • 好きな作家がともに筋書きを重視していたことを知って、それからのわたしは、しばらく幸福だった。

  • わたしは芙美子は体力の限界を超えた量を書くことで緩慢な自殺を試みていたと見ている。どうしてもそうとしか思えないのだ。

  • 本名、井上廈。廈という字は誰も読めないから、平仮名に開いて、ひさし。まことに平凡である。変身願望も自殺願望もなく、時の政府に追われることもなければ、趣味が進歩することもない。趣味は昔から野球と映画とそぞろ歩き。この平凡な半生が、どうやら平凡な筆名に現われているようだ。

  • 技法こそ作家の思想の結晶なのです。

  • われわれ観客・読者は、作家と逆の操作を行う必要があります。作家の駆使する技法という回線を逆に辿って彼の魂の底に降り立つわけです。このとき、われわれは観客・読者としての実力を問われます。

  • 「この作品はわからない」という感想を抱いたときは、「わからないのは、作家のせいというよりも、自分のせいではないか」と、まず自分の能力に疑いを持つことが大切です。作品の評価はその次の作業でしょう。

  • 書いたから終わったわけではない。読み手の胸に届いたときに、自分の書いた文章は目的を達成し、そこで文章は終わるわけです。

  • 主語は、文の中で使わないほうがいい。特に、随想やエッセーにおいては、あまり主語を立てると、エッセーじゃなくて論文みたいになってしまいます。

  • まず、欠点をずばずば言う。それで、いいところをおしまいに挙げる。そしたら誰も傷つかない。

  • いい芝居ですと、お客様は本当に神様で、生まれたての赤ん坊みたいな顔で、ずーっと、ゆっくり帰っていく。

  • 自分の値打ちは自分で、自分たちで決める。

  • 全部わかって書いている―これぐらい、つまらないこともありません。それなら、書かないで頭の中で考えて、あっ全部できたと、もうそれで終わればいいんです。

  • 本当におもしろいのは、書いているうちに筆が自然に外れていくことなんですね。そっちへ行っちゃだめ、というのに外れていく。それがいちばんおもしろいんです。

  • 考えて、考えて、考え抜いて、もうこれならどこからでも書ける、というところまでちゃんとやったうえで、いったんそれを脇に置いて、スーッと書きはじめる。

  • 「恩送り」というのは、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送る。その送られた人がさらに別の人に渡す。そうして、「恩」が世の中をぐるぐる回っていく。そういうものなのですね。

  • 私たち日本人は最初はだいたい褒めるんですね。「いやぁ、良かった、良かった」と。ところが、そのあと「でもさ」って、最後はけなして終わるから、みんな不愉快になるんです。

  • 雄々しくネコは生きるのだ 尾をふるのはもうやめなのだ 失敗おそれてならぬのだ 尻尾を振ってはならぬのだ 女々しくあってはならぬのだ お目々を高く上げるのだ

  • 実生活と信念を一致させて生きることはむずかしい。たいていはボロを隠したまま、行い澄ましてごまかしてしまう。なかには、胃潰瘍になってやりすごす人もいるらしい。自分の胃に開いた穴、彼はその穴から這い出して相方から逃げるのだ。

  • だいたい、作家というのは、好きな言葉がいくつかあるんです。そういう大好きな言葉が二つ、三つ、四つ、五つと出てくると、それは文章にも、きっと、いい影響が出てくると思います。

  • 自分が書きつける言葉に、いちいち責任を持って、時間がかかりますけど、きちんと字引で調べる。意識をなるべく研ぎ澄まして。観念的に、じゃなくて具体的に。理屈ではなくて具体的に。

  • 言葉の出生を訪ね、理解したことを書いていく。

  • わかりきったことを考え、わかりきったことを書く。これくらい辛いことはないんですが、意外なもの、邪魔なものも、ちゃんと準備しておかないと出て来てくれないんです。

  • パロディを入り口とするか、ユーモアという門から入ろうが、奥の院である本当の笑いへは到達できるはずなのだ。わたしはなんとかしてそこへ辿りつきたい。

  • 偉くなろうとするのは愚かな努力であり、美しくありたいと志すのは莫迦なあがきである、とひねくれる、この考え方ですべてを処理して行く精神をパロディ風というのだろうと思われる。

  • 自分には、死の恐怖を戦うときに格好な武器となるものがあるか、なにか「命がけで愛するもの」があるのか。それは小説か、演劇か、家族か、友人たちか、それとも日本語を使って生きている人たちか。

  • 文明開化をちがう角度から見れば、それは名詞の氾濫である。そしてその名詞とは、じつは情報のことである。この情報の氾濫は、現在に至ってもまだ終わっていない。それどころか、それは大の字のつく氾濫になりつつある。

  • 情報の過剰は人間を変える。自分の身の回りにはうといのに、サンフランシスコなら猫の通り道まで知っているというのは、どう考えても異常である。異常が言い過ぎなら、自然ではない。

  • 読者は作者の提出した物語に導かれて、自分の周囲に立ちこめている情報の粒子を整理するのである。その結果、身の回りが、足もとが、よく見えてくる。なにが大事で、なにが大事でないかが、たとえ一瞬であっても判然としてくる。神経病みが治るのである。

  • 科学も宗教も労働も芸能もみんな大切なもの。けれどそれらを、それぞれが手分けして受け持つのではなんにもならない。一人がこの四者を、自分という小宇宙のなかで競い合せることが重要だ。

  • それでも生きて行かなければならないとは、おそろしい言葉である。ほとんどの人間が、それぞれの幸福の絶頂期に、あるいは辛いことのさなかで、死ぬことができない。たいていが落ち目の長い坂をくだりながら、あるいは依然として辛い毎日を、衰老に向って生きていかなればならない。

  • 偉大な人物もやがては死んで土に還る、傾国の美女も排泄をするし死ねばただの白骨になる。だからことさら偉くなろうとせずともよい、美しくなろうとすることもない

  • わたしたちが踊り子にあこがれるのは、彼女たちが柔かい肉体と、その肉体を自在に操る技術とで、束縛を飼いならしてみせる達人だからです。

  • 私はただ、淋しさを軸とした堂々めぐりが人生というものではないかという問いを設定した漱石に感謝するばかりである。この問いがあるというだけでも、人生、だいぶ生きやすくなると思うからだ。

  • 太宰の文章だったら、どれでもよろしい。彼が格好よくきめたら、そのあとに「なあんちゃって」を付けてみてください、奇妙によく付きます。そしてうんとおかしくなる。たぶん彼も、そうやって読む者を歓迎するはずです。

  • やや大きめの手帳を用意して、本でも新聞でもなんでも、これは大事だと思うことは書き抜いていく。あとで参照できるように出典とか頁数とかも書いておきます。番号さえ振っておけば、不思議に「あれは三冊目のあの辺にあったかな」ってわかるんです。手が覚えてるんですね。

  • どんな本でも最初は、丁寧に丁寧に読んでいくんです。最初の十ページくらいはとくに丁寧に、登場人物の名前、関係などをしっかり押さえながら読んでいく。そうすると、自然に速くなるんですね。ぼくは速読法というのはあまり信用していないんです。





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