三波春夫の名言集

2014/04/24


三波春夫

三波 春夫(みなみ はるお、1923年7月19日 - 2001年4月14日、本名・北詰文司(きたづめ ぶんじ))

新潟県三島郡越路町(現・長岡市)出身の大衆歌謡の歌手

紫綬褒章受章、勲四等旭日小綬章受章、新潟県民栄誉賞受賞。

  • 日本の敗戦という重大な時期に、銃をとり、祖国と運命を共にした人間として、与えられた宿命のなかで力強く生きることを選んだ私である。これからは、大衆の一人として、大衆の息吹を感じつつ、舞台から広く日本という国を真剣に見つめて、新たな創作に精進しようと決意したのであった。
  • いいんですよ。歌っていうのは、本当にそれぞれね。その土地で聞くといいでしょう。私は民謡というのは、やっぱりその土地へ行って、そこの土地の料理をいただきながら聞くっていうのが最高にいいと思いますね。
  • 自分が商売しているとか、物をつくっているという世界の人たちは、自分の感覚でポンといいますね、批判しますね。ですから、やっぱり修行場所は名古屋以西ですね。
  • いったん群衆の中に入ってる時は、群衆の顔でいいと思うんですよね。そして、舞台に上がった時は、まったく違うものでなかったら、これはプロじゃないと思いますよね。
  • 人間は、一つのことを成功したときが、いちばん過ちを犯しやすいものだと聞かされている。
  • 浪曲家が、愛情に結ばれた三味線を得ることは、すでに一つの勝利を意味していたのです。
  • いまは昔のものをどんどんぶち壊すという概念でしょう。だけど歌屋ってのはけしてそういうもんじゃないと思うんです。やっぱり基本的なものをきちっと勉強してから、日本の歌手ならば日本のものを勉強してから、それから新しいものをつくるべきだという、これは私、当然じゃないかと思うんですがね。
  • 舞台人というものは、私のようなスタイルで和服を着てやるんだったら、足元がまずピシッとしてなきゃダメだということですね。舞台っていうのは一つの絵ですからね。
  • 一つの和服というのは、一つの舞台装置を意味しているというところで、日本の美的感覚があるんですよ。
  • 舞台に立つとき、敬虔な心で神に手を合わせたときと同様に、心を昇華しなければ真実(ほんと)の藝は出来ない、と私は思っている。
  • いい歌というのは独立してどんどん歩き続ける。それを歌った歌手も、作詞作曲家の名前もわからなくなっても、ちゃんと生きて歩いていく。だからせめて一曲でも、長く一人歩きしてくれる歌を歌いたいものだと思っている。
  • 声を使う二時間前には、必ず食事を済ませる。
  • おなかの底から声を出し、死ぬまで歌えるように声を鍛え、どれが本当の自分の声なのかを研究すべきだと思う。ちょっとやそっとでは壊れない自分の声の「壺」を探せば、その中には黄金がぎっしりと詰まっているはず。
  • 竪式の発声法を、ベルカント唱法とよぶが、もちろんこの発声法では日本語の歌は唄えない。日本語が横式発声であるからだ。しかしだからといって横式唱法だけでは歌としてはつまらない。やはり両方の唱法を自由にこなせるところまでいきたいものである。
  • 私はシベリアでの四年間の捕虜生活のなかで、放心状態に近い大衆にどうしたら、人間らしい生活感情を持たせることが出来るかを、考え続けてきた。
  • いやだなと思うような人でも、自分が裸になってその人の胸のなかに飛び込んで、「これはどういうことでございましょう。教えてください」と言ったら、人は必ず教えてくれるものだと思いました。
  • 歌は肉体と本能を揺さぶり続けて、人間が地上にいる限り、永遠不滅である。
  • 歴史は形を変えながら繰り返す。あたかも、雨が地下水となり、川となり、海となり、天上に至って、また雨となるごとく、浪花節は、演歌のなかに生き続けてゆく。
