森祇晶の名言集
2014/04/16
森 祇晶(もり まさあき、1937年1月9日)
プロ野球選手(捕手)・プロ野球監督、野球解説者。
大阪府豊中市生まれ、岐阜県岐阜市出身。
右投左打。
旧名「-昌彦(まさひこ)」。
現在は「-祇晶(まさあき)」(名前については後述)。
読売ジャイアンツ 巨人V9時代の正捕手。
引退後は東京ヤクルトスワローズ ヤクルト、西武ライオンズ 西武、横浜ベイスターズ 横浜のコーチ、監督を歴任した。
西武監督時代の在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導いた名監督。
現在はハワイ在住。
「祇」の字は西武監督時代の登録名は「ネ+氏」ではなく、「示+氏」(画像:Chinese character gi of gion.png 22px)であるが、対応する文字コードがないため、ここでは横浜監督時代の登録名の「祇晶」と表記する(なお「祗」は全く別の文字である)。
しばしば狸と評される。
愛称は「マチャアキ」、「森狸」、「岐阜の貯金箱」、「ケチ森」。
兄・和彦もオリックス・バファローズ 阪急の元プロ野球選手。
- 勝ちが問題ではなく、勝率が問題。それが人生だと思う。
- これまでの人生を「連戦連勝できた」「負けたことがない」と思っている人も多いだろう。そういう考え方を否定しないが、世の中を甘く見ていると思わざるをえない。
- 成功した人生とは99%の望みをかなえた人の一生だけではない。半分の5割を超えれば成功なのだ。そのことが実感できるのは、この世を去るときではないだろうか。
- 人生は一度しかない。だからどう生きようと自分の人生は自分のものだ。自分の人生は自分で決める。不器用な真面目さを他人が笑おうと、自分がよければそれでいいではないか。生きる心構えの根本に「本物を見る覚悟」を置いておきたい。
- 不器用でもいいから真面目に本物を見分けること。これが流転する不安定な時代を楽しく生きるコツではないだろうか。
- 本物は長く残る。そして本物は残念ながら真面目な努力からしか生まれない。
- 変転、流転を繰り返すからこそ世の中は新鮮に見える。そこに生きる私たちもいつも新鮮でありたい。
- いつかわかってもらえるもの、いつまでも生き延びるもの。それが本物だ。不安定な時代は、まず本物でないものから排除されていく。ゆえに不確かな時代こそ本物とは何かを問うことだ。
- 不安定な時代は本物を選び、本物だけを相手にすること。
- 仕事に情を持ち込まないのは、プロの常識である。プライベートでは情を大切にするからこそ、仕事と割り切れるのがプロである。
- 「情」は大切だからこそ、仕事から遠ざける。
- ささやかな過去を人前にさらして、自分を大きく見せるような真似はできない。終わってしまった過去は、人様に見せるようなものではない。そこから引き出せた教訓だけを大切にしていれば、それでいいのではないか。
- たとえどんな実績を上げようと、それを上回るエネルギーで未知なるものへのチャレンジしたという気持ちを持ち続けたいと思う。
- 過去の斯く斯くの実績まで総動員して、自分をアピールすることは、恥ずかしさを感じてしまう。人生の勘も鈍るに違いない。
- 「昔は良かった」式のノスタルジーに浸るのは老後の楽しみにしておけばいい。一度、目盛りをゼロにしてしまうこと。その踏ん切りが明日を呼び込む。
- 困難な時代は、過去に拘るな
- 「我慢比べ」これが結局は、悪循環を断ち切るきっかけとなる。
- 良循環と悪循環の差は、Y字路にたっているようのものだというのである。ちょっとした間違いで悪循環の道に入ってしまう。最初は良循環との差が小さいので、それと気づかず進むうちにどんどん良循環と離れていってしまう。それが悪循環の正体だという。スランプはまさにそうだ。
- 憂鬱な気分に陥ったときその気分に浸って陰々滅々としているのは馬鹿げている。ここは一つ「憂鬱」の正体を見極めようと思い本を書いてしまった人がいるそうだ。人生はこの気合いだ。ダメなときは辛抱を楽しむくらいの気概で臨む。余裕を持って「負けるものか」と言えるくらいになれば先が見えてくる。
