石田 純一の名言
石田 純一(いしだ じゅんいち、1954年(昭和29年)1月14日)は、日本の俳優、タレントである。本名、石田 太郎(いしだ たろう)。スカイコーポレーション所属。
1988年(昭和63年)、女優・松原千明と再婚、1990年(平成2年)7月には女児をもうけた。
この女児は後に松原すみれ(現在は「すみれ」名義)としてモデルデビューすることになる。
しかしながら1991年(平成3年)10月、それまで石田 純一が公表していなかった、最初の妻との間に儲けた息子の存在が女性セブンにスクープされ、「隠し子」の存在が明らかになった。
石田 純一もその事実を認めた声明を出したため大きく報じられた。
この息子は翌1992年(平成4年)、「石田 純一の息子」いしだ壱成として芸能界デビューし、親子での共演などもみられることとなった。
人気俳優・タレントとなった石田 純一は、ファッションモデル・長谷川理恵との8年余りに及ぶ交際でも知られた。
1996年(平成8年)10月、不倫交際をマスコミから非難された石田 純一は「文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある」(前日に川島なお美から聴いた言葉をそのまま言ったものであり、石田 純一のオリジナルではない)と反論、ゴルフ場で芸能レポーターの取材に答える石田 純一の姿は、この「不倫は文化」というフレーズと共に繰り返し報じられた。
結婚中の不倫と「不倫は文化」発言による「不倫バッシング」によって、40代は一転不遇の人生に転落することとなった。
テレビドラマの出演もなくなった石田 純一は妻や娘とも1999年(平成11年)に離別(離婚)して経済的にも困窮、それまで住んでいた高級マンションは引き払おうにも引越し代がないという始末であった。
メインキャスターとして月曜日から木曜日までレギュラー出演していた『スーパーJチャンネル』(テレビ朝日)も不倫騒動の後に降板、降板日には生放送で落涙している。
この頃の状況について石田 純一は後に、「時間を持て余すことが何よりも辛かった」と語っている。
「不倫バッシング」以降は映画やドラマ出演からも遠ざかり、主にバラエティ番組への出演を中心の活動となっている。
ただ完全に俳優業をやめた訳ではなく、不定期ながら俳優としての活動もしている。
2009年(平成21年)にプロゴルファーの東尾理子と交際宣言し、同年9月に出演したテレビ番組においては翌春に東尾理子と結婚することを発表、実際には同年12月12日に3度目の結婚(入籍)。
結婚から3年後の、2012年11月5日には、二人の間に男児・理汰郎が誕生している。
尚、この結婚によって石田 純一の義父となった東尾理子の実父で元プロ野球選手の東尾修は石田 純一とはほぼ同年代で、石田 純一よりも4歳(学年では3年)だけ年上である。
石田 純一の名言集
- うそー?ほんとー?信じらんない これだけで三時間はいける
- さよならの代わりにメリークリスマス
- デートは、想像力の賜(たまもの)
- とりあえずめげないこと。悲観は単なる気分にすぎない。楽観は大いなる意志の産物!
- ぱふぱふ
- 以前の自分にしがみつきたくたって、はしごは外されている。だったら、潔くやりたい。
- 何度も恋をすること。もちろん、同じ人とね。
- 楽観っていうのは、単なる悲観の反対語じゃないんですよ。楽観というものには、こう生きようという、意志や決意があるんです。
- 口説きの成功率が1割でも、10人に声をかければ1人。
- 口説くときには政治・経済の話を。
- 三角関係だからカドがたつ。18股くらいになると、もうカドがなくなって丸くなっちゃう。そうすれば争いも起きないんだよね。
- 人には二種類いる。できない理由を探す人と、できる方法を探す人。
- 人生とは、想い出を作る為に、生きること。
- 世の中に女性がいなければ、お洒落だって全然しないかもしれないよね
- 多くを知って小さく語る
- 男が声かけて始まるんだから(別れの)切符を持っているのは女性。
- 避暑という言葉には、なにげにセレブの響き
- 物書きや画家や音楽家は、モラルに縛られていては良い作品を残せない。狂気があるからこそ、人々をハッとさせ、感動させる。
- 文化や芸術といったものが不倫から生まれることもある。
- 僕に足りないのは靴下じゃない、キミだ
- 目指すはイタリア系のオジサンたちですよ
- 夕暮れ時は女の子の心がざわつく時間帯
- 恋愛は完全に確率論、やらなきゃ何も始まらない。
マイライフ―The day in my life 石田 純一 幻冬舎 |