チェ・ゲバラ(Che Guevara)の名言集

2014/03/25


Che Guevara

エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ(Ernesto Rafael Guevara de la Serna, 1928年6月14日 - 1967年10月9日)

アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者

「チェ」はアルゼンチンのスペイン語で相手に呼びかけるときに使う言葉に由来するあだ名である。
革命家として日本の坂本龍馬を非常に尊敬していたという。

1928年アルゼンチン第二の都市ロサリオで誕生する。
父はエドゥアルド・ラファエル・エルネスト・ゲバラ・リンチ、母はセリア・デ・ラ・セルナ・イ・ジョサ。
彼女は無神論者であった。
経済的には恵まれた家庭であった。
両親は保守的な慣習にとらわれない比較的リベラルな思想の持ち主であった。
未熟児として生まれたチェは肺炎を患い、2歳にして重度の喘息と診断された。
両親は息子の健康を第一とし、喘息の治療に良い環境を求め数度移住している。
幼い頃のチェはけいれんを伴う喘息の発作で生命の危機に陥り、その度に酸素吸入器を使用して回復する状態であった。
しかしチェは激しいスポーツを愛好し、プレイ中発作を起こしては酸素吸入器を使用し、また試合にもどった。
重度の喘息は彼を一生苦しませた。

  • 開発途上国が汗と苦しみの代償として生み出した原料を国際市場価格で売り、最新の自動化された大工場で生産された完成品を国際価格で買う現実を、どうして「互恵」と呼べようか?
  • 列強諸国の生活水準は、極度の貧困の上に成り立っている。
  • なんでもないアスピリン1錠でも、患者を思いやり、苦しみを自分のものにできる友人の手から与えられれば、患者にとってどんな意味をもつだろう。その大きさは、科学では測れない。
  • 私はいまだに冒険家ではあるけれど、いまの私の冒険は正義を追い求めることだけだ。
  • 医学に身を捧げるか、それとも革命の兵士としての務めを全うすべきか、私は苦しんだ。リュックサックにはたくさんの薬と弾薬ケースがつまっている。両方いれていくことはできない。私は弾薬ケースを取り出し、あとはそこに置いていった。
  • 私たちは、身体中ヒロイズムにあふれていたが、頂上にたどりつけなかった。訓練で死ぬ覚悟はできていた。
  • 唯一の寝床となった折りたたみ式ベッドを「ポデローザ」の脇にしつらえて横になると、未来への希望で胸が高鳴った。もっと自由で、もっとさわやかな、冒険精神に満ちた空気が吸えるような気がした。
  • 仕事を辞めなければならないのは私も同じだったが、彼と違ってとてもうれしかった。
  • いま革命家として考えていることは、医学を勉強しはじめた当時はあまり理想的に思えなかった。誰もがそうであるように、私も成功したいと思っていたのだ。
  • 夢みがちな心を満たそうと思うと、ひとところに落ち着くことがなかった。医学部にも病院にも試験にも、飽き飽きしていた。
  • 信じられないような偶然のおかげで、私にはいまわかった。私は旅をする運命にあるのだ、と。
  • いきあたりばったりに南北アメリカを旅したことで、私は、自分でも気づかないほど変わった。
  • 私のことを冒険家というのなら、たしかにそうだ。しかし、私は違うタイプの冒険家だ。自分の真理を証明するためなら、命も賭ける冒険家だ。
  • 娘の誕生は、私にとって二重の喜びだ。第一に、悲惨な結婚生活にブレーキをかけてくれた。第二に、とにかくも出発できると全面的に確信することができた。
  • ある日の真実が、永遠の真実ではない。
  • 大きな仕事をおこなうには、なにごとであれ情熱が必要だ。革命には、多くの情熱と大胆さが求められる。
  • どこで死に襲われようと、われわれの戦いの雄叫びが誰かの耳に届き、われわれの武器を取るために別の手が差し出され、他の人たちが立ち上がるのなら、喜んで死を受け入れよう。
  • 私は39歳になった。ゲリラ戦士としての自分の将来について考えなければならない年齢に、容赦なく近づいている。
  • 世界の他の国が、私のささやかな努力を求めている。
  • 他国で戦いに行くために快適な生活を捨てる覚悟のある者だけが、革命家の名に値する。
  • 世界のどこかで誰かが不正な目にあっていたら、いつもそれを感じることができるようになりなさい。
  • すべてが革命のためであり、革命に反するものはあってはならない。革命にも権利がある。その最初のものは存在する権利だ。
  • 先のこと?正直いって、自分の骨をどこに埋めることになるかもわからない。
  • 女を好きにならないくらいなら、男をやめる。だが、女を好きになったからといって自分の任務や夫婦の義務をひとつでも怠るようなら、革命家をやめる。
  • ゲリラ戦とは、圧制者に対する民衆全体の戦争である。
  • 自分の義務を果たし、遍歴の騎士のマントを脱ぎ捨てて、何でもいいから武器を取って戦わなければならない。
  • 『開発途上』とは何か?歪められた異常な開発の産物である。それが我々だ。我々は丁寧に『開発途上』と表現されているのである。実際は、我々は経済制度を帝国主義によって変形させられた、植民地あるいは反植民地、あるいは従属国の住民である。