- ダメなときは辛抱を楽しみ、不安なときは不安を楽しめ
- やるべき事をやっておけば、たとえ敗れても悔いは残らないものだ。勝負勘の土台にそれをおいておきたい。
- 全て勝ちたいと願い、全力で戦っても結果は予測出来ない。唯一できるのが、慎重に準備するということである。ここさえ大切にすれば、ある程度の予測はできる。
- 「徐(しず)かに急げ」(ジュリアス・シーザー)
- 人生は流転するものである。1.勝ちたいと願い、2.そのために慎重な準備をし、3.全力で事にぶつかるということ。これさえきちんとしてやっておけば、勝った負けたの結果にあまり拘る必要はない。
- 剣道の教えに「勝つに法あり、負けるに理あり」というのがあるそうだ。勝ち負けには自ずと理由があるということだろう。
- 勝ち負けには理由がある。あなたが今うまくいっていないのなら、うまくいかないだけの理由がある。それを見つけ、次に備える。これは人生をどう生き抜きいくかに通じる。
- 「勝つに法あり、負けるに理あり」を知ること
- 勝負どころに遭遇してどう闘うかを考えるより、勝負どころをこちらで決めてしまえば、闘い方も自ずと見えてくる。勝つ為の勝負勘とはそういうものではないだろうか。
- ヤマ場がいつかは自然に決まると思っている人がいるが実はそうではない。ヤマ場はこちらで設定してしまうことだ。そこに相手の誘い込めば成功する。
- 成功のヤマ場の主導権を握ることで得られる
- たった一回の勝負なら無理をしてもよい。だが、人生の勝負は一回ではない。何回も勝負するとなれば大切なのは、無理をしないことだ。無理をして体を壊したり、人間関係を壊しては元も子もない。
- 長丁場では「無理」は敵と思え
- 会社の経理も、好況の時は甘くなる。いい加減な伝票が回ってきても、「まあいいか」で済ましがちだ。逆に不況のときは、必要以上にチェックされる。これはむしろ逆だ。
- 勝ち続けているときは、水を満たしたコップを持って綱渡りをするようにいろいろなところに神経を張り詰めていなければならない。
- 勝っているときは悲観論者になり、負けが込んでいるときは逆に楽観論者になる。そんな感じでいないと、うまくバランスが取れない。
- 物事が順調にいっている時こそ神経を使え。痛い目にあいながら、体で覚えていくということである。私は決して悲観論者ではないが、勝ちが続いているときは意識して浮かれないようにしていた。
- バランス感覚を持たないと、いつかひっくり返される。みんなが喜んでいるときは一緒に喜ぶのは簡単だ。その時、脳の半分は醒めていなければならない。どんなときも全体を眺める気持ちが肝心だ。
- 人を見て羨ましいと思う心は無用のものだ。あの人はあれだけ頑張ったのだ、ならば自分もと思えば羨ましさは希望に変わる。
- バッティングフォームが崩れてしまったら、納得いくまでバットを振ってみる。懸命にバットを降っているうちに「これだ」と納得する瞬間がある。それが腑におちる、腹からわかったということなのである。私はこれが基本だと信じてきた。こうする以外に、自分のことを知り続ける手段を知らない。
- 人が歩いている道を羨んでみても、あるいは蔑んで優越感に浸ってみても、所詮自分の道ではないのである。
- 他人と比較して、勝った負けたで一喜一憂するのでは本当の勝負に勝てない。他人の動向を気にしているうちは、成功もおぼつかない。
- 危機を乗り越えたいとき、人の事は関係ないと割り切る
- どんな道をたどっても自分がなりたい自分になる。大切なのはその勘だろう。「私は私」であるということだ。たとえどんな不遇な環境にいても、今の自分を大切にすれば、自分がなりたい自分になれる。
- 山の頂上にいくのにはいろいろな道があるように、どの道を辿っても結局は今の自分に行き着く。それが遠回りだったか近道だったかは、あとで考えればいいことだ。それに、遠回りをしなければ分からないこともある。
- このテトリスはクリアできない orz...