  • 戦友はコメの夢を見ながら死んでいったんです!だから好きなのはコメです。日本人はコメです。
  • 僕をおいてほかに、あなたをしあわせにできる男性は、この広い世の中にも決して存在しない!!
  • 日本という国に生まれた男として、相手が攻めてきたんなら、戦うしかないです。命を捨てても戦う。
  • 私は、この日神楽殿に於て、歌う時そこに神を観たと書くことは出来ない。ただ言えるのは、舞台で幾千幾万のお客様を前にして唄う時と変わりない自分の心の在り方であったとは書ける。[伊勢神宮奉唱式について]
  • 浪花節よ、死に給うな。君は民衆のメロディであったはずだ。大和なる国のメロディであったのだ。
  • 睡眠は十分に。心がいつも明るい平常心なら、眠りは深くなる。つまらないことにすぐ腹を立てないこと。
  • 六万人がシベリアの土になりました。わたしは忘れません。
  • 歌うとき、まず、土台の詩と詞をどのように理解しているかかが大切である。私は、極端に言うならば、「一番、二番、三番のメロディが、同じように聞こえるようでは、プロ歌手ではない!」と思っている。
  • 歌、音楽、浪曲、芝居などの現在の私の藝は、時には笑い、時には涙、そして時には怒りーといった形をとりながらも、「大衆に喜びを」という一点に向けて発せられている。
  • 日本人は、古代から天に地に、森に川に山に海に、そして石にまで、すべて人間を育くみ、生かしてくれる自然環境のひとつひとつの主たちには神が宿ると信じてきました。日本人は、そうしたやわらかで謙虚な心を持ち続けてきたことによって、神々の恩恵を受けることができたのです。
  • 私の浪曲の節は、米若節を基本にして、雪月節、鴬童節、梅鴬節、三門節を学び加え、朝鮮民謡のトラジまで工夫して、一ふし一ふしと固めていったものです。
  • 歴史を忘れた民族は滅びます
  • お客様は神様です
  • 防衛庁汚職や天下り、昔の軍隊だったら、あれは銃殺刑ですよ。
  • 日本の歌も踊りも演劇も、すべてが放浪する旅藝人の手で創られていったのは明らかな事実なのである。そして、その藝が完成するためには、神(絶対者)を意識するという課程があった。そして初めて、その藝が洗われ、深められていったのではないだろうか?
  • 歌藝は客が育てる
  • 雲右衛門の心意気を想うとき、独り私は、現代歌謡曲の品性において、恥じるところありやなきやと思うこともある。
  • 歌い馴れると、自分の一人よがりになってしまう危険がある。リズムをずらして歌うようになった場合は、その歌手の力量が落ちてきたか、もしくは大変驕慢になっているかである。
  • 国家の歴史というのは、たとえば教科書で教わるとか、いろんなもので教わりますけども、わが土地の歴史とか、わが家の歴史とかってものは、心がけて勉強しなくちゃいけないんじゃないでしょうか。
  • 浪曲家と曲師?、それは、なにものにも代えがたい味方であり、芸の骨肉でありながら、同時に食うか食われるかの、骨身をけずる戦さを続けなければならないのです。
  • ゆれる艀をおりて、上陸第一歩をしるした瞬間、私は二度、三度と、足が痛くなるほど祖国の大地を踏み鳴らしました。(祖国だ!日本だ!帰ったのだ!シベリヤの土ではないのだ!)
  • 遠き日の夏雲浮かぶ木挽町
  • 三波春夫でございます
  • 日本人の盆踊りは必ず手拍子が入り、そして手の平を返す所作があるが、これは、神様と自分、貴方と私という尊敬と親しみを表すものだと思う。
  • 右とか左とかという意識はありませんね。国を愛する気持ちはあります。戦争も憎んでいます。
  • あの精神主義は間違っていたと思います。シンガポールを陥れたときに、終戦に持ち込むべきでした。
  • わたしは、職人・芸人にかぎらず、政治家も教師も医者も……、みなさん、誇りを持っていただきたいと思います。