  • 人は毎日八時間かそれ以上、商品として機能する。つまり比喩的に言うと、個人としては死んでいる。
  • 人は環境によって抑圧される自身の人格を守り、汚れのないままでいようという願望をもつユニークな存在として、芸術的な観念に反応する。それは逃避以外のなにものでもない。
  • 私はキリストではないし、慈善事業家でもない。キリストとは正反対だ。正しいと信じるもののために、手に入る武器はなんでも使って戦う。自分自身が十字架などにはりつけになるよりも、敵を打ち負かそうと思うのだ。
  • 落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ。
  • 革命においては、勝利か、さもなければ死しかない。
  • コンゴで学んだ失敗を、僕は二度と繰り返すまい。新しい失敗もすれば、ほかのことでまた似たような誤りをおかすかもしれないが。僕の責任は大きい。この敗北は決して忘れないし、この最も価値ある教訓も忘れない。
  • 戦場にもってきた思い出のよすがは、二つだけ。一つは妻からの包帯、もう一つは母からもらった石のついたキーホルダーだ。
  • 革命は情熱で、つまり人間が名誉の社会的立証を求める闘いでできている。どこまでも完全にはなりえない。我々の革命もそうだ。
  • もし我々が空想家のようだと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。そのとおりだ、と。
  • あらゆる国家は平和的に共存しなければならない。国の規模、それまでの歴史的関係、国家間でなにかのときにもちあがるかもしれない問題とは切り離して考えるべきだ。
  • 甘ったるいと思われるかもしれないが、言わせてほしい。本当の革命家は、大いなる愛情に導かれている。愛のない本物の革命家なんて、考えられない。
  • 人間には誰でもその人なりの欠点があるが、私の欠点は誰の目にもわかりやすく、互いに矛盾しあっている。
  • 自分自身が、黒人に、ムラトーに、労働者に、農民にならなければならない。国民に自分から近づいていかなければならない。国民のリズムに反応することだ。
  • 我々は非常に苦しい時代にあって、国を導く責任を負ってきた。もちろん、その影響は大きい。しかし、我々が退くべきときに退かなければ、仕事は完成したとはいえないのだ。我々の後を継ぐ国民を作ることが、君たちの義務でもある。
  • 国民に意思を伝えるためには、国民の一人となって感じなければならない。国民の欲するもの、要求するもの、感じるものを知らなければならない。
  • 指導者とは、人が自分と同じところまで追いつけるように誘導するものだ。ただ言葉で強いるのでなく、後ろにいる人たちを力づけて、自分のレベルまで引き上げようとするのだ。
  • アメリカ政府は、現在の非平和的共存にやたら高値をつけて請求してくる。しかし我々は、尊厳を失ってまで言いなりになることはできない。それ以上の妥協はしない。
  • 「集団」は「個」と対立するもの、という感覚がどんどんふくらんでいった。前もそうだったように、私はいつも人から私的な援助を受けず一人で我が道を探し出すたちだ。でもいまでは、自分の歴史的任務について考えるようになった。私もいっぱしの人間であると感じられて、満足だ。
  • 私を導くものは、真実への情熱だけだ。あらゆる問題について、私はこの点から考える。
  • 国民の英雄たるもの、国民から遠くはなれていてはいけない。高い台座に上って、国民の生活と無縁なところにおさまるべきでない。
  • 国民の意思を重視するシステムにしたがい、国民の幸福に貢献することだけを唯一の行動規範とするならば、国を支配するのは簡単だ。
  • 母に、ここに来てほしい。そのひざに私が頭をのせたら、ただひたすら優しく「わたしのぼうや」といって、そっと私の肌に触れて欲しい。私の体がそう求めている。
  • フィナーレだ。比類なき大音声とともにフィナーレが次々に展開していく。十万人もの人々の歓声がとどろく。彼らの歌は奥深い。フィナーレをききながら、勇気が湧きおこる音がきみにも感じられるだろう。
  • 戦士として厳しい生活を送る中で、女性は女性特有の資質をもちながら、しかも男性と同じように働く能力を持った同志である。女性には戦う能力がある。男性より体力は劣るが、我慢強さはひけをとらない。
  • さあ、着いた。キューバの森から疲れきって出てきた我々に、この言葉が響いた。ここまでは、シエラ・マエストラの山々を登ってきた。我々は、夜明けを知っていた。頭の中も両手も、夜明けの種であふれていた。この地に種をまき、実を結べるよう守っていくのだ。
  • 我々は苦労しながら進軍した。日を重ねるごとに、一日がどんどん長く感じられ、ほんとうに辛かった。空腹で、のどもからからだった。もう先には進めそうになかった。両足が鉛のようで、武器は重すぎたから。それでも、前進し続けた。
  • 我々には誰だって、ちょっとした虚栄心が隠れているものだ。当時私は、世界で一番プライドの高い男だと思っていた。
  • 我々にとって社会主義の確かな定義は人間の人間による搾取の撤廃以外にない。


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