- 人生では、試験や就職、あるいは大事業の成否など「大勝負・大決戦」だけに目がいってしまうが、実はそれと同じくらい大切な勝負時が今あなたの前にある。というよりも、いつも「今」が闘いの潮時と覚悟を決めていたい。
- いつも今が人生の岐路だと思え
- 最後に勝つ者が本当に勝つのである。最後の勝ちは、それ以前に累々と横たわる「失敗」や「負け」を真摯に検討することからしか生まれない。
- 負けるのは恥ではない。負けから学べない。負けをきちんと受け入れない生き方こそ恥とすべきだ。
- 「負けて学び、勝って学ぶ」人生の勝ちはそこにあると思っている。勝って何も学ばないよりも、負けて何事かを学ぶ方がはるかに意味がある。
- 事業に失敗したといって自殺してしまう人がいる。リストラを悩んで自殺する人もいる。人生で言えばたかが一つの挫折である。
- 人生に失敗はつきものだ。勝ったり負けたりが人生だからだ。負けを直視するのは苦しいが、その苦しさに耐えることが、最後の勝ちを得ることに繋がる。
- 失敗から学ぶことが最後の勝ちに繋がる
- 辛抱強く時を待つ。腹を括って辛抱できるかどうかで今が決まり、先の読みが立つ。
- なにか起死回生の妙手はないかと、あわてふためく。ここが問題だ。人生に変転はつきものだ。いいときもあれば悪いときもある。私ならまずそう考えて腹を括る。そのうえで策を練る。それがいい勝負勘を育ててくれる。
- なにか一つの手を打てばピンチを脱出できるなどということは、実はそうありはしない。
- 不況、リストラ、円安、将来への不安が広がる今日だが、あれだけ好況だったのだから今は不況で当たり前という全体を俯瞰するリズム感が、実は我々の生き方を変えてくれる。日本経済の突破口を見出すのはこのリズム感ではないか。
- 人生は「波」感覚で捉えるとストレスが溜まらない
- 今たまたま成功している人を見ても、羨むことはない。それは明日の自分かもしれない。あるいは、その人が明日は敗北者にならないともかぎらない。どちらにしても我々は、流転する人生の瞬間を見ているにすぎない。
- 好調が続いていると、立志伝中の人物のように見られがちだが、そんなことはない。逆に倒産の憂き目にあったからといって、人生の落伍者ではないのである。
- 幸運すぎる成功は長続きしないものと兜の緒をしめておくべきだ。図に乗る者には必ずシッペ返しがある。運のない人やリストラの標的にされてしまった人は、それを人生の敗北とみなさず、「ただ今連敗中」と思えばよい。いつか勝つときはくる。人生はそうなっている。
- 連勝はいつか止まると覚悟し、連敗は必ず止むと悟ること。
- 「成功は善、失敗は悪」と捉えてしまうような生き方は、いかにも窮屈だ。
- 勝っても負けても、そこから反省材料さえ掴み取れば、あとは忘れるように心掛ける。反省材料だけを頭に叩き込んで、次の白紙のゲームに勝つことに拘る。
- 私は勝つことには拘るが、勝ったという結果にはあまり執着しない。
- 生真面目な人は、人生とは小さな成功や幸せを几帳面に積み重ねていくことだと考えている。そして生き方を窮屈にしてしまっている。私はそうは考えない。その方が生き方が楽だからだ。
- 今日の負けに拘るのは、人生を心豊かに生きようと思うならば愚かである。今日の負けは単なる一敗。数ある人生の暗礁のうちの一つに過ぎない。
- 人生は「リーグ戦」と同じ。勝ったり負けたりをしながら続いていって最後に勝てばよい。
- 今が最下位であっても最後に勝てばよい。人生はそのようになっている。どんな人生も、「今」にこそ勝利の鍵は潜んでいると思いたい。
- 今日のことはただの一敗。そう思って気持ちの上でやり過ごす。その姿勢が前向きの楽天性を生むし、前向きの楽天性こそが最後に勝つための必要条件となる。
- 最後に勝つことは、地位を得、金銭に恵まれることではない。地位を得ても不幸な人、財産があっても人生を楽しめない人はいくらでもいるし、地位やお金が無くても幸せな人は山ほどいる。最後に勝つということは極めて個人的な体験だ。
- どんなに不幸な目にあっても、最後に俺は「勝った」「幸せだった」と確信できれば、その人生は勝ったのだ。
- 落ち込むことなく、明日の勝ちを信じて今日を乗り越えていく気持ちの上でのタフさがなければ、長いペナントレースは戦えない。もちろん人生も同じことだ。
- 再出発に際して最も大切な事は、楽天性をもった反省や分析だろう。
- 個々の失敗を曖昧にすることではない。一つ一つの敗戦から次の手を模索し、自分たちの弱点を知り、克服することからしか次の成功はない 。
- 失敗を冷徹にとらえ、そして乗り越えることができる。いつまでも不機嫌や挫折感に身を委ねているわけにはいかない。
- 数ある人生の危機や失敗の一つに過ぎないと考えれば、少なくとも不機嫌になる必要はないだろう。それは単純にいって、乗り越えるべき困難の一つにすぎない。
- 成功もあれば失敗があり、失敗があるからこそ成功がある。失敗のない人生はあり得ない。
- 最後に勝つ為になすべきこと。その方向性は人生も野球も同じではないかと思っている。
- 未曾有の困難が立ちはだかっている。このようなとき、とるべき道は二つしかない。座して敗退していくか、困難を克服するための有効な再出発をするか。
- 勝負をしている以上は、勝って喜ばない人間などいるはずがない。だが、勝って喜んでしまえば、負けたときにその反動が出る。
- 勝つ為には勝つ為の顔がある。言葉を替えれば、自分をできうるかぎり捨てるということである。
- 男の顔は仕事向きによって変わるものだ
- 印象の残った映画のセリフ、テレビを見ていてふと思いついたこと。そういうものは即座にメモしてしまう。
- メモは一晩置いてから取る。「一晩置く」ということで記憶が熱すぎず、かといって冷えてもいない。客観的に昨晩のゲームの流れを振り返られる。
- やりっぱなしにしないで、常に明日に結びつく情報を自分達の闘いの中から探し出す。
- 勝っても負けても、そのゲームがどう闘われたかは、きちんと記録しておかなくてはならない。監督自身がこれをどう記録するかで、次の試合をどう闘うかに大きな差が出てくる。反省的に勝つ為にはこれが肝心である。
- 「兵の形は水に象(かたど)る。水のいくは、高きを避けて下きにおもむく。兵の形は、実を避けて虚を撃つ」(孫子)。闘いもまた相手の主力を避けて手薄なところを撃つべきだという。
- リーダーの闘いとは常に先を読むことだ。
- 勝ちたいと思うのではなく『おそらく勝つだろう』と思う。そう思うと少し気が楽になる。楽になるから動きも思考ものびのびしてくる。そうすると勝ちたいという焦りがなくなる。勝つということはこういうものだと思う。
- 欲を出すとろくなことがない。これは長年野球をやってきて得た実感である。
- 会社も個人も、自分のリズムを忘れてはいけないだろう。勝ったり負けたりするリズムを体得し、負け試合に滅入らず、勝ち試合に驕らず、リズムを大切にして、終わるときは気持ちが上向きで終わるようにする。そうするといつしか堅実な勝ちが目の前にある。
- 人は生きているかぎり己と闘うものだ。己に負けたとき気持ちが萎え、持てる力も萎縮する。気力の充実は、勝つ為になくてはならないものだ。
- 短期決戦を制するのは投手力である。
- 人は結局、周囲がなんと言おうと自分が信じられる人、信じられる集団の為に身を粉にして働くのが一番幸せだし、そういう状態が一番そこの水や空気が美味いと感じられるのではないか。
- チームは人と人との絆である。これを信じられるものが、勝ち続けられるのだというのが今に続く信念だ。
- 長島が太陽なら、自分は月でいい。太陽の光が届かないところにいる人に、何かできることもあるだろう。
- 信じるものがなければ男は働けない。
- 優れた企画は少数者にしかわからない。わからないから、それが実現したときみんなが意表をつかれる。
- お互いに読み合えば読みあうほど、動くに動けなかったのだ。術とか技を自分の頭の中で想定するが、相手がそれを読んでいるという思いがあるから、さらにその上を考える。相するうちに、ここは動かないほうが相手を撹乱できると思うに至ったのだ。1992年日本シリーズ
- 任せるということは無責任な放任主義であってはならない。部下の体から発しているやる気や敢闘精神を感じ取り、それを信頼するのだ。
- 任せるときは100パーセント任せる。それが部下の『自助力』を育て、また組織を一回り大きくする方法だと思う。
- 失敗を考えてなおかつ成功する道を模索する。
- 闘いは常に手探りだ。手探りだから最大限、先を読もうとする。だが、読み誤りは常にある。それを覚悟しておくのもリーダーの務めだろう。
- 仕事や交渉事でも相手の手の内を知らないうちは、決して有利に展開することはない。どこを落としてどこを取るか、そういう計算ができるときに仕事とか交渉事は成功するのだろう。
- 「迂を以って直と為し、患を以って利と為す」。間接的でありながら、直接的な実効をあげ、自分の患を有利にするはかりごと。
- いざここと思ったら、できうる限りの瞬発力を発揮する。それが勝ちに行くということだ。
- 今自分がやっていることを眺め、どこがヤマ場かを見極めることは重要なことだ。
- リーダーは勝機を読めなければならないだろう。そしていったん勝機だと思ったら決断力が要求される。
- 「時を待ちて動く」は闘いの常道である。
- 自分が苦しいときは相手も苦しいはずだ。そう思うことが相手に勝る気力と、計算を生み出す。
- 落としても止むを得ない試合をどう勝ちゲームに結びつけるか、つまりどう勝ちを拾っていくかが、行く先での勝敗を分ける。
- 勝ち味が脇役の気持ちを高揚させ、それが「勝ち続ける」原動力となる。「勝ち味」を教えることも、勝つことを目指すリーダーの条件だろう。
- 大切なのは、誰もが小さなミスを犯さないという緻密さを持つことだ。どこからもボロが出ない。これでは相手がつけいることができない。
- 脇役の強さがハガネの組織を作る
- 綺麗なシャンデリアは多彩な光を投げかけるが、見えないところに配された電線が、その輝きにエネルギーを送り続けていることを忘れるべきではない。私は、シャンデリアを磨くことより、電線の補修に目を行き届かせることを怠らないのが、勝ちに行く監督の役割だと思っている。
- 百里を行く者は九十に半ばす。気の抜けない闘いをしようと思ったら、確実性のより少ないほうに掛けることができないのである。
- ビジネスの世界も単純計算でいいものではないか。足すか引くだけだ。掛けるなどという一発勝負を狙うと危険率も増大する。掛けるは賭けるに通じる。
- ときたま大きく儲けられる投機話に依存していたら会社は成り立たない。
- 当たるときもあるし当たらないときもあるというのでは、勝ちに繋げる執着心にはならないだろう。
- 惨めな負け方というのは、後に悪影響を残す。
- 攻めなければ勝つことはできない。しかし同時に、守りきることによって1点の価値を二倍にも三倍にもすることができる。
- 闘いは卒然の如く、これはおよその闘いの場であるならば、どこにでも通用する『勝ち続ける』ためのセオリーではないだろうか。
- 「勝兵は先ず勝ちて、而る後、闘いを求むるなり」(孫子)。どんな闘いも心理戦である。精神的優位に立ってはじめて勝ちを収めることができる。
- 礼状を出すと憂いのはビジネスの社会では基本的なことだと聞いた。こういう基本を何年も欠かさない人こそが、勝ち続ける人なんだと思う。
- 一つ勝ち星をあげるのはそう難しいことではない。だが、勝ち続けようと思ったら、相手に『敵わないな』と思わせることだ。
- 「善く兵をもちうる者は、たとえば卒然の如し」(孫子)。巧妙な用兵というものは常山に住んでいる卒然という蛇をコントロールするようなものだ。
- 1点の重みというのは、誰でも知っていることだ。1点に拘る野球というのは、このような場面で『偶然性』を切り捨て、堅実な野球ができるか否かによって決まる。
- リードしていながら直確実に1点に拘る野球。それが相手を恐れさせる戦い方だ。
- 3点既に取っているのに、あと1点を確実に積み上げようとする執念を見せつけられると、心理的にまいってしまう。
- まず心で勝って然るのち闘いを挑む。
- 「格」の違いを見せつけることが、勝つことにつながる。
- いい若手を育てようとしたら、自分がいい上司にならなければならない。
- 人はなんだかんだと言って、言葉でコミュニケーションするしかない。だったら言葉に細心の注意を払うのが教えるものの務めとなる。相手をその気にさせるように話す。相手がやる気なるように話す。
- 「俺達の時代はこうだった」というような話をしても始まらない。年寄りの戯言のようなことは、若い人の前では言わないことだ。
- 自分がされて嫌だったことは他人にはしないというのは、礼儀だ。
- 実践こそが最良の学校である。そこで自覚を持ったものだけが最短距離で自己を鍛え上げる。
- 対象は常に二通り用意することだ。長期的な対象と、目前の対象と。特に大切なのが目前にある対象である。これをとにかく鮮明にさせる。鮮明であればあるほど選手の集中力は増す。
- 苦しいときだから、どうマイナス思考をプラス思考に方向転換させるかが大事になるのだ。
- 勝ち続けるというのは、先の先を読むこと。
- プライドなどというものは、所詮自分で作り上げていくしかない。
- どんな社会、どんな会社にいても、これで満足ということなどあるわけがない。むしろ不満の方が多いだろう。そんなときに自分を支えるのは仕事に対するプライドしかない。
- 一つの組織に入ったら、その看板を背負っているということを忘れるべきではない。
- プライドとは看板に依存するものではない。自分がその看板を支える一人であると自覚できたときに、生まれるものだ。
- 自分を支えるのは仕事に対するプロ意識
- 自分に対する目的意識、集団の目的意識、そしてその看板を守ろうという意識があれば、「自助力」は自然に育まれる。
- 自分が帰属する集団の看板を守ろうとする姿勢が、結局は勝つことに対する意欲となる。
- チームの看板に泥を塗らないという姿勢を大切なことだと思う。
- 大切なのはお互いの心を傷つけずに、勝つという目的に向かって進むことだ。
- 目的意識をはっきり持って、基本を疎かにしない練習に耐えられるものが一流に値する。
- 今ある力を過信して、練習を怠ればすぐにそのツケは回ってくる。それが勝負の世界ということだ。
- 具体的にこれをやると、会社はこうなる、それが我々の為にもなるんだというべき。リーダーは具体的で未来思考のある目的意識を提示しなければいけない。
- 勝ち続けるためのセオリーというものがあるとすれば、それは地道な練習、なおかつ勝つ為の基本練習をどれだけやりおおせたかという以外にはない。そこに目的意識がある。
- この練習がいつか自分の為になると思う。その思いが強いものほど、練習に汗を流す。
- 面白くもない練習を飽きることもなくやり続けるのが「自助力」だ。
- いいゲームを見せたいと思うから、面白くもない練習に耐えられる。
- 目標は一つ、勝つための実践に繋がる練習。決して奇抜なものではないし、派手なものでもない。
- 具体的で未来思考のある目的意識
- 自分の役割をしっかりと理解し、黙々と練習している選手がいる。強い意志がなければできることではない。自分の役割、能力を見切った上での決意なのだろう。
- 練習をやらされるか、自主的にやるかの間には、「自助力」という点で天と地との開きがある。
- 物事を直視でき、見たことを粉飾交えずに語れ、そして相手の為に本当のことが言える。こういう人物の「自助力」はなかなかしぶとい。
- リーダーはときに我慢が必要だということを教える。
- 逃げ場を簡単に与えず、じっくりと待つことが本人には苦痛であっても、将来の財産になることがある。そういうピンチが将来伸びるためのチャンスともいえる。あとは我慢比べだ。
- 「教えるのは学ぶの半ばたり」という。教育するものは教えることで自分の知らないこと、未熟さを再確認し、更に学んでいかなければならない。
- 選手が育つというのは「自助力」を本人が身に付けるのに等しい。
- 自分自身が変わろうと思わなければ、人は変わりようがない。自分自身が変わろうと思わなければ、人は強くなりようがない。自分自身が変わろうと思わなければ、自覚の伴ったプロにはなりきれない。自分自身が変わろうと思わなければ、変化など訪れようもない。天は自らを助くるものを助く。
- 勝つことによって人の後塵を拝すよりも先頭を切ることの高揚感によってプロとしての自覚が促される。
- 選手、コーチ一人ひとりが己との闘いに勝つ。つまり、誰かに助けられるのではなく自らを助ける。そういう精神力や気持ちがなければ、勝ちを続けるような強い集団はできあがらない。
- 早すぎては失敗するし、遅すぎても失敗する。物事の判断にはここだという時期がある。二番手ぐらいにつけておいて、そのときを逃さない。それまでは動かないこと。
- 闘いには、リーダーと現場の心の一致、時期、地の利、リーダーの資質、現場のやる気や規律が必要になる。それが全て同じ方向を向いたときこそ、リーダーは断を下すべきだ。
- 闘いでは勝機が来るまでは、いたずらに動かない。動かないことによって、こちら側のやる気を消耗しない。つまり、ここぞと思うときにやる気が爆発するように仕向けるのである。「時を待ちて動く」のは闘いの常道だ。
- 「敢(かん)に勇なれば則ち殺し、不敢なれば則ち活かす」。勇気にはあえてやる勇気と、あえてやらない勇気がある。そしてあえてやらない勇気こそが時によって人を生かし、己を生かすのだ。
- 私の信念に、「動かないときは決して動かない」というのがある。
- 鉄砲玉が跳んでこようが、でんと座って動かない。人は時にはジッとしていることで明確な意思表現をするものだということを実感した。
- 一事が万事。
- 勝っているときは、みんなが鷹揚だから、そのときこそ皆でシビアな問題を話し合うべきだということだ。内なる慢心こそが、最大の敵とみなしたい。
- 財閥系の銀行には、「浮利」というような怪しげなもので儲けてはいけないという家訓のようなものがあったそうだ。
- 勝ったということは全体としてはうまくいっていたということだろうと勝手に思い込んでしまう。こういう状態が続くと、やがて間違いを指摘しようとする人もいなくなるし、もし誰かが勇気を持って指摘したとしても、「勝ったからといって大きな顔しやがって」ということで取り上げられない体質ができる。
- 最大の敵は「内なる慢心」
- どんな仕事でも、周りの人に支えられて、始めて何とかやっていける。これはどの世界でもいえることだ。自分一人でできたことなど何もない。
- 人に勝つということはただそれだけのことに過ぎない。本当に勝ったというべきものがあるとしたら、それは自分に勝ったということではないだろうか。自分の欲望に勝ち、自分の惰性に勝ち、自分を殺すことを知る。こういう人が、本当に強い人だ。
- 「自ら勝つ者は強し」
- 「曲者」ある情報が流されると、時間をおくとか他のルートでチェックしてみるなどという習慣のない人。
- 情報化社会に生きることは、ガセ情報、恣意的な情報、無責任情報が大量に流される中で、どれが本当のことなのかを選り分ける能力を身に付けながら生きていけないということだ。