  • 移り行く世の中に、流れ行く歌の中に、せめて一曲、民族の心に残る歌をうたい残して行きたい。少しでも私自身の歌と生き方が、社会のために役立ってほしい
  • 芸人三波春夫を手塩にかけて育ててきたのは家内です。
  • 私は客席が明るいほうがよいし、お客様の表情が分かるほうがいい。歌は心から心へ伝わるものだから、歌う側にしてみれば聴衆の表情や、お客様の一挙手一投足を歌いながら肌で感じて、舞台を務めるほうがずっといいのである。
  • 現在の歌の型に至るまで、先祖たちが血みどろになって作り続けた、藝と夢と魂に学ばなくて、人の心をうつ歌やドラマが作れるだろうか?
  • 私のほかに、数多くの縁談も持ちこまれていたのですが、彼女はあえて、私という、身分も、地位も、金もない、一青年浪曲家に、彼女自身の人生を、そして夢を托したのです。
  • 先輩が血の出るような精進をして残した浪曲の本当の楽しさや、いつまでも日本人の心に残るあの節や語り物の世界を、私も現代に伝え残しておきたかった。
  • 孫が大人になったとき、私たちが無責任だったと言われたくありません。だからこそ、生きている限り今こそ、言うべきことは言わなければいけません。
  • 当時の私は、自我心が知らず知らずのあいだに、頭をもたげていたようです。それを何かのはずみに気づいて、「こわい!」と思いました。傲るまい、慢心すまい。そう思いながら、私は自分自身がいつも、薄氷の上を歩いているような気がしました。
  • 歌というのは、国家の歴史、その歌を愛唱した個人の歴史を刻み続けるものだという気がする。
  • いくら名人といわれた人の節も、三味線の手も「楽譜」に残さなければ真の意味の完成ではない。勉強したら誰でも唄え語れる浪曲を作ろう!その願いが長編歌謡浪曲、俵星玄蕃、紀伊国屋文左衛門を始め十七本の作品となったのでございます。
  • 飢えと、寒さと、絶望感のなかで、戦友が死んでいくんですから、笑顔であるわけがありません。でも、収容所で浪花節を語ったり、歌ったりしていたときだけは笑顔でした。
  • 私のために、時間をさき、入場料を支払って、わざわざ来て下さったお客様に、失望や落胆を与えることになったら、芸能者として死ぬほど恥ずかしいことだ。
  • 「お客様は神様です」という言葉が流行ったのには、びっくりした。よく、この言葉の真意はどこにあるのかと聞かれるが、私も、その答えに困ることがある。テレビなどで、短い時間でしゃべるには、うまく説明がつかない。
  • ソ連軍に降伏するまで、私が目撃したのは、数限りない人間のドラマであった。戦争の苛烈な中で、平常心を失ってしまった軍人たちの姿であり、中国の人々に対する、残虐非道の数々であった。
  • たとえば物語が理屈に合わなくても、面白くて、いやーよかったなあ、今日の浪花節は、しかし筋は何だったけな、というぐらいで、私はいいと思うんですよね。
  • 万人すべて我が師なり
  • 「神をうやまい、神を恃まず」??その時、はじめて「神様」という名のお客様の姿を見ることができるのです。
  • イタリアではオペラは最高のものだけれども日本の歌をそのまねで歌わなくてもよいでしょう。
  • どんな批評家といえども、妻ほど夫のすべてに対して、批判的ではあり得ない。何時に妻ほど協力的ではあり得ない。そして、妻ほどその苦しみを慰めてくれるものはいない。喜びをともにしてくれるものもいない……。
  • 新曲は、百回歌って研究した上で吹込をするのが一番良いのだが、時間的に許されぬことが多い。
  • 芸能というのは、私は保存されるべきじゃなくて、生きてるものでなかったら、これはもう価値がないと思うんですよね。
  • 僕たちが子供のときには、先生に威厳がありまして、品が良かったですよ。品格を持っていました。
  • 親の躾と先生の教育、このバランスが悪いんでしょうかね。両方で押しつけ合っているようで、子供たちが気の毒です。
  • 藝能人とは、藝をもって大衆に喜びを贈り、奉仕しなければならない。
  • 家内は九つのときから、日本舞踊、三味線、芝居などいろいろなことをやりましたので、私の師匠みたいな感じでございます。おっかないんですよ、本当に。
  • 朝起きて「おはよう」の挨拶をする前には必ず水などを飲んで声帯を湿らせておく。
  • 声を使った直後、すなわち声帯が充血しているときは、酸味、辛味などの刺激物を口にしない。
  • 逝く空に桜の花があれば佳し
  • 死ぬときは、個人に返ってこと切れるわけで、そのときには「お母さん」です。「天皇陛下」と言った人もいなければ、「お父さん」と言った人もいない。やっぱりお母さんなんですね。ロシアの兵隊も「ママ、ママ」と言って死んでいきました。
  • 私が、強情にその反抗をつづけたのは、テープを交差させる歌謡ショーの風景が、日本人の習慣だとか、美徳だなどとは考えられなかったからであり、お客様にもきっとわかっていただける日が来ると信じたからです。
  • 客に媚びるために、安易な気持ちでこのしきたりを受けつぐべきではない。ようし、ボクがこの戦いをはじめよう
  • 沈黙が金なら雄弁はダイアモンド
  • 民謡は全国を「旅」しながら、その土地土地で形を変えながら、歌われ続けて、根を張ったのである。決して、民謡を小さく固まったものにしてはいけないのだと思う。
  • 本当は藝談を書きたくないないのです。藝談は研究のために聞き、話すことは必要ですが、たまたまその中に自慢心が見えると底の浅い人間の心が顔を出してくるからで、そこが凄く恥ずかしいと思っています。
  • どんな歌にも、その舞台装置はある。港の酒場には、潮の匂いがして、屋台の酒には路地裏の匂いがあるように……。だからこそ、歌うとき心が澄み切っていなければならない。そうでなければ、歌は歌えない。
  • シベリアでの辛い経験と、押しつけられたとはいえ、社会主義的訓練の中から、私はたしかに大衆の立場に立つものの考え方というものを学んだのです。あの体験がなかったならば、おそらく、今日の三波春夫は生まれてはいなかったでしょう。
  • 不思議に歌というものは、歌手の個性を必要とするけれど、歌手の人格を投影することがない。
  • 人間は先輩の何を学び、何を創るかである
  • 浪曲の場合、曲師の役割っていうのは共演者ですね、まさに。伴奏者ではないんです。ですから、私はいまの楽団の人たちにも注文をつけるのは、単なる伴奏者であっては駄目だ。共演者なんだよって。
  • 「男の顔は履歴書だ」という人がいるが、私はそうは思っていない。顔に苦労や履歴を張り付けて歩くのではなく、それを乗り越えてこそ男の顔ではないのだろうか?
  • 二番目の母親と姉と三人で上京しました。あの上越線の汽車のなかの寂しさといったらなかったですね。今でも夜汽車が走っていきますと、なんだがすごく悲しいんです。
  • 芸人というのは、お客様の夢でありたい、憧れでありたい、お客様のケのなかにハレを持ち込む、お客様が陰なら舞台は陽でありたいと思ってきたんです。
  • 民謡は、歌うもの。そして歌謡曲、演歌とは、人生のドラマを語るもの。
  • 私もどちらかというと、声が澄んで美声の部に属する。だからこそ、節の味わいとなると深みが乏しい。これを補っているのは、私の藝歴の長さ、経験と言える。
  • 歌は歌手の喉から出た瞬間に、社会の共有財産になる
  • 外国の音楽はシンフォニー、ハーモニーの見事さとか、そうしたものを聞いていますと、じつにいいですよ。しかしいいからといって、それはその民族のなかに育ったものであって日本人には日本人としての、もうちょっとなんかあるんじゃないだろうか。


-ま~も,